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【小説】続・ポイ捨て

 ドッ…ドッ…ドッ…ドッ!
薄暗く、空気の悪い空間でやたらと低音だけが目立つ曲が流れている。
ギラギラしたピンク色のライトがいかにも安っぽくて猥雑さを感じた。

 少しでも気分を入れ替えようと友達を飲みに誘ったけれど、片っ端からフラれた。
 昨日見たカマキリの映像が頭に残っていて気分が悪い。カマキリは頭部が切り落とされても動くらしい。頭のない状態でも、いじめてくる子どもたちに向かって歯向かっていた。面白がってた子どもたちも流石にゾッとしたのか、弄ぶのを辞めてカマキリを足で踏みつぶした。
 気分が悪いのはその一部始終を見てしまったからだけではない。彼女から別れようとLINEが入ったからである。
全く意味が分からなかった。俺はこのまま捨てられるんだろうか。
浮気はしていないと言い続けても、家でのだらしない一面を引っ張りだして、浮気癖があるとこじ付けようとしてくる。
「一回、冷静になろうよ。なんと言おうとも、俺はお前のことが好きだから。しばらくしたらまた連絡する」
と返したLINEには既読の文字がついたまま、音沙汰ない。
 人望のない自分に対してイライラするけれど、そのストレスのぶつけるどころが分からない。 
 捨てることはストレス発散になると、彼女が良く読んでいた雑誌に書いてあったことを思い出した。気怠い記事だったから覚えている。嫌いに限って何故かしっかり名前を覚えてしまうアレに似てる。
大した距離ではないけれどタクシーを拾って、金を捨てた。目的地はここらでは有名な風俗街だ。
タクシーの運転手はこちらに一瞥もくれず、はいとだけ答えた。赤信号の止まり方がやたらと雑だったのがシャクで、投げ捨てるように小銭を渡してタクシーを降りた。

 蛍光色のネオンが光る看板に誘われるがまま、入り口へと続く階段を降りた。
そこはピンクサロンのくせに「オレンジ」と名付けられたお店で、ドアを開くと低音が漏れた。
スーツの男性に札を渡し、写真付きのボードを指差して少し待った。待合室に染み付いたタバコの匂いが脳味噌を刺激する。案内されたのは薄い仕切りで区切られた一畳もない半個室の空
間。低音に混ざって生々しい音が聞こえる。

 少し経つと「みゆきでーす」と明るい声の女性が入ってきた。暗くて良く見えないけれど、ボードの顔と少しだけ違うような気がする。それでも好みの女性だった。長い髪がさらさらとしていた。
みゆきがラベンダーのようなタオルで体を拭いてくれる。
 「こーゆーとこ来たことあるの?」
みゆきに尋ねられて「友達の付き合いで、何回か」と答えた。本当は一度も来たことないのに。
 「へぇー、なんかそんな感じには見えないのにね!硬派そうだなって感じたのに」
みゆきの細い指が右の太ももに置かれた。
 「…仲間がこういうの、好きだから」
と返すも声が震えてしまう。
 「ふぅーん」
ピンクの照明がぬらりと反射している白い手がみゆきの背後に周り、ブラジャーのホックが外れた。どこを見たらいいのか分からないまま、柔らかい唇が当たる。口には出せないような場所に手が当たっているのが分かった。
 コンビニのおにぎりの包装紙を開ける時のように、スムーズに工程が進んでいく。
そこからはあっという間に感じた。というか実際、あっという間だった。口には出せないくせに、口には出していた。
みゆきは俺が捨てたものを口から吐き捨てて、イソジンで口をゆすいだ。
 「時間余っちゃったね、何しようか」
みゆきは汚くなった身体を拭いてくれた。
 「え、あ、あぁ…」
 「本当は初めてだったんでしょ?」
みゆきが子どものように笑った。
その笑顔でつられ、だらしない顔をして正直に答えた。
 「なんで来たの?溜まってたから?」
質問の主語が分からなくて、ストレスが溜まっていると勘違いして答えた。みゆきは大きめの声で分かりやすく笑った。
 「なんでストレス溜まってたの?仕事とか?」
 「そうじゃなくて、彼女と上手くいってなくて…」
みゆきは懐が深くて優しくて聞き上手で、これまでの彼女とのことをつい話してしまった。後輩の女の子を家に入れたこと、クシを置かれたこと、彼女から捨てられそうになっていること。
 「そうなんだー、大変だったね」
 「そうなんだよ、あいつは勘違いしてるだけなのに」
 「でもさ、それはお客さんからの視点でしかないじゃん。話し方に自分は悪くないのにーって気持ちが滲み出てるように感じたな」
 「え、そうかな?そんなこと言ってないよ」
 「うん、言ってはないけど、感じたの。後輩ちゃんも、彼女も2人とも可哀想だなって思うよ」
 「なんで?彼女は勘違いしてるヒステリーを起こしてるだけだし、後輩もズル賢いじゃん、なんか、真っ直ぐな愛情を感じないんだよね」
 「うーん、難しいことはあんまり分からないけど、真っ直ぐじゃない方が愛情っぽくない?相手のことが好きだから離したくないし、でも気持ちは尊重してあげたいし、このままで終わっちゃうのは嫌だなって思うだろうし。わがままで面倒くさいくらいの方が愛情深いってパターンもあるよ」
 「じゃあ俺が彼女と別れたくないのも愛情じゃん」
 「ううん、それは違う気がする。プライドなんじゃないかな。だって彼女に捨てられるって思ったんでしょう?本当は俺が捨てられることないって思ってたんじゃない?自分の方が優位な立ち位置にいるって」
否定したい気持ちもあったけれど、上手くまとまらなくて何も言えずに黙っていた。
 「彼女がなんで別れようとしてるのか、後輩ちゃんがなんでクシを置いていったのか、気持ちを考えてあげなよ」
みゆきが持っていたタイマーが鳴った。
 「なんてね!ごめんね、お客さんの時間なのに。私にも同じようなことがあったからつい話すぎちゃった!」
上手く言葉が返せなくて、なあなあになってしまう。
 「また来てね。どうなったのか私にも聞かせて」
みゆきは最後にもう一度キスをしてくれて、去っていった。

 ネオンに照らされたながら、トボトボと歩いた。いつのまにか、満足感はいつの間に消え、みゆきとの会話だけが頭に残る。
こんな気持ちになるためにお金を払ったんじゃないのに。とは言え、思い当たるフシが会ったのも事実で、なんだか煮え切らない。
一方的に悪く言ったけれど、彼女にだって、彼女なりの正解があって行動したのかもしれない。まずはそれを聞いて話合ってみよう。
たぶん、これで終わりだろうけど。
意を決して彼女に電話をかけると、抑揚のないトーンで待ち合わせ場所が決まった。
これからのことを想像して、ため息が出る。
目の前に落ちていたタバコの吸い殻が、自分の前科を思い出させてきて苦い。
他人とは思えぬ情けない姿のタバコを拾いあげ、近くのゴミ箱に帰してやった。

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