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プレゼントを売るのはあり?

今日は大分ふわっとしたお話ですが、よろしければお付き合いください。

子どものころから、プレゼントをもらうというのは嬉しかったので、人にプレゼントをする時も、プレゼントというだけで嬉しいんだろうと勝手に思って生きてきました。


そんなもんだから、いらないものをプレゼントされても困るみたいな感覚っていうのは結構衝撃を受けた考え方な上に、

さらにはメルカリで売ってしまうみたいなことまで起こることにはまあまあ驚かされました。


確かにプレゼントされたものなら、すでに所有権は移っていますから、売るのは自由です。

なんですけど、それをお金にどうしても変える必要があるのでしょうか?


そのプレゼントを選ぶのに、プレゼントした側は大なり小なり時間を使っていて、なんというかその時間が一番の価値なのだと思うのです。


でもそれがお金に変わってしまった瞬間に、その文脈はリセットされちゃうわけですよね。


選んだ人の苦悩とかがそのものである限りは、数年後に、「それまだ使っててくれたんだ!」とかいうことになって報われるし、

そんな感じでそのプレゼントを通して、プレゼントした側とされた側でつながり的な価値になったりとかそういう意味合いがあるのに、現金化した瞬間に無に帰すことになります。


そこには、お金をいくら積んでも実現できないものがあると思うのですが、

ただこのプレゼントを売るのはありかなしかっていうのは、結構平行線なのではと思っていて、必要ないものなんだからいらないっていう話もそりゃそうではあるからです。


で、web3とか、ブロックチェーンという文脈が現れてきたことによって、今後、物の所有に関する情報はデジタルで管理されるであろうことが予想されるという状況で考えると、


プレゼントは売る側か、大事に持つ側かというのはその履歴によってバレることになるので、それぞれの意見の議論など無意味で、結局それぞれの文化圏に分かれて生活をしていくことになります。


でじゃあ、そうなったときに各々どういう文化圏が作られていくかって考えてみると、


あげたものを売られる確率の高いコミュニティと、あげたものを大事にしてくれるコミュニティと、どっちで何かをプレゼントしようと思うかは一目瞭然で、

そうなると前者のコミュニティではまずプレゼントという文化は消えると思うのです。あるとすれば現金のプレゼント。


そんな風に考えると、やっぱりプレゼントをし合う環境自体が個人的には良いなと思う方で、プレゼントの中身よりも、プレゼントがもらえる環境を大事に思う今日この頃というお話でございました。


本日もここまでお読みいただきありがとうございました。
次回もよろしくお願いします。


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