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honda パワーがセナとf1タイトルを取った1991は日本のモータースポーツ絶頂期

日本はバブル景気真っ只中、世界は湾岸戦争の混乱に巻き込まれたこの年にはモータースポーツでも、まさに日本パワーが世界を制した感があります

ルマン24時間レースを日本車で初めて制したのはロータリーエンジンを搭載したマツダ787B。おむすび型ピストンを四つ並べた最終兵器でした。優勝直前、表彰式で流す君が代を準備するのに裏方が奔走した話は語り草です。

他方でマクラーレン・ホンダにアイルトンセナの最強の組み合わせが、この年ドライバーでもコンストラクターでもタイトルを獲得.こののち再びホンダが年間タイトルに輝くのは30年も後のことになるのですが…

ホンダからはNSXに続くミッドシップ第二弾、それも660軽乗用の枠でビートが登場します。その人気ぶりは今も根強いfanが沢山いる事を見ても明白。これにはスズキもFRのオーソドックスなスポーツカー=カプチーノで追随します。

ホンダ北米工場からはクーペに続く逆輸入第二弾として国内には無かったワゴン・ボディが上陸します。折からの円高に加えワゴンブームの高まり、さらには貿易摩擦のやり玉に挙げられた国内自動車産業への矛先をかわす狙いも窺えます。その北米で人気を博したのはレジェンド2代目に加えられたクーペ。日本にも導入されました。

日本の自動車界ではある意味頂点に立つクラウンですが、この年ほど大きな変化を迎えた年はありません。四年ぶりに変身した最新型は営業向けのセダンボディを除き3ナンバーサイズに。フレーム付きの3ナンバーボディも6気筒エンジンと共に刷新されますが、伝統のフレーム構造を捨てたモノコック構造にV8エンジンを載せたマジェスタ・シリーズが新たに加わります。またクラウン初の兄弟車が誕生し、マジェスタのモノコック車体に全く違うデザインの個性的なボディを載せ、日本ではアリスト、海外ではレクサスGS等として販売されます。

トヨタは主軸のカローラも刷新、レビン、トレノの最強版にはターボではなく昔ながらのスーパーチャージャーが装備され、低回転からブースト効果が得られる新しいパワーユニットとして商品化されます。一方で16バルブだったツインカムを1気筒あたり5バルブに増やした20バルブも投入、こちらはブースト圧力の助けを借りずパワーが稼げるタイプです。さらに前輪サスペンションはストラットながら、コーナーではキャンバー角度が上手く路面に合わせて変化する様工夫されたスーパーストラットサスペンションが用意されています。

カローラと同じタイミングでシビックも刷新.ロングルーフの3ドアと4ドアセダンのフェリオは益々差別化が進みました。そのコンセプトテーマはなんとブラジルのお祭り、サンバ!実車を見ても想像はつきませんが、3ドアは上下に開く旧いやり方のバックドアが特徴。フェリオと名乗る4ドアとの差別化も一層はっきりします。

この年はさらにセドリック、ブルーバードも新型披露のタイミングを迎えました。シーマ人気の陰でセドリックHTも3ナンバー化、営業需要には旧型Y32セダンを継続生産しますが、これが事実上最後まで生き残った残ったセドリックで平成の終わり頃までタクシー向けに生産され続けます。

久々に丸型4灯のヘッドライトを与えられたスポーティー版のセドリック・グロリアにはグラツーと言うサブネームが与えられ、シーマ人気の路線継承を図ります。シーマが全く別デザインの保守的なスタイルに変化した事もあり、人気を勝ち得たのはグラツーの方でした。やがてはクラウンもこの路線に倣うことになりますが…

ブルーバードもシーマ同様大きくイメージチェンジを図ったものの、尻下がりのデザインを取り入れたリアが再び不評だったのか、販売は上向きにはなりませんでした。U13型ブルーバードの新機軸はアクティブノイズコントロールと言う騒音軽減装置。オーディオスピーカーからノイズと逆の位相の音を発生させて騒音が耳に届かない様にする画期的装備です。とは言えクルマが発するのはノイズの音波だけでなく微振動や共振など様々で、偽音源だけで消せるモノではありません。

日産は人気のパイクカーシリーズ第三弾としてリアウインドウまで折り畳まれる大きなスライドルーフを標準装備したフィガロを送りだします。ノスタルジックなフロントフェイスはどことなく旧車を思わせる佇まい.キャリアを積んだ女性が銀座で乗り込むのに最も似合うキャラクターでした。

日産からは更にもう一台、商用車ベースの転換点を迎えたモデル、バネットセレナが誕生します。厳しさを増して来た衝突基準に対して前輪の上に腰掛けるレイアウトのワンボックスカーは大きく姿を変える必要に迫られ、短いボンネットと一杯に前に出た前輪がフロント部分を形成します。当然全長は伸びるし荷物スペースにも不利、小回り性能もスポイルされます。でも逆にキャブオーバーの弱点だった大きなピッチング振動は軽減され、運転者の安全イメージも大きく向上しました。エンジン位置も相対的にミッドシップ配置となり、乗り心地にもハンドリングにも寄与します。そしてセレナの後輪バネにはグラスファイバーが新採用されたことも特筆されます。

販売チャンネルを5系列に増やしたマツダはルーチェの名前を刷新した3ナンバーの大型セダン=センティアと兄弟車msー9を誕生させます。タクシー向けには二世代前の古いルーチェが再登板、センティアにはもうロータリーは積まれず、V6エンジンを頂点としたラインアップでした。カペラに継いで4WSを備えた後輪は驚異的な小回り性能を誇ります。

ロータリー専用車のサバンナRX -7は3ナンバーのふくよかなボディをまといアンフィニ店系列の専売車となります。価格も旧型の倍近いもので、ユーノス店のロードスターと競合を避ける様な位置付けとなりました。これでロードスターの2人の乗員のうち誰かが妊娠して家族が増えたとしても受け皿になるクルマが用意出来た訳です。

マツダは更に実験的な試みとして販売チャンネルとは別組織のアンテナショップ的存在のM2を創設します。ここからはオリジナルブランドの完成車、M2-1001が限定販売され抽選倍率も急騰する人気ぶり.ベースのユーノスロードスターを軽くチューンアップしてレザーの特製内装や専用部品で飾ったスタイルはアルピナやAMGのコンプリートカーを思わせる出来栄え.これで300万円は今にすればバーゲンプライスでした。

この当時の三菱と言えばパジェロ人気が頂点に達していた頃で、二世代目となったパジェロは、このクラスの上級4WDが1万台近くも売れ続けるという安定した収益源となっていました。

パジェロ人気の高さを裏付ける様にトヨタはランドクルーザー70系を乗用5ナンバー仕様に仕立て直し、Pで始まるプラドのサブネームを与えたトヨタ版パジェロを送り出しています。パジェロが生産を終わる時代が来てもプラドのブランドがしぶとく生き残っているのはさすがトヨタならでは。

RV人気と称されていた余波を買って、高めのルーフを持つワゴンボディの三菱RVRが投入されます。本格派4WDとは違い、乗用車派生の土台にパジェロ風のキャビンを載せたものですが、大きくスライドするリアシートは魅力的。やがてこれを基本にミニバンへと発展することになります。

いすゞからパジェロのライバル、2代目ビッグホーンが登場.大枠こそ変わらないもののエンジンや足回りに熟成が重ねられます。

スズキ軽のスペシャリティ、セルボが2ボックススタイルのセルボモードにモデルチェンジ。アルトに比べオーソドックスで質感の高いデザインはセルボのイメージを一新しました。

この年91年でF1パイロット中島悟は現役を引退.日本のF1人気もこの時点が一つのピークでしたが、下り坂を転げ始めたのは株価や土地価格も同様だったのでした。

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