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空の援軍【不思議な実話】

私には長い間許せなかった人がいる。

その人は父を担当するリハビリの先生だった。

私が18歳の時、父は脳幹出血による重い後遺症を負った。

医師は言った。
「植物状態が続くと思っていましたが、自力で食事を食べられるまでになるなんて奇跡ですよ!」

父は右手でスプーンを持って口に運んで咀嚼し飲み込むまではできるようになった。

しかしそれ以上は無理だった。

現実の奇跡というのはこの程度なのだ。

歩いて自力でトイレにも行けない。排泄はオムツで、全部家族が交換せねばならなかった。

脳の損傷はあまりにも激しく、のちに他の病院に通院した際、父の脳のCT画像を初めて見た医師が「ええっ!?大事なところが全部だめじゃないですか!!ええーっ!?」と驚きの声を上げた。


奇跡的に助かった父が毎日意味不明な言葉を大声で叫びながら、視点のさだまらぬ目でテーブルの食べ物を探し、スプーンでボロボロとこぼしながら片手で食事をむさぼる姿を見ていると、それ以前の父の姿を忘れそうになった。

父は上品とは言えないまでも、下品な男ではなかった。こんな変わり果てた姿になるなんて…


それが我が父に起きた奇跡の生還劇だった。

私は十代にして、『奇跡』という言葉の限界を見た。この姿こそが奇跡だ。


しかし当時の母はまだこの奇跡に納得していなかった。
「お父さんは普通に話せるようになる!きっと歩けるようになる!自分でトイレにも行けるし、散歩にも行ける。私たち夫婦は、子供が成人したらふたりで温泉旅行に行くのが夢やったんや!」
そう言ってさらなる奇跡を信じた。

そんな母の願望に油を注ぐ人物が現れた。

「そうですよ!お父さん、私もお手伝いしますから、また歩けるように頑張ってリハビリしましょうね!!」

父のリハビリの先生は、会うたびに元気な声でそう言って母を励ました。そう、父ではなく母を、だ。

脳の損傷で頭がおかしくなった父に励ましの言葉など届かない。リハビリの先生は母を励ましていたのだ。

(余計なことを言うやつだ…)

私はこの先生が嫌いだった。
先生の方もそんな私の目に宿る非難がわかるのだろう、ギロっと鬼のような怖い目で、『余計なことを言うのはそちらだ』とでも言うように私を睨むのだ。

この先生の余計な励ましもあって、さらに母は病院にしがみついた。

「リハビリをすれば、お父さんは歩けるようになるんや!」


もう回復する見込みはない、そんなの今の父を見ていたら誰でもわかる。脳が壊れてまともに会話できない人間に、「さぁ、お父さん、足を上げてください」と言っても、本人全然わかってないじゃないか!リハビリの先生が手で父の足を持ち上げるのが精いっぱい。これでどうやって、いつ歩けるようになるっていうんだよ!

(この先生は内心ではわかっているはずだ。父はもう無理だと。なのに、無駄に励ましの言葉を繰り返して母をその気にさせている…)

許せなかった。

当時の私は人の心を読むほどの人生経験はなかったが、この先生の考えていることはなんとなくわかる気がした。

『奇跡が起こらないと知りながら、奇跡を信じさせるようなことを言うやつ』

他人だから、責任を取らなくてもいい立場だからそんな夢みたいなことを言えるんだ。


やがて父は退院し、家に戻ってきた。つまりこれ以上やるべき治療はないと医師に判断されたということだ。私はホッとした。これで、普通の生活に戻れる。ボロボロになった生活をこれから立て直していかなくては…

当時まだ19歳だった私、弟もまだ18歳。二人ともまだまだ子供だった。父が倒れてからめちゃくちゃになっていた私たちの生活。おろそかになった学業。父のことで手一杯で放置してしまった今後の将来のことを、これでようやく考えることができる…

しかし母はこの状況に納得しなかった。「もっとお父さんをリハビリさせなきゃいけないから」と、病院の近くに引っ越すと言い出した。そうすれば頻繁に車椅子で歩いて病院に通える。

「引っ越しって、そんな無駄なお金使ってる余裕ないでしょ?もうお父さんは歩けるようにならないよ!それより、今は私と弟の将来をどうするか本気で取り組まないと、このままじゃお父さんだけじゃなく家族全員共倒れになる!!」

そう言って私は大反対したのだが、母は聞かない。弟はまだ考えが子供で、母親に嫌とは言えない。

それから母と弟による私への嫌がらせが始まった。バイトから帰宅すると、私の大切にしていた書籍や漫画、私の家具の一部が家の外に放り出されていた。

父のリハビリに反対する私に対して、母と弟からは「おまえはお父さんが死ねばいいと思ってるんや!鬼!!守銭奴!!」など、日々罵声が浴びせられた。

私はこの家族と暮らすことに限界を感じ、当時絵の仕事を見つけ始めたこともあり、一人で生きていく道を探すことになった。


母と弟は父を連れて病院の近くにアパートを借りて住むことになった。母は父を車椅子に乗せ、せっせと病院に通いだした。

しかしすぐトラブルが起き始めた。転居したアパートには夜ごと幽霊が現れた。無駄に勝気な母は幽霊と喧嘩してしまい、霊の嫌がらせが始まった。

父のリハビリも私の予想通りやはりなんの進展もない。いつものようにリハビリの先生が父の足を持ち上げて歩く練習をしているつもりになっている。母だけが。

離れて暮らす私の耳に入ってくる母の嘆き…

(だからこうなるって言ったのに!)

私のやり切れない思い、悔しさはわからずやの母だけでなく、リハビリの先生にも向かった。

(あの先生が余計な励ましを言わなければ…)

父はもう歩けない。壊れた頭も死ぬまでおかしいままだ。
わかっているくせに、それを言わない。
明るい未来だけを言う。

(なんの責任も負わないやつはきれいごとだけを言うんだ!)

若い私の心は今にも怒りでつぶれそうだった。
母にも、先生にも、まだ幼稚な弟にも、そしてなにより、悪いのは父の病気であって、本当は誰も悪くないという現実に、私の憤怒は自身を焼いた。


「お父さん、もう歩けないんやて…」

母からそんなセリフを聞いたのはそれから一年ほど経った頃だと思う。絵の仕事のために大阪を離れていた私が帰郷した折に母が言った。

リハビリの先生が、
『もうお父さんはこれ以上やっても歩けるようになることはありません。諦めましょう』
と、ついにそう言ったという。


ビキィッ…!!

私のこめかみの青筋がブチ切れる音がしそうだった。

(あいつ!今頃なに言ってやがる!!)

(あんたの励ましに乗せられて、うちの家族はやらなくてもいいリハビリのために引っ越しまでしたんだぞ!!)

しかも引っ越したアパートは幽霊が出て、母は夜ごと幽霊に「出ていけ、出ていけ」と言われ苦しんでいるというのに…!!

それから間もなく、リハビリに通う必要がなくなった父を連れ、母と弟はまた新たな住居を探して転居した。しかしそこでも上手くいかず、すぐに引っ越した。それから彼らは安住の地を探してその後数年間にわたって流浪した。

(だから最初から引っ越しなんてやめておけと、あれほど止めたのに…)

家族の行く末を思い、深いため息をつく日々が続いた。



「そんなこともあったなぁ…」
あれからもう三十年近く経ったある日、ふとあの時のことを思い出した。2023年、もう私は49歳になっていた。

あの『ありもしない奇跡』ばかり言うリハビリの先生のことは思いだすのも不快なので忘れたことにしていたが、ギロッと鬼のような目で私を睨んだあの先生のことは、やはり忘れられない…

(嫌な目だった…)


そんなことを思い出してから寝たせいだろう。
その夜、夢を見た。


舞台は、戦国時代だ…


屋敷の広間で数人の武士が絵図などを手に、ずいぶん楽し気に話している。知っている顔がひとりいる。この男は、以前夢で見た松永という男ではなかったか… しかし前に見たときより若いように見える。30代くらいだろうか…?松永が仕えた家と言うと、三好…?ここは三好の屋敷だろうか?

松永が武器か兵器について話している。それを受けて、彼よりも身分の高そうな男がなにかの兵器の図面を見せて説明している。

仕事の話というよりは、軍事オタクの趣味の情報交換のようだ。最新兵器や武器の話題で、みな盛り上がっている。広間に座る武士は全員上級武士という印象だ。

そんな上級武士たちの様子を遠まきに見る男がいた。20代くらいの若い下級武士が、広間の端、縁側に面した廊下を歩きながら、上級武士たちの様子をちらりと見て、心で思う。

『人を殺す道具の話がそんなに面白いか!』

『いつも安全なところから部下を危険な戦場に向かわせるだけのおまえたちには、なにもわかるまい!』

鋭い目で宙を睨んだこの下級武士…、知ってるひとだ…

(ああ!リハビリの先生だ……)

(先生の前世だ…)

驚く間もなく、場面が変わった。

緑だ… 山奥にいる…

山の中腹辺りの木々をそっとかき分けて、ひとりの男が木々に隠れるようにしながら少し顔を出した。さきほど見た若い下級武士、リハビリの先生の前世の姿だ。

木々の合間からは周囲の山々が見える。上は青い空。良く晴れた日だ。

甲冑姿の先生の鋭い目が山々をぐるりと見渡して小声で言う。

「やけにしずかだ… だが、すでに周囲の山々には敵が潜んでいるのは間違いない。どこに隠れているか、いや、どこにでもいると思った方がいい…」

振り向いてこう言った先生の言葉を受けて、後ろにいた30代ほどの武士が目を見開いて先生に変わって木々から顔を出し、山々を覗き見る。

どうやら敵に囲まれているということらしい… 彼らはいま、窮地に立たされている。

偵察をしていたふたりの武士は、これから彼らの守るべき拠点に戻るのだったが、いやその前に…

「で、〇〇はどうしましょう?」

30代の男が先生にこう切り出した。〇〇というのは、どこか別の拠点のことだろう。

「〇〇には援軍を送る手配をしている。明日には間に合うはずだ」

「ああ!そうでしたか!!」
30代の男がホッとした顔で先生を見る。

「だから、安心しなさい。我々はひとまず持ち場に戻るとしよう」

30代の男は神様をみるような目で若い先生を見て、うんうんとうなずいた。

「さぁ、行こう」
そう言って、ふと山々を振り返った先生はとても怖い目をした。鬼のような目で宙を睨む…

「さぁ、また元気で歩けるように、頑張ってリハビリしましょうね!」そう言って母を励ましたとき、私の方をギロっと見たあの時の目と同じ…


わかった…

(援軍を送るなんて、嘘なんだ…)

援軍は送れない。

そんな兵力余ってない。

わかってる。

先生だけじゃない、30代の男のほうだってわかってるはずだ。

援軍送れる余裕なんてどこにもないってことくらい、誰に聞かなくてもみんなわかってたんだ!

でもあのとき、
「援軍は送れない。砦にいるおまえの仲間は、家族は、全員見殺しにするしかない」
そんな本当のこと、言えなかったんだ。

言ったら30代の彼はたった一人でも仲間を助けるために行くしかなくなる。無駄に命を散らすことになる。

だから先生は言えなかったんだ。

鬼のような目で、残酷な現実を睨んで『このやろう!』って、心の中で怒るしかできなかったんだ。


先生は知ってた。私のお父さんがもう助からないって。

本当はお母さんも知ってたんだ。『お父さんと二人、子供達が成人したら、いつか夫婦でのんびり温泉旅行に行く』なんて、そんなの無理だって、奇跡なんて起こらないって、知っていたんだ。


みんな、知っていたんだ…

知らないフリをしないと、生きられなかっただけなんだ…

いるはずのない援軍が、いるって思わないと……
生きられなかったんだ…


気づくと、自室の布団の上に私は座っていた。
うつむいて黙り込む私と向き合って、甲冑姿の20代の武士、前世の先生が座っている。

私はなにも言えない…

先生もしばらく黙ってから深いため息をついて横を向いた。

そして、こんなことを言った。

「大阪城の近くに、✕✕という建物がある。聞いたことはあるだろう?」

「…大阪城? ✕✕…?」
いきなりなにを言い出すのか。この先生の前世はおそらく三好の家臣で、年齢的にも豊臣や大阪城とそれほど関係あるようには思えないが…?

「✕✕という建物にな、豊臣の家臣の霊たちが集まっている。彼らはそこを砦だと思っているのだ…」

「え…?」

「死後も戦い続けているなんて、あまりにも憐れだ…」
先生はそう言って悔しそうに眼を閉じた。

それと同時に私の目の前に建物の映像が見えた。✕✕という建物の階段の踊り場に立っている鎧武者の姿…


夢から目覚めた私は布団の上に横たわっていた。

「大阪城… 今も戦う、豊臣の武将たちの霊…」


先生に行けと言われた気がした。

「行け!」


(まったく…、せわしない先生だ…)

(長年の心のわだかまりを、整理する時間もくれないとは……)

ハァ…とため息をついてから、私は床に転がっていたスマホを手に取り、夢で先生から聞いた建物の名を検索した。



からの援軍』了




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