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【不思議な実話】私の夢供養❶

(まえがきはこちら↓)


はじまりの根津神社

数年前のある日夢を見た。2019年6月のことだ。

夢の中で声が聞こえた。威厳のある男の声はまず、「ねづじんじゃ」と言った。

眠る私の脳裏…いや、目の前に筆で書かれた文字がひらり広がった。

『根津』と書かれてある。

男の声は続けて強い声で言った。「根津神社に行き、記憶力の祈願をせよ!」

「はっ…!」
そこで目が覚めた。

「根津神社?」初めて聞く名だ。寝ぼけた頭で、しかし忘れてはなるまいと布団からスマホに手を伸ばす。手にとって先ほど夢で示された神社の名前を打ち込む。

『根津神社』の検索結果がズラリと並んだ。「あぁ東京、かぁ、予定が増えたなぁ…」ふぅとため息が出た。

数日前から私は東京旅行の予定を練っていた。10日後には母と二人、のんびり浅草などを散策したのち、大田区に住む友人と会うつもりだった。そこにいま『根津神社』が割って入ってきた。

東京では有名な神社なのだろうか?生まれも育ちも大阪の私には、まったく初めて聞いた神社だ。しかも唐突なことに、『夢』はそこに行けという。

記憶力の祈願のために。

「記憶力?」はて、なんで今さら記憶力なんぞを願えと言うのだろう。まぁ、そう言われてみれば、私は生来もの覚えが悪い。勉強だけではない、人の顔を覚えるのも苦手だ。学生の頃は仲良しの同級生、「いっしー」の顔を忘れて、全然違う他の子に「ねぇ、いっしー?」と声を掛けたこともあったほどだ。

視力は両目とも3.0近くあったので人より見えているはずなのだが、大好きな友達の顔すらよく覚えていなかった。嫌いな勉強なら、なおさら覚えられるはずもなかった。

とくに興味のないことは何度聞いても覚えられない。先ほどの夢が示したように、根津神社に参拝して記憶力が上がるのならば、それはそれでありがたいことではある。

ただ、それならいっそもっと早く、受験を控えた学生時代や、資格試験の前であればありがたかったのだが、なんで今なんだろう?

この頃、私は介護士として忙しい日々を送っていた。現状に満足しているので、今後上を目指して資格試験を受けるつもりもない。

そんな私に記憶力の祈願をしろと…?

いや、まぁ、いいか。祈願しろと言うなら行った方がいいのかもしれない。誰が言ったのかもわからない、ただの夢の話ではあるが──。

十日後の東京旅行の予定に、根津神社参りを加えた。どうせ行くなら早いほうがいいと、上京初日の午前中に、そこに行くこととした。

旅行当日

その日、早朝大阪を出た母と私は新幹線で東京駅に降りたった。皇居周辺をしばし見物したのち、まっすぐ根津神社へと向かった。

母には「夢で見た神社に行くよ」とあらかじめ説明しておいたが、「ふぅーん?」と言うだけで、母はピンと来ていない様子。それもそうだ。「夢で見たから」と言われて、知らない神社に連れて行かれたら、誰だって「ふぅーん?」と言うしかないだろう。

黙って付き合ってくれるだけ、うちの母は優しい方かもしれない。まぁ、母は慣れてしまったのだ。なにせ私が「夢で見た」話をするのは、昨日今日のことではない。もうかれこれ二十数年続く、我が家の日常風景なのだから。

二十数年前、まだ私が23歳だったとき、友達に連れられて行った旅行先で強烈なデジャヴを感じて以来、私の見る夢は変になった。


数百年、千年、二千年、遠い昔の夢を見るようになった。あるいは古い地名や人名などを指し示す声や文字が夢に出てくる。

初めの頃は、ただの夢かと思っていたが、どうやらそればかりでもない。夢に出てきた古い人名を調べてみると、実際にそのような人がいたという史実に行き当たることもある。

夢で見た出来事を調べていくと、それと似たことが書かれた古文書が存在することに行き当たったこともあった。

人に話せば、「どうせ歴史ドラマを見たり小説を読んで、事前に知っていた歴史の話を夢に見ているのだろう」と疑われるだけで信じてはもらえないが、私はそれらの夢をなんの予備知識もなしに見ることが多い。

23歳のあの日、友達と旅行に行ったことを境に、私の見る夢はそうなってしまったのだ。

この夢は普通の夢ではない。私が一番よく知っている。

根津神社の夢を見たのも、おそらく普通のことではない。なにかがこの先にある。

そう確信して、私はその日根津神社の参道をめざした。



↓次回のおはなし

↓前回のおはなし(序文)

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