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鈴鹿でゲリラに遭う【不思議な夢の話】

これは今からおよそ二十年前、まだ私が三十歳になって間もないころの話。

その日は朝から私は家で留守番をしていた。母と祖母は親戚に誘われて岐阜旅行に出掛けた。

バイトも休みで私は家で一人ゴロゴロしていた。それなら私もみんなと岐阜に行けば良かったのだが、この時はなんとなく気が進まなかったのだ。

岐阜は大好きな場所なのだが……

二十歳の頃、初めて友達とドライブで岐阜の街を訪れたとき、なぜか初めて見るこの街がとても好きだと思った。

「この街が大好きだ!なんて、なんて可愛い街だろう」

そんな想いが唐突に湧き起こり涙が込み上げるのをグッとこらえた。

初めて行った岐阜で━━。


「今ごろ母さんたちは、鵜飼見ながら食事してるのかなぁ?あ、鵜飼って夜にやるのか?じゃあ、昼間はどこ観光してんのかな?」

などと家でひとり考えていた。やはり私も岐阜に行けば良かったのではなかろうか……?

本当のことを言うと、今回は親族と顔を合わせたくなくて行かなかったのだ。大好きだった絵の仕事に挫折してから数年、やりたくもないバイトを転々とする生活を送っていた私は次第に塞ぎ込むことが増え、人に会うのも億劫になっていた。

岐阜に行きたいのに行かなかった。屈折した感情を持て余し、いじけてごろごろするうちに気がつくと眠っていたようだ。


木々が見える。

山だ。あまり高い山ではないような……

ざくざくざく…… 人がたくさんいる。

山道の上の方から馬に乗った甲冑姿の武者が現れた。黒をベースにしたよくある甲冑で目立つ服装ではないけれど、あれ?この人は織田信長公のような気がする……?

(いや、ちがうか?)

(わからん……)

人違いかもしれないが、ひとまず夢で見た第一印象のまま、この人物を信長公として話を進める。

信長公の前後を歩兵たちが歩いている。彼らの列は細い山道をゆっくり下っていく。これはどうやら織田軍の行列のようだ。

細い山道ゆえまとまって進むことはできない。行列は長く一列に伸びてクネクネと山道を降っていく。一応道になってはいるが、あまり歩きやすい道とはいえない。

この山はどこだろう?ハッキリした場所はわからないが、滋賀県だと思う。
行列が向かってる方角は、岐阜だ。『京から岐阜に向かって帰る』そんなイメージが見える。

夢の中でぼんやり想像した、私の脳内テキトー地図

(ということは、あれかな?滋賀県から岐阜に向かう時に乗る電車の路線、あの辺りだろうか?そう、米原通って関ヶ原に向かう道……)

(昔、絵の仕事していたときに、新幹線や電車でよくあの辺りを通ったものだ。懐かしいなぁ……)

私の意識は少し起きていて、この光景を見ながらおおまかな場所を想像する。

行列は、今ちょうど山をひとつ越えて下り坂に差し掛かったところだ。私はいつも様々な人物の目線で夢をみる。このときの私は、この場面を主に信長公の目線で見ていた。

馬に乗った信長公が、山の斜面の小道をゆっくり降って中腹辺りに差し掛かったとき、にわかに山の下がざわつき始めた。足軽たちが声をあげている。

『うん、なにがあった!?』

馬上から信長公が少し身を乗り出して目を凝らすと同時に、映像が山道を一気に下って問題の場所を映し出す。

山を降り切った坂の下の樹上から人がぶら下がっているのが見える!足を括られて、逆さ吊りにされた足軽の死体だ。

足軽の着ている具足は織田軍の足軽のもの。

「我が軍の足軽が、殺されて木に吊るされています!」

状況はすぐ信長公に伝わった。信長公の心の声が聞こえる。

(しまった!待ち伏せされたっ)

全身が総毛立つ。

(まずいぞ!)

状況は最悪だった。おそらく敵は少数だが、こんな山道で襲撃されてはこちらがどんな大軍であったところでその威力を発揮できない。山道で間延びしている兵列の中、敵が狙っているのは大将、信長の首だ。 

「……急げっ!!」

慌てて狭い山道を馬で駆け降りながら、信長公が頭の中必死に考える。

山を下りきったふもとの道は二手に分かれているようだ。そこから先も山が続いている。右と左、その道のどちらか行った先の山中には敵が待っているはずだ、どっちだ!?どっちに奴らはいる!?

(右か、左か!?)

(どっちだ!?どっちに行けば助かる??)

皆を急がせ坂を降り切ったところは山の間ではあるものの少しばかり開けた場所になっていた。左右には道が分かれている。ブルブルッと興奮する馬の手綱を引いて信長公は右に向くと、「こっちだ!!」大きな声を上げみんなを置いて走って行ってしまった。

そこからはもうただただ追われるままに必死に逃げているイメージだけが伝わってきた。

(うわあ!これはまずい!!)

(逃げろ、逃げろ!!とにかく逃げろ!!)

気づくと信長公の周りには、数騎の武者だけになっていた。歩兵はついてこれなかったようだ。

とにかく残った者だけでも必死に逃げていく。

「死」

それしか考えられない状況。

(うわあああああ!!)

まるでジェットコースターで勢いよく降って行く時の気持ち。

「うわああああ!!」

とにかくみんな「うわああああああ!」としか言えない。思えない。


この時の私はおそらく寝ながらうなされていたんだと思う。ただの夢なのに、「ああ、ダメだ、死ぬ!死ぬっ、死んでしまうっ!!」

ハァ、ハァ、ハァハァッ……!

ハァ…… ハァ……

あ……、あれ?

急に場面が変わった。青空が見える。風が、気持ちいい…… 見晴らしのいい小高い山の上だ。場所は、三重県だと思う。

眼下には、故郷が見える…… はるかに濃尾平野が広がっている。木曽三川だろう、川が流れているのが見える。美しい…… 

(帰ってきた…!)

小さな山の上には、数人の織田軍の武将が立っている。馬は連れていない、途中捨てるしかなかったのだろう。ここに立ってこの景色を見る男たちの気持ちは全員同じだった。

(よかった……、生きて帰ってこれた……!)

「グスン……!」鼻が鳴った。

私は涙がこみ上げくるのをぐっとこらえた。泣いたらいけない。でもきっといま泣いても誰も咎める者などここにはいないだろうが……

(……私?)

(いや、この人は私ではないな。)

(誰だろう?信長公だろうか……)

(きっと、信長公は逃げ切った。助かったんだ!)

「うーーーーーんんん……!」ここで、私の意識が完全に目覚める。気づくと私は自室の布団の上で転がっていた。

「ハァ……、ハァ……!」
(あれぇ…?部屋だ、わたしの……)

「ああ、よかった。夢だったか……、ほんとに、死ぬかと、おもったぁ…!」

いつも以上にリアルな、変な夢を見てしまった。なんだ、これぇ……???


【夢で見たイメージをまとめる】

①織田軍は京都から滋賀県を通って岐阜へ向かっていた。
②織田軍の行列は山の中を進んでいた。
③山の中、何者かに襲撃され、織田軍はちりぢりになって逃げた。
④馬で逃げた武将数人は襲撃を受けた際、右に曲がって逃げた。鈴鹿山脈を南下したと感じる。
⑤必死で逃げたが、途中経過はわからない。
⑥織田の武者数人は鈴鹿山脈をかろうじて脱出し、三重県のどこかの小山の上から濃尾平野を見下ろして、「帰ってこれた」と安堵していた。

脳内テキトー地図で感じた
おおまかな場所図

夢に出てきた私の脳内の地図がかなり落書きのような図だったので、正確な位置はわからない。

そもそもすべてがよくわからない夢だった。まず最初に、山の下で、どうして殺された足軽が逆さづりにされていたのか。それがそもそも意味不明だ。

殺された足軽を見たことで信長公は危険を察知して、ふたつに分かれた道を右に逃げた。そして結局逃げ切れて助かったんだ。

ゲリラはわざわざ足軽をぶら下げたことで自分たちの存在を先に知らせてしまった。なんでそんなことしたんだろう……?

後日、友人に電話をしてこの夢の話をしたところ、こう言われた。
「ああ、よくあるゲリラの戦術じゃないか」と。

「うーーーん、ゲリラって?こういうのよくあるの?」

当時、私はまだ三十歳になったばかり。この頃の私は戦国時代がどういう時代なのか、戦争というのがどういうものなのか全くわかっていなかった。今もわかってはいないが、この頃はゲリラという単語の意味もよくわからなかった。

友人はゲリラについて説明してくれた。……が、聞こえなかった。

奇妙なことに、この時私は友人が説明してくれたゲリラの戦術をまったく聞いてなかった。声は聞こえていたんだが、なぜか聞こえなかったのだ。

というわけで、足軽がぶら下げられてた理由はわからない。(ガーーーン!!)

あとで自分なりに考えたが、ゲリラが分かれ道の手前で殺した足軽をぶら下げたのは、織田軍の兵士たちを動揺させて分かれ道であちこちに逃げ惑うようにするためだったのかな?と思う。心理戦みたいなものだ。

ゲリラは、大勢いる織田軍の兵士たちをそのままに戦いたくはないので、お互いが衝突するより前に織田軍の兵力を分散させたい。そこで分かれ道で死体をぶら下げるなどの心理戦を仕掛けて、織田の兵士たちがバラバラになって逃げるように仕向けたんじゃないかな?

そんな風に思った。

そうなると、左右の道のどちらに信長公が逃げるのかは敵にも予測はつかないだろうから、そこはヤマを張ったのかな?

たぶん、この夢では信長公が右に逃げたのは正解で、敵の主力部隊は左で待ってたんだろう。しかし信長公が右に逃げたので、読みが外れたゲリラは慌てて追いかけてきたに違いないけれど……

しかし、そのあと、信長公や織田の武将たちがどこをどう逃げたのか、そこがわからない。おおまかな方角は鈴鹿山脈を南に逃げたことだけはイメージに残っている。

そして気づいたら鈴鹿山脈を脱出して、濃尾平野が見渡せる小山の上に立ってた。ゲリラに襲撃され南に逃げてから濃尾平野を脱出したまでの期間になにがあったのか?そこは夢に出てこなかったのでさっぱりわからない。

そしてなにより、夢で見た私も本当に死ぬほど怖かったこの鈴鹿のゲリラ、彼らが何者なのか、そこも全くわからなかった。


わからないまま年月が過ぎた。ときどきその夢を思い出しては、歴史の本をざっと読むこともあった。私は読書が苦手なので気になる箇所だけ飛ばし読みする程度だが、さて、まったく謎は解けなかった。滋賀県の歴史については、浅井、六角などの大名家の話をチラッと目にしたが、それも気持ちがモヤモヤするだけでよくわからなかった。

もとより私は勉強が苦手で、歴史もよくわからないのだ。23歳のとき、旅先で突然前世の記憶を思い出したことをきっかけに、それ以後日本の歴史の夢を見るようになり、歴史に興味を持つようになったものの、戦国時代は特に色んな勢力が出てきてわけがわからなかった。

友達の家で戦国アクションゲームをプレイしたのが楽しかったので、ゲームで遊びながら武将の名前だけでも覚えようとしたこともあったが、アクションゲームで特に歴史に詳しくなれるわけもなかった。

ただひとつ、ネットで気になる史実は目にした。信長公の『千草越え』というエピソードだ。近江国から鈴鹿山脈を越えて伊勢国に至るルートがあるらしい。信長公がその山越えの最中に杉谷善住坊とやらに襲撃されたという逸話が残っているという。

この千草越えの話をチラッと読んでまず私が思ったのは、「え?なんで関ケ原を通らないの?そっちの方が便利じゃない?なんでわざわざ面倒な山越えなんかしたんだろう?」だった。

「私が見た夢もきっと関ケ原の近くじゃないかなぁ?きっとそうよ」

でも夢の中では、信長公の行列は山道を通っていたが……?

「えーーーっ?だって、関ケ原にも山くらいあるでしょ?あの周辺は山がちだし」

『原』なのに?

「杉谷善住坊?うーーん、なんかよくわかんないなぁ… まぁ、どうせただの夢なんで、史実とは違うに決まってるけど~」

そうだ。これはただの夢だ。だから本当の史実と照らし合わせてどうこう考えるなんてナンセンスだ。


そうして、この夢についてはわからないまま年月がさらに過ぎた。夢を見てから十年と少しが経ったある日、ようやく謎が解ける日がやってきた。

四十二歳になった私は、これまでの人生を改めて心機一転するべく、介護士の資格を取り、老人ホームでの勤務を始めた。その老人ホームでの勤務初日のことだった。昼休み、食堂に職員たちが集まり、食事しながらこんな会話をしていた。

「オレ、こないだ滋賀県に家族旅行に行ったねん。うちの子供らが忍者好きやて言うから忍者村みたいなとこで遊んでな。

そしたらその夜や、家族で写真撮ったら心霊写真が撮れてしもうてな。なんか気味悪いから知り合いの霊能者さんに見てもらったら、『甲賀忍者が写っとる』って言われてな!」

その話を聞いた時、いきなり頭から雷に打たれたような衝撃が降りてきた。

(ああ!あの時のめちゃくちゃ強いゲリラ、甲賀忍者だ!)

(そして甲賀衆に命じて信長公のお命を狙ったのは、近江の六角!)

驚いて、私はその話をしている男性職員の顔を見た。みんなの輪の中、ひときわ陽気で人気者といった雰囲気のこの人は……

『この人は、いったい何者なんだ……!?』


これが私とTさんとの最初の出会い、その日のことである。


ここから、この夢は現実の人を絡めとりながら、近江の浅井と繋がっていくことになる。それはまた次の機会にお話しようと思う。


Tさんとの出会いについてはこちらの記事を↓

Tさんと浅井の家臣にまつわる不思議な話↓



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