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平和と令成の狭間を生きる僕たちへ #001

プロローグ

拝啓、30歳の僕へ
こんな手紙を見つけた時、僕は既にアラサーだった。あの時遠い存在だった「大人」に気付いたら僕はなっていた。

幼き頃に想いを馳せながら。ふと、文字を書き連ねてみたいと思った。この時代に自分が生きたという証を。
記憶とは存在証明である。記録とはその補助である。
失われた記憶はその価値を失い、記録がなければ二度と蘇ることはない。

僕が僕であって、この一時代に生きたのである。
徒然なるままに考えたこと思い悩んだことを書き連ねて見ようと思う。
この文字たちの羅列を僕は僕と同世代を生きた10年後のアラフォー世代に贈りたいと思う。

そして、願わくばこれらが平成と令和の狭間を生きた不可思議な世代の取扱説明書とならんことを。


狭間を生きるこれからの僕たちへ


振り返って見れば、僕も既にまごうこと無きアラサーである。
よくよくある話ではあるが、まだサンダルで野山を駆け回っていた頃、僕にとっての30歳とは十分におじさんであった。

歳を重ねるに連れて、自分が老いて行くことへの焦りとともに、人生の折返しを強く意識するようもになっていた。

水底を這っていた小さな水蠆が、やがて大空をぶんぶんと飛びまわるように。何かを成す為には、溜めの期間が非常に必要である。

10代の頃、折返しは20代であった。20代になれば、折返しは30代であった。いつの間にか先送りしている弱さとともに、成そうとしているものが少しづつ輪郭を現してきているようにも感じた。

30代は折返しである。こんなことを言えば昭和に産まれた方々には怒られてしまうかもしれない。それでも僕は今の僕のできることから妥協をしたく無い。

だって、もう平成が終わったのだから。

かつて僕はスポーツ選手に憧れていた。かつて僕は科学者を夢見ていた。かつて僕は起業家を望んでいた。そして今僕は何を志すのだろうか。


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