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Mr.ChildrenのSignが教えてくれたもの

大事なことに気がついたのは、楽しかった旅行の帰り道だった。旅の疲れもあって、起きたら寝たりを繰り返した合間、飛行機の窓から夕焼け空が見えた。一点の淀みもなく、真っ直ぐで優しくてとても綺麗だった。
綺麗すぎるものに出会うと逆に写真に撮りたくなくなる。
写真にしてしまった時点で、どこか安心しまうのだ。鮮やかな体験もシャッター音の後、スマホのアルバムに入った瞬間に、どこか事務的なものになってしまうような感じ。わざわざ見返したりもしないだろうから、ただのデータと化す。
捻くれた思想で、壮観な真っ赤な空を目に焼き付けようとすると、頭の中でメロディーが流れた。名前が思い出せなくて、メロディーを手繰り寄せてサビまで持っていって、ようやく思い出した。狭い機内、イスの下に置いておいたバックからウォークマンを取り出して、曲を流す。Mr.ChildrenのSignを聴いたのはすごく久しぶりだった。
映画のような夕焼け空を見ながら聴いたSignは、忘れられないくらい美しかった。

旅行の最終日、旅に出る理由ってなんだろうと、異国の街が映るホテルの窓をなんとなく眺めながら考えていた。
結果、非日常を味わいたいからだろうなあというやんわりとした答えを見つけて、その疑問ごとどこかに落としてしまった。恐らくはホテルをチェックアウトする時のカウンターで、鍵と一緒に返してしまったのだろう。旅の最中とは言えど、終わりも見えていて日常が始まるまでのモラトリアム期間のようなものだ。
帰りの飛行機で、その疑問をふと思い出した。
ミスチルのSignを聴きながら燃えるような夕焼け空を見て、その答えの正確な形が分かったような気がした。

旅に出る理由は、非日常の楽しさでもあるけれど、もっと言うなら日常の愛おしさを味わうためではないだろうか。親、恋人、友人、いつも気にかけてくれる先輩。日常をつくっているのは、そういったいつも通りの存在である。いつも通りがあるから、こうやってたまに飛行機に乗る飛行機に感動するし、居場所があるからアウェイに刺激を感じられる。
Singを聴いてるとそういう日常の温かみに少しずつ気付いてくる。人間の体温と同じ温度を優しい曲だ。近すぎて見失いがちなものを、すぐそこにあるじゃないかと語りかけるように教えてくれる。
『ありふれた時間が愛しく思えたら それは”愛の仕業”と 小さく笑った』
サビの優しいフレーズが飛行機という地上から遠く離れた非日常のなかで、体を包み込むように響いた。

ノスタルジックな夕焼け空とSignの歌詞が混ざりあって、今までの日々を思い返す。
イライラして乱暴な言葉を投げつけ、誰か傷付けた日のこと。恋人のはだかに触れた時は緊張と喜びで心拍数がヘンになりそうにもなった。
思い返す日々のなかにはいつも自分以外の誰かの存在を感じる。日常の無骨さでさえも、1人きりでは味わえないのかもしれない。
この日常もいつか終わりが必ずやってくることを『残された時間が僕らにはあるから』の歌詞を聞いて噛み締める。歌い方自体は優しいけれど、進み続ける時間の残酷さ、人生の儚さをぶつけられるような感覚。今もこうしてすぐ過去になって、いつかの終わりに確実に近付いていく。

旅行も、人生が終わる瞬間も、非日常という意味ではどこか似ているのかもしれない。
だからこそ、日常の愛おしさを知る必要があって、その日常を忘れないために、非日常にちゃんと触れなくてはいけない。
心に染みるSignの優しいメロディーと歌詞は、大事なものはいつだって近くにあるという、当たり前を気づかせてくれる。
そんなことを考えていたら、いつのまにか陽は落ちて真っ暗になってしまっていた。

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