見出し画像

【不思議な実話】私の夢供養❷

まぶしい社殿

夢で指示された通り根津神社にやってきた。住宅街の中にあるにしてはずいぶん立派な石柱が建ってある。赤い鳥居にも心なしか品格を感じる・・・・。

「おおっ、これは、なんかすごいな・・・!」やっぱり東京では名の知れた神社なんだろう。鳥居をくぐり進んでいくとこれまた可愛い橋があり、その向こうに朱色の美しい楼門がある。

なんて優美な神社なんだろう・・・・。綺麗なだけじゃなく力強い男神の存在を感じる。なにも調べずやって来たが、ここは女性向けのパワスポなのではなかろうか?あまりにも朱色が艶やかだ・・・・

「わぁ、綺麗だねぇ?お母さん!」母の方を見ると、母はまだ硬い表情のままである。文句こそ言わないが、母はここに来たことにまだ納得してくれないらしい。うーーん、まぁ、それを言うなら私もなんでここに来たのかわからない。だが、夢で示された通り祈願したいのだ。

そうすればきっと何かがわかるはずなのだ──。

朱色と黄金がまぶしい煌びやかな拝殿の前に立った。うわぁぁぁ・・・、圧倒された。なんて華やかなんだ・・・・ こんな凄い神社に呼ばれたなんて、不思議すぎて戸惑ってしまう。いや、待てよ?呼ばれたわけではないのか?私はただ「この神社に行け」と言われる夢を見ただけなのだものな。

場違いなところに来てしまったような気もする。

いや、そんなことはない。夢で見たのにはきっとなにか理由があるんだ。ちゃんと祈らなくては。フゥ〜ッ!と深呼吸して、姿勢を整え、深く頭を下げた。


自己紹介

『はじめてお参りさせていただきます。私は大阪から来ました・・・・』

まず心の中で自己紹介をした。ここに来た理由を神様に説明しなければならない。

『私は生まれも育ちも大阪です。23歳の頃から長年、不思議な夢に悩まされてきました。現在45歳です。若い頃は漫画家を目指していましたが、この夢がきっかけで漫画が描けなくなりました。この夢は呪いであり、同時に私を導く道標でもあります。先日”根津神社にて祈願すべし“との夢を見たので、本日参拝致しました』

そう。自分でも忘れそうになるが私はもとは漫画家志望だった。編集者のもとで勉強する身だった。─でも描けなくなった。

いや、もともとストーリー作りが苦手で挫折しかけてはいた。だが少しは描けていたのだ。プロになれずとも同人誌を作ることは充分できた。しかしそれすらも出来なくなった。23歳のあの日、友達に連れられて行った旅行先で、前世の記憶の断片を思い出してから、私の頭はおかしくなってしまった。

いや、最初に前世を思い出したときは嬉しかったのだ。この体験はきっと漫画のネタにできると思った。だから翌日行った日光東照宮では「漫画家になれますように!」と力いっぱい祈願したのだ。しかし・・・・しかし、そんなに甘くはなかった。

旅行から帰った直後から、奇妙な夢を見るようになった。かつて僧侶だった自分が弟子たちに看取られて死んでいく臨終場面の夢に始まり、数日後には夢に現れた謎の僧侶が「維摩経、法華経、◯◯経」と、三つの経典を私に指し示して消える。謎掛けのような夢が何日も続くようになった。

あるいは遠い昔の日本の夢を見るようになった。邪馬台国が生まれる前、倭国大乱のような戦争の夢を見たかと思えば、平安時代、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代と、次々に夢を見た。比叡山にいる僧侶だった夢を見たかと思えば、次の夢では都に降りてきた僧兵たちと戦う兵士になってる夢を見る。かと思えば比叡山や本願寺と戦う武士団にいる夢を見る。

夢を見るたび、時代がコロコロ変わる。私の頭も混乱する。

二十数年間にわたってそんな夢が続いた。

夢の中の私は小さなクニの王族の人間だったり、僧侶だったり、武士だったり、あるいは僧侶の姿をしたスパイだったりもした。

起きている間にも記憶の断片が蘇えることもあった。電車に乗っていて、車窓の景色を眺めている時ふいに、『ああ、謀反!・・・謀反のことが、ほんとうに心残りだ!!』と悲しみが溢れてくる。なんの謀反かわからない。わけがわからないのに感情は振り切れる。

そして心霊現象・・・・ 私の身の回りに怪奇現象が起こるだけで収まらず、私の夢に出て来た謎の僧侶が友人の前にも現れる。病気の父やその介護をする母にまで、私の隣に僧侶がいるのが見えたりした。

これらの夢や体験は私を混乱させるばかりで、およそ漫画のネタにできるものではなかった。


ストーリーは作れない

たとえばある日こんな夢を見た。戦国時代の頃だ。10歳くらいの少年と少女が手を繋いで立っている。二人は双子で、武士の子だ。二人は可愛い声を揃えて言った。

「食べ物のありがたさ、籠もってわかった はなだの城」

双子はこれくらいの年齢の頃、戦争のために『はなだの城』に籠城したことがあるらしい。やがて成長して立派な武士と可憐な乙女に育っていったようだ。双子の名前は「布都ふつ」と「布留ふる」と言った。幼名か、もしくはあだ名みたいなものかも知れない。戦国時代にしてはそれより古風な響きのように感じた。

その後、私は彼らの言っていた『はなだの城』を探してみた。ただの夢とは思えなくて、半信半疑ながらも探したのだ。十年以上も探した。

最初は「“はなだ”というのは、きっとその城の城主の苗字だろう」と思ったのだが、それに該当しそうな家が見つからなかった。「では、“はなだ”という地名か?」と調べたがこれもわからなかった。

(なーーーんだ、ただの夢か。)

ガッカリだ。私の見る夢はこんなものばかりだ。なんのストーリーもオチもない、ただの断片ばかりだ。

しかし、それ以降も時折双子は夢に現れる。彼らがなにを言いたいのか、まったくもってわからない。私自身がわかってないのに、こんなくだらない夢を元に漫画のストーリーは作れない。

ストーリーが作れないなら漫画家にはなれない。最初からわかってた。前世の記憶を思い出したからと言って、苦手なストーリー作りができるようになるわけがなかった。夢を見ていたんだ。漫画家に憧れたのも、前世の夢を見たことも、全部夢だった。

今日、根津神社に来たのも結局それだ。この長年にわたる奇妙な夢の示すままに来てしまった──

『私に記憶力を授けてください』

祈った。

祈るしかなかった。

私が長々と祈っている間、母が朱印帳を書いてもらってきた。

力強い字を書いていただいたのを見て納得した。とてもパワフルだ。やっと少し笑えた。よし、これでいい。ではここらでお暇しよう。まぶしい拝殿に向かって、また深々と頭を下げた。

昼には浅草を観光した。ずっとテレビでしか見たことのなかった雷門にはしゃぐ母。天ぷらを食べたり、あわぜんざいを食べた。お土産も買って嬉しそうな母をたくさん見た。長年、姑や、病気の夫、実母の介護で苦労しっぱなしだった母に、旅行をプレゼントできて本当に良かった。

満ち足りた思いでその夜はホテルのベッドに身体を沈めた。

その夜のことだ。たぶんそこから、私の物語は始まった。


↓次回のおはなし

↓前回の記事

↓最初から読むにはこちら

応援していただけるととても嬉しいです!