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雨に打たれて

 怒りに関する本を読んで余計にイライラする。
 濡れないために傘をさしたのに、傘から垂れる雨粒で鞄がびしょびしょになっている感覚だった。逆効果、むしろ自分から損をしにいったような気分だ。

 本の趣旨は怒りを活力に変える人と怒りに支配される人の違いを洗い出し、どのようにすれば怒りを上手く扱うことが出来るのかをレクチャーしてくれる自己啓発本である。
 買った時はホクホクしていたのだけれど、いざ読んでみると文章の構造が好みに合わなかった。パッチテスト(試し読み)をしてみるべきだった。
「はじめに」にあった文章、

まさに、冒頭STORYのAさんのような〜

がのっけから合わない。「冒頭の物語」ではダメだったのだろうか。急に英単語が入られるとなんだか違和感を感じる。せめて「冒頭のストーリー」にしてほしかった。

 そんなこんなで冒頭から斜に構えてしまい、真っ直ぐな心で読めない。一度違和感を覚えると、野良猫なみに警戒心が強くなってしまう。
 6秒待てばイライラのピークが過ぎると書いてあるけど、6秒数えるよりも怒りが湧き上がってしまうから助けてほしいんだし、便利過ぎるとイライラしやすくなるから"不便に慣れる"必要があると記述してあるけれどそれも簡単に割り切れないからムカついるんだし、"発想をポジティブに切り替える"ができないから困っているわけで。他にも愚痴は言わない、怒りの再生産をしない、イライラが充満する場所には近づかない……もう単純にこの本が向いてない。
反論ばかりが脳裏に浮かぶ。

 まず教えてやろうと言わんばかりのスタンス(そんなつもりないのかもしれないけど)が癪に障る。
 かえって共感の大切さに気付かされた。おそらく自分は、自分が抱えている悩みに対して「そうじゃない、正しくはこうだ」と指示をされるよりも「そういう考えもあるね、それはあんまり正しいものじゃないけれど、それも含めて個性かもしれないよね」と同じ温度で相槌を打ってもらう方が読みたくなる。
 気付けばエッセイばかり読んでしまうのは、作者の温度感が伝わり、読んでいて同じ温度になるからだろうなと痛感した。
 自己啓発本というカテゴリーで読んでいて癪に障るというのある意味で成功なのかもしれない。少なくとも何の感情も湧かないよりは全然いい。

 とはいえ納得できる部分もあるから悔しい。
冒頭から末尾まで全部否定できればブックオフに持っていくことができるのに。
 許せると許せないの間にある「まあ許せる」のゾーンを増やすというのは実行しやすいし効果的そうだ。なんとなく知っているのではなく、正確に怒りを理解するというのも非常に大切なことだと思う。
 なによりも怒りには根底に「わかってほしい」があるという部分はごもっともだった。結局、自分の考えを知ってほしいから怒ってしまう。こうやってわざわざ労力を使ってまで自分の感じたものを書き起こしてしまう。ぐうの音もでない。

 怒りはマネジメントするようなものではないような気もする。適切に怒るはどこか嘘くさいなと感じてしまう。
適切に怒れず過剰か不足で常に悩んでいる人の方が正直者だなと思うし、カッとなった勢いで全部崩してしまうのも動物的でどこか美学めいたものを感じたりもする。
 「人間も所詮は動物だ」と、「人間は野生動物ではない」を何度も行ったり来たりしている。自分は怒りをどう扱い、どちらに合わせて生きたいのだろうかとも思うけれどこれはまた別の話。

 びしょ濡れになった鞄を、自分の手から吹き出している言葉のドライヤーで乾かす。
じっくりと乾かしているうちに、使い古した鞄がまた少し愛おしく思う。

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