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ショルダーフォンで円高時代の予兆を聴くエキサイティングでドレッシーだった1985日本車

車載用の自動車電話・パッケージを肩から下げられる大きさにまとめ、歩きながらでも電話が出来る「携帯電話」がこの年初めて初めて登場します。重く大きなバッテリーと一緒だったので、そのショルダー・フォンは一晩充電しても何10分も通話できない代物でした。が,これが携帯電話の未来に道を開きます。

この年、ホンダは10年のブランクを埋める様に軽乗用市場に再参入しました。todayと呼ばれる4ナンバー軽はライバル達とうって変わってノーズからフロントガラス,ルーフまで一直線なペンタストリーム・ラインと云う低く長いルーフの独特のプロポーションを提唱します。これは、のちにルノーも小型車に採用した画期的なデザインでした。上下に大きな寸法のガラスを拭うワイパーは1本のみ。正方形に近い窓面積にはこれで充分でした。ヘッドライトは丸型2灯式.この時点で大部分の国産車は角型ヘッドライトを採用していたので久々の丸目は新鮮でした。(が,マイナーチェンジで四辺形になってしまいますが・・・)

この年モデル・チェンジした三代目アコードも3ドアは新しいシビック同様、ルーフの長いワゴンの様なスタイルのエアロ・デッキに生まれ変わります。クーペの生産は北米のみに。ヘッドライトは4ドアセダンも含め全車が角型でリトラクタブル・ライトを採用すると云う思い切った戦略でした。アコードのサスペンションは前後ともダブル・ウィッシュボーンと云うハイテク。トヨタ/日産にはまだ真似できない装備でした。
このアコードからは提携を結んだイギリス・ローバー社との兄弟車=レジェンドも生まれます。アコードより上級のセダンでホンダ初V型6気筒エンジンはダブル・ウィッシュボーン式の前輪を駆動します。ローバー・ブランドでも兄弟車ローバー800が誕生し国際的な縁組みとして注目を浴びます。

さらにホンダはアコードとシビックの間隙を埋める様なクラスのクイント・インテグラを新設。5ドアのみだった従来のクイントに3ドアハッチバックを持つスタイリッシュなクーペボディを与え全車ツインカム・エンジンを搭載し、山下達郎のCM曲を用意したこともライバルの追随を許さぬホンダらしさが窺えます。これでホンダは軽乗用から3ナンバー高級車まで幅広い品揃えで3位メーカーへの更なる飛躍を目論みます。

セリカ、カリーナと云う後輪駆動車がFF化したのもこの年の大きなトピック.兄弟車にトヨタで初の4ドアHT=カリーナEDが加えられ大人気を博します。センター・ピラーの無い本物のハードトップで、日産が得意としていたスタイルです。セリカと共にコロナも遅れてFF化の波に乗り、まずは5ドア・ハッチバックがコロナ・シリーズに加わります。セリカの中ではハッチバックをもたない2ドアクーペ版がコロナ・クーペと名を改めてトヨペット店の店頭に並び、パーツを共有するセリカ、カリーナ・シリーズはトヨタ中核を占める大きな勢力となってゆきます。

GMグループのいすゞが久々に自社開発した新型のFFジェミニは街の遊撃手のTVCMとキャッチコピーが話題を呼びます。007シリーズを支えたカースタントの名手レミー・ジュリアン・チームがパリに持ち込まれた新型ジェミニワッチ巧みに操り、まるでダンスを踊る様に見せる名作CFは今見ても飽きることがありません。

参考までにこの頃ジェームズ・ボンドを演じていたロジャー・ムーアはコロナFF 5ドアのCMに出演しています。流石に派手なスタント・ドライブは見せていませんが…

日産ではスカイラインとサニーがモデルチェンジのタイミングを迎え、7代目=7thスカイラインはニューマン・スカイライン=R30の系譜を継承、より都会的なイメージの4ドアHTを加えたほかGT−R以来の2リッター6気筒ツインカム・エンジンを載せます。が,GT−Rの称号は許されずにGTS−Rとして,ツーリングカー・レースで実績を積みます。伝家の宝刀GT−R復活までにはもうひと世代侍たねばなりませんでしたが、この時点では一層、兄弟のローレルに性格が似通っていたと言わざるを得ません。
FF化第二世代となるサニーの方はオーソドックスな直線デザインが大好評を持って迎えられ,一時はカローラを凌ぐセールスを記録したほどです。これは次代のB13型にも受け継がれ、ブルーバードと並ぶトラッド路線は80年代日産の売れ筋を占めることとなります。

T11系スタンザ,オースターの兄弟車は結局ブルーバードと共通化されT12系に生まれ変わります。これでサニー店のスタンザ、パルサー販売のオースターとブルーバードの同格モデルが揃う訳ですが、日産店のバイオレットはこのグループから外れ、一つ下のパルサーのグループに加えられ、バイオレット・リベルタ・ヴィラと改名します。

FF化第二世代となるマツダ・ファミリアは大きく印象を変えること無く熟成を図ったモデルチェンジでしたが、この世代からフルタイム4wdが追加されます。悪路や雪道のみならず舗装路でも大パワーをロスなく地面に伝える手段として、デフレンシャル・ギアを3セットも備えた高価な四駆システムで、ラリー界ではもはや標準の装備でした。安価なビスカス式を含め、日本は本格的にフルタイム四駆時代を迎えることになります。

RE専用車RX−7はがらりとイメージを変え,ポルシェ924張りのスタイリッシュなデザインを身に纏って登場します。大きな一枚ガラスのハッチバックドアはサイドまで大きく回り込んで斜め後方視界も確保し、太いセンター・ピラーとプレスドアがしっかりとした車体剛性をアピールしています。伝家の宝刀ロータリーエンジンにはターボが標準装備され揺るぎない高性能を誇りました。

それまで俗に言うスペシャルティーカーを持たなかったスバルにアルシオーネが誕生します。直線デザインにリトラクタブルの角形ヘッドライト、もちろん四駆で武装したスマートなクーペはほぼプレリュードと同サイズ。そのエンジンルームには後にポルシェ911と同様の水平対抗6気筒エンジンが積み込まれ964カレラ4を前後逆にした様なユニークなレイアウトを実現します。

85年と言えば大ニュースに事欠かない一年でしたが、NYのセントラルパークを見下ろすプラザホテル内で合意された先進5か国の蔵相会談をキッカケに日本は未曾有の円高時代を迎えようとしていました。輸出で外貨を稼いでもレートが変化すれば一夜で利益が吹っ飛ぶ脅威の円高時代はすぐ目の前に迫っていたのでした。

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