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寝台特急・ブルートレインに乗って戦艦大和(の巨大模型)を見に行けた昔は絶対良かった〜

今ではもう、寝台特急と呼べる定期列車は出雲路を走る直流電車のサンライズ出雲・瀬戸大橋を渡り四国路を走るサンライズ瀬戸のみになってしまいました。
大枚叩けば不定期の豪華列車で寝台を体験はできるが、縁遠い存在。

思い起こせばブルトレ末期にはあさかぜで九州・山口を訪れたり、以前は出来たばかりのハウステンボス往復にも重宝した。だけではなく、急行銀河だって、最後は特急と同じ★★★B寝台車両に乗れたもの。

そこで、ブルトレ乗車体験としては最後になってしまった2008年当時のはやぶさ・富士乗車記を再録してみたい・・・・・
この当時、既に統廃合や合理化が進み、ブルトレと呼べる寝台特急は数えるほどに。東海道路にあさかぜの暖簾は既になく、富士もはやぶさも一本に併結された上に食堂車の営業なし、という寂しい状況でした。それでも終夜営業運転していたのだからまだまだ幸せな時代だったのかも?

居住地の問題で横浜からの途中乗車、それも早朝の広島までで、途中下車するという中途半端な使い方だったかもしれない。が、これこそが列車の強みで様々な用途・行き先を拾い上げることができるのはライバル達にない魅力。東京・大船間は通い慣れたルートなのであえて完乗目指さなくても・・・・


前置きはいいとして、早速横浜駅のホームに到着、6時半にはEF66に引かれたブルートレインが横浜駅のホームに滑り込んでくる。列車番号は1レ。しかし、後に続くべき3レや5レはもう見当たらない・・・・・
東海道・湘南路を機関車が引っ張る客車列車もこれが最後となりました。
横浜駅から九州方面の駅まで乗り換え無しで行ける唯一の列車でもありました。

思えば学生の頃は帰宅ラッシュの時間にも拘わらず数々のブルートレイン達に追い抜かれたものでした。僚友のさくら,みずほ,あさかぜといったブルートレイン群がこの横浜駅のホームに続々滑り込んで来ては、すし詰めの通勤電車を追い越してゆく・・・・ホームから眺めていると食堂車のギャレーでは慌ただしく夕食準備に忙しいウェイトレス等クルー達の溌剌とした仕事ぶりが眩しいものでした。

寝台では早々と浴衣に着替えたビジネスマンと思しき男性らがコップ酒で宴席を始めたり・・・早々と折りたたみ梯子を引き出して上段の寝台に向かう若者の姿。どの顔もこれからの長旅に向けての期待感、あるいは東京での重責を終えたリラックス感などが垣間見られて、決して飽きることは無かったし、追い抜かれる悔しさなど微塵も感じなかった・・・・・・

当時は★が一つの旧式B寝台(20系)と★三つの2段式(24系)が併存した時代。最新版は上下2段式のB寝台で、分割併合可能な14系寝台や25系が最も新しい寝台車だった。その25系、14系の末裔が今夜の宿、となる。食堂車も車内販売もすでに営業が打ち切られた後だったので、事前に夕食の準備は怠りない。横浜駅ホームで入手できるシウマイ弁当を当然のごとく手に、折戸式のドアを潜り、車上の人となる。


特急富士は横浜駅を出発(18:28)。大船迄の車窓は何百回も見慣れたものだけど、やっぱり気分が違う。大船停車だったら、ダッシュで大船軒の鯵の押し寿司を狙うのだけれど、大船は通過。そそくさとシウマイ弁当を広げて一人寂しくゆうげの時間。夏休みも後半とあって熱海到着の7時半ごろには既に闇夜の中。そして丹那トンネルを出たら既にJR東海の営業エリアに。もう広島到着までは夜景オンリーなので、カーテンは閉めても差し支えない。が、開け放ったまま東海道をひた走る。

静岡には8時半、横浜から2時間の道のり、何もそんなに急ぎでなければ新幹線でもなかろうに、昼間の特急で静岡入りはもう適わないタイミングだった。超多忙な人なら新幹線こだまで富士を追いかけてきて静岡乗車という手もあるのだろうけど、今時そんなモーレツビジネスマンはとんと見かけない。

さらに1時間後、浜松駅は横浜から3時間の距離。2段式の上段寝台に登るには梯子を引き出して、着替えは備え付けの浴衣。だから浴衣姿のご婦人には上段はおすすめではない。トイレは勿論個室ですが和式だけで、洗面台はお隣と一緒


乗車したB寝台には更衣室も無く、ベッドを囲むようなカーテンを閉めたら人に見られずに着替えるのは至難の業。
上段には廊下の上に小さな荷物スペースがありますが、下段には占有できる荷物スペースがありません。
お弁当を乗せる小さなテーブルは下段の特権。三段寝台の時代は下段が寝台幅も広く料金的にも上位でしたが。

高度成長期を支えたビジネスマンたちには当たり前でも、今どきの女性にはBソロ個室寝台が人気だったようで、開放寝台はおじさん仕様と呼ばれてもやむを得ません。着替えせずに一晩過ごしてしまう女性客にはJR運賃並みのコストだけで移動できる高速バスが人気なのも仕方ないか・・

22:44には名古屋発、横浜から名古屋まではほぼ4時間。思ったより早いではないか。たまの名古屋出張だったらこの位でも充分許容範囲内だと私は思うけれど、仕事人間だったらやはり新幹線で時間を稼ぐんだろう。


名古屋の賑やかな夜景が途切れると、岐阜の先あたりからは星空がくっきりと見えてきた。電動で寝台を上下していた25・14系寝台だったら、天地の広い大きなガラス窓いっぱいに星空を望める。15系だと多少天地は狭まるけれど・・・・(実際には上段ベッドが降りてくるので有効な視界はほぼ同じ)

関ヶ原を過ぎていよいよ関西、大津から先トンネルを抜ければ、もう山科地区、京都の街中だ。ここの駅前にはお気に入りのビジネスホテルがあって、しばらく京都の定宿に愛用していました。寝つけない夜など線路側(北方向)に目をやれば夜半すぎから。ブルートレインのオンパレード!さくら、みずほに富士、さくら、はやぶさ、さらには出雲に向かうブルトレ時代の出雲・瀬戸が来て・・・・・・京都の手前でこれなのだからあかつきや金星・なはなどが加わった日にゃあいつまでも眠れぬことになってしまう・・・・・訳ではないけれど。

京都には0時半すぎ。横浜から6時間で京都市内です。大阪停車は真夜中1時すぎ、ここから先は広島までノンストップで深夜の山陽路を駆け抜けています。

特急券と寝台料金併せて運賃プラス9000円オーバー。
広島までなら新幹線特急券=7000円(当時)の方がおトクです。
大阪、名古屋までなら完全に新幹線に軍配
広島までなら早朝に到着できるところにメリットを見出せますが、
博多までならとんとん。夕方新幹線に乗っていれば、昨日の内に博多入りです。


でも朝一番に広島に居たかったので、寝台列車は必然。開け始めた空が広島の広大な貨物ヤードを照らし始めた頃、慌てて下車準備を始めたのでした。
広島に降り立ったのは横浜から11時間ほど後の事。富士・はやぶさの行程はまだ続きます。この後主なターミナル駅に停車して、九州に上陸し、前後に分割されてそれぞれ熊本、大分へと向かいます。
終着後もほんの数時間の休息中に、リネンサービスや清掃、点検をすませて上り列車として東京に帰って来ます。鹿児島や宮崎にまで行かないのは運転時間が24時間を超えてしまい、一日遅れの次の仕業になってしまうから、それほど長い時間を日本国内でも列車で過ごせたのでした。


かくもここまで衰退したわけは,言わずもがな高速バスの台頭で,それも高速道路網の整備が大前提。さらに新幹線のスピードアップでまずあさかぜの存在価値がなくなり,長崎・佐世保への足「さくら、みずほ」も程なく奪われ、安価な東海道の夜行「銀河」も一足先に姿を消したばかり。

安くて早い夜行バスは存在するものの、運転手一人に委ねられる安全運行の責任の大きさと、ロングレールの快適な乗り心地を比べたら対価を払うだけの価値は絶対あると信じて疑わないのです。

早いとこ、サンライズの旅を満喫しておかねば・・・・

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