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諏訪四社巡り②「上社」

初回&前回。


茅野駅から諏訪大社の上社までは、徒歩で行けなくもない程度の距離感である。車があれば一瞬だ。朝マックのために寄り道をしてもなお、その過程でガッツリ道に迷ってもなお1時間弱で行くことができる。

知らなかったんだよ、国道が途中まで並行してることを。

ネットで流し読みをした内容なので眉唾ではあるが、「相性の良くない神社」の特徴として、「行く道中で道に迷う」ということがあるらしい。別にマックに神様が祀られているワケでもないし、お客様を神様だなんて思ったことはないが、この法則に無理やり当て嵌めるとするならば俺は「お客様」との相性が絶望的に悪いことになる。奇遇だね、俺も接客業は大嫌いだ。

『諏訪大社』とひと言で表しても、その実態は他の神社とは少し様相が異なる。と言うのも、諏訪大社とは『上社(かみしゃ)』と呼ばれる『前宮(まえみや)』『本宮(ほんみや)』、および『下社(しもしゃ)』と呼ばれる『春宮(はるみや)』『秋宮(あきみや)』の四社を含めて諏訪大社という扱いをする。
摂社や末社ではなく、皆同格である。

時折『諏訪四社』という呼び方をするのはそのためだ。

前宮は茅野市に位置しており、諏訪信仰発祥の地とされる重要な場所だ。本宮は諏訪市に位置しており、現在の諏訪大社の中核を担う場所だ。文化財も、参道に並ぶお土産屋も、四社の中で最も多い。

春宮、秋宮はともに下諏訪町に位置しており、御祭神は2月1日に春宮へ、8月1日に秋宮へ引っ越しをされるという、他に類を見ない信仰の形をしている場所だ。

参拝する順番に特に決まりはないため、前宮からスタートすることにした。去年の秋、四社を巡った時は本宮スタートだったため、申し訳程度の変化をつけた。

マックを出発し、県道183号線から本宮四之鳥居がある神宮寺交差点を目指す。県道16号線に乗り、南東方向にしばらく進むと『諏訪大社 前宮』と書かれた大きな看板が見えてきた。駐車場はあまり大きくはないが、悲しいかな、前宮は他の三社と違って人通りも疎らなため、繁忙期でもない限りは埋まることはないように思う。


鳥居と神原の景色

前宮には『神原(ごうばら)』と呼ばれる場所がある。県道の交差点から坂を登っていくと、最初に辿り着く小高い丘のような場所だ。諏訪大神が初めて降り立った地であると同時に、かつては『大祝(おおほうり)』が居住する『神殿(ごうどの)』や、神事を行う舞台が軒を連ねる神聖な空間だったそうだ。大祝が居住地を本宮に移して以降、急速に廃れてしまったそうだが、古来より続く『御頭祭(おんとうさい)』は現在でも前宮で執り行われているとのこと。

冬で、しかも雪が降り積もっている日だから仕方ないとは思うのだが、それにしたって人がいない。とても静かな場所である。だが、こと神社においてはこの静寂もある種の威厳であると俺は思う。それゆえに前宮は結構好きだ。

本殿はこの神原からさらに坂を登って行った先にある。路面が凍結してないから良かったものを、もし凍っていようもんなら本気で上まで行くか悩むくらいの傾斜はある。これに関しては夏用のスニーカーを履いてきた俺が悪い。

上りは良い、下りが怖い。

それにしたって神原から本殿へ続く道の脇に、当たり前のように民家が建っている光景は心底不思議に思う。どういう経緯でこの土地が売りに出され、どんな思いで手に入れたのだろうか。

坂を上り切ると、本殿の左手に『水眼(すいが)の清流』が見えてくる。とても綺麗な水であること以外の情報を持ち合わせてはいないのだが、この川のせせらぎがより一層、前宮という場所を神聖な場所に格上げしているような気がしてならない。昔から新鮮な水があるところに生き物は集まるものだ。

奥にそびえ立つのは二之御柱

諏訪大社は自然そのものを御神体としている関係で本殿が無いのだが、ここに関しては例外である。こういう側面からも前宮の特異性が伺い知れて、なおのこと好きになる。

二礼二拍手一礼。以後、お見知りおきを。

再び神原へ向かう。洩矢諏訪子が書かれたたくさんの絵馬の横を素通りする。社務所へ顔を出し、初穂料を納める。俺がこの地に降り立った証を受領した。

駐車場へ戻ると、俺と同じタイミングで来た神戸ナンバーのSUVの姿はもうなかった。先に何処かへ行ってしまったらしい。連れないなぁ……奥羽と近畿、異国の者同士仲良くしようや。

本宮は前宮から程近い。同じ県道沿いにある。あまり時間もないから、今回に関しては先を急ごう。


ほんの数分、車を走らせるだけでもう見えてきた。本宮の看板はシンプルに『諏訪大社 駐車場』と書かれていた。本宮こそが諏訪大社の中心である、と言う自負の表れだろうか。駐車場の広さも、それを後押ししている気がしてきた。

俺はなんとなく、奥まった空き地のような駐車場に車を停めた。前回来た時もここだった気がする……早くもルーティン化の兆し。

一之御柱とちょっとした広場的な空間

本宮はとにかく広く、それゆえに見所も多い。人通りの多さもそれに比例する。重要文化財も境内に数多く残り、かの徳川家康が家臣に命令し造営させた『四脚門』や上社の中で最も大きな建物である『神楽殿』、かつて大祝のみが通った『布橋』などがある。正直な話、ここだけで半日は滞在できる。

立派な大木が多い

塀重門前の階段を上れば最速で拝殿へ辿り着けるのだが、そんなことでは面白くない。一之御柱を超え、二之御柱を超え、入口御門から布橋へ入る。歴代の大祝の目に映る景色と、俺の視界に入るこの景色はどのくらい違うのだろうかと考える。「境内だけだとあまり変わってないのかな」「あの大木は今ほど立派ではなかったんだろうな」などなど。ロマンしかない。

入口御門を潜ると雰囲気が少し変わる

布橋を通っている最中、四脚門越しに横から拝殿を覗き込むと何やら神職の方の姿が目に飛び込んできた。祈祷?祈願?詳しいことは分からないが、地元企業のお偉いさんっぽい人たちが、有り難い御言葉にこぞって耳を傾けていた。

こういうのに立ち会えるのは運が良い。

塀重門の右脇にある小さな門を潜ると雰囲気がまた一変する。ここからが本格的に「神の領域」であることを心のどこかで理解する。そのまま真っ直ぐ歩を進め、伝統的な『諏訪造り』が特徴的な拝殿の正面に立つ。

二礼二拍手一礼。以後、お見知りおきを。

本来であればかなりの時間並ぶことになるだろうが、生憎の天気だ。御朱印を貰いに来る人は俺を含めて数人程度しかいない。整理券を受け取り、社務所前でボケーっとしていると、先ほど拝殿にいた企業のお偉いさんらしい方々が近付いてきた。

「本日はどうもありがとうございました」
お偉いさんが頭を下げる。
「いいえー、こんな天気の中ようこそおいで下さいました」
神職の方も感謝を告げる。

諏訪の信仰はまだまだ強固なものである。素敵。

初穂料を納め、俺がこの地に降り立った証を受領した。

鳥居を潜り俗世に戻ると、暇そうにしているタクシーの運ちゃんの姿が視界に飛び込んできた。すまんな、今の俺には車がある。

エンジンをかけ、カーナビの時計で時間を確認すると午前10時を過ぎたばかりだった。少しサクサク進みすぎたように一瞬だけ思ったが、今日の夜には確実に東京へ帰っていなければいけないことを考えると、このままのペースで良い気がしてきた。さっさと下社へ向かおう。

東京へ帰る手段は、あえて何も手配していないのだから。


再び県道に乗り、中州神宮寺交差点を右折する。ここは、最早馴染み深い県道16号線が中央道の高架と交差する唯一の場所である。ゆえに分かりやすい。

田んぼの中にポツンと佇む西友を見て、財布の中の小銭が少なくなっていることを思い出した。初穂料でお釣りが出るのは申し訳ないし……うーん、コンビニ寄るかな。

途中で見つけたローソンでザバスのプロテインを買った。腹減ってないからね。

このまま道なりに真っ直ぐ行っても下社に辿り着けるが、何となく上諏訪の街を拝みたかったので、途中で右折をして諏訪湖畔の道を走ることにした。前にこの道を走ったときはスッキリした秋晴れであったが、今は生憎の雪。対岸の岡谷の街並みが一切見えなかった。

上諏訪は背の高い建物が立ち並ぶ比較的規模の大きな温泉地である。重要文化財の日帰り温泉である『片倉館』や間欠泉など、ここに関しては個人的に終日いても飽きない気がする。だって温泉好きなんだもの。

下諏訪町に再び入り、マックとデニーズが目印の赤砂交差点を右折する。この道ももう覚えてしまった。役場の前を通るこの道を北へ進むと、そのまま下社へ行けるのだ。

そういえば役場の斜向かいにあるラーメン屋、ローカルチェーンなのか知らないがここらへんでよく見る気がする。ハルピンラーメン、地元の人から直接聞いた話では美味しいらしい。

車のまま大門を潜り、諏訪大社の中で最も古い建築物とされる『下馬橋』の横を通り抜け、いよいよ三社目が見えてきた。駐車場に車を停め、一向に止む気配のない雪を回避するために、パーカーのフードを深く被る。

諏訪四社巡りの後半戦は、春宮からスタートした。


続く。
※執筆中※

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