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【不思議な実話】私の夢供養❸

首の夢


あれは私がまだ二十代の頃だったか…

ある日夢を見た。夢の中の私は自分の部屋にいた。部屋から出て台所へと続く廊下に出たとき、そこにそれはいた。

男の生首だ。

私は不意の出会いに動揺し、「あぁ…!そんな…」と震える声を漏らした。

「あんた、なんでそんな姿に…、いったいどうしちゃったの!?」

私の問いかけに、生首は少し申し訳なさそうに応えた。
「あっ?ハハ…!いやぁ、まぁ、…うん、大丈夫だ」
少しおどけたように首は笑う。

「大丈夫なわけないでしょうよ!そんな、首だけになって…」

不憫さに涙が込み上げる。なんて憐れな姿だ…、可哀想な、可哀想な私の首。

この生首は私だ。これは私自身の、いや前世の私の首である。なぜかそうだとわかるのだ。

「いったいなにがあったのよ?なんでそんな姿になったの」

首は笑顔を解き、宙を見つめて言った。
「オレもかつては戦で多くの人を殺めた。そんなオレにも巡りめぐってついに自分の番が来ただけだ。」

「……。」
私はにじむ涙をこらえながら、私の首の言葉を聞いた。

「オレがこれまでやってきたことを思えば、こうなったからと言って文句を言える立場じゃない。仕方ないんだ。」

「仕方ないんだよ…」

首は諦めと贖罪の思いに目を伏せて、かすかに微笑んで口の奥で言った。

『これでいいんだ…』

東京の夜


根津神社で記憶力の祈願を無事に終え、浅草観光をした私達母娘はへとへとに疲れてホテルのベッドになだれこんだ。

明日は母の希望通りディズニーランドに行って、最終日には大田区で友達に会う。

なんて充実してるんだろう・・・・。これまでの辛かった日々が嘘みたいだ。

母と私は、長年自宅で家族の介護をしてきた。最初は病で寝たきりの父の介護。父の死から間を開けず、次は母方の祖母の介護。自宅での介護は休みのない日々だった。

しかし、この東京旅行から半年ほどまえ、祖母が101歳の大往生を遂げた。

笑顔で旅立つ祖母を見届けて、ようやく母と私は念願の旅に出た。久しぶりに富士山を見たり、初めて久能山東照宮を参拝した。行ってみたかった名古屋城にもやっと行けた。

あるいは私一人で岐阜城や安土城にも登り、念願だった敦賀の金ヶ崎城にも行けた。長年ずっと行きたいと願っていた場所にようやく行けたのだ。

そしてこの日も旅行だ。母と私は東京のホテルで寝転がっている。ふかふかベッドに身を沈めると、すべての苦労が報われた思いがした。もう、私たちは自由だ。

長年の介護の苦労も、夢に挫折し打ちひしがれて過ごした日々も、今この時の幸せのためにあったのかもしれない。

(すべての苦労はどんなに年月がかかろうとも、いつかは必ず報われるんだ…)

そう無邪気に思いはじめた私を暗闇の向こうで誰かが笑って見ていた。


『すべての苦労は報われる?』

『・・・・・・・ほんとうに?』

いそのかみの亡霊

きれいな白い髪だった。

真っ白の長い髪。

老婆、・・・のようだが、いや老婆じゃない。おばあさんと呼ぶにはまだ少し若い婦人だが、年齢にしてはずいぶん真っ白い髪だ。

上流階級の貴婦人が着るような装いをしている。羽織っている豪華な刺繍入りの小袖?のような上着が炎のように朱い。(あとで調べたところによるとこの装束は『打掛姿』というものかもしれない。)

可憐な朱い服と、非業な白い髪のコントラストがアンバランスで滑稽だが、それがやけにもの哀しい。

刻まれた眉間の険しい皺には、壮絶な心労と疲弊が見て取れる。しかし彼女の両眼はギョロリと正面からこちらを見据えてきた。

「許すまいぞ・・・・!」

「決して、どうあろうと許さぬぞ・・・・」

ゴオッ・・・彼女の背後に炎が見える。

「なぜじゃ・・・・、なぜこうなった・・・」

「我らは“いそのかみ”であるぞ!」

「"いそのかみ"が、なぜ、このような憂き目に遭わねばならぬ?」

(いそのかみ?)

私の脳裏にイメージが見えた。

(『石上』と書いて”いそのかみ“という)

(とても身分の高い武士の家)

(古くは奈良・石上神宮の神官だった一族を祖先とあおぐ・・・)

(しかし、滅亡した!)

(みんな殺されてしまった!)

ゴオオオオオオオオオオオ・・・・・・!!燃え上がる・・・!!すべてがあかい!!

「おのれぇ・・・、武田信玄ーー!!」

「絶対に、絶対に、許さぬぞーー!!」

ゴオオオオオッーーー・・・・・・!!!!

「ゆるさ ぬ・・・・・ぞ・・・」

声は次第に遠くなり、その姿はホテルの白い壁に吸い込まれるように消えていった。

いそのかみの一族


「・・・・・ーーーッ!」あまりに激しい情景に息を呑んで、私はベッドから飛び起きた。

「ハァッ・・・・・!」

夢を見ていた。ここはホテルのベッドの上。そうだ。私は母とふたり、東京旅行に来ている。

「い、…いそのかみ?戦国時代の武士の一族!?」

初めて聞いた武家の名だ。どこの家だ!?身分が高そうだった。実在するのか?

「ハァッ・・・!ハァッ・・・!」まだ呼吸が乱れる。ひどく動揺している。

凄まじい怨念だった。こんなきつい怨霊、普段ここまでのものはなかなか見ない。あの貴婦人の言葉通りなら、彼女の一族は武田信玄に滅ぼされたようだ。

寝る前につけておいた薄暗い間接照明を頼りにスマホに手を伸ばし、検索欄に単語を打ち込んだ。

石上いそのかみ、武家、戦国時代、武田信玄、滅亡・・・・”

先ほど夢に出てきた言葉のイメージを交互に打ち込んでいき、やがていくつかの記事にたどりついた。

(あった!)

(これか?)

戦国時代、上野長野氏という一族があったようだ。大身たいしんの武士とある。大身とは身分が高いことを言うらしい。彼らの本姓は在原氏とあるが、当初は物部氏系の石上いそのかみ姓を名乗っていたとも言われているようだ。

・・・ビリビリ来る。この一族かもしれない。

『上野長野氏』と書いて、『こうづけながのし』と読むらしい。大阪出身の私はとっさに大阪府の『河内長野市』という地名を思い起こした。もともとの地名は『長野町』だったのだが市名にする際、『長野県長野市』との混同を避けるために旧国名を冠して『河内長野市』としたらしい。

この『上野長野氏こうづけながのし』の”上野“もたぶん旧国名だろう。”上野国こうずけのくにの長野さん“みたいなことか?おそらく他の長野氏との区別を付けるためにそう呼んでいるのだろう。

戦国時代の歴史についてはあまり詳しくは読みたくないので、ざっと流し見るに留めたが、上野長野氏について検索すると、”上野国、箕輪城みのわじょうの城主だった箕輪長野氏が武田信玄による西上野侵攻によって滅ぼされた”との内容が書かれていた。

ズバっと直感が降りてくる。絶対これだ。間違いない。

先ほどの石上いそのかみと名乗る白髪の貴婦人の亡霊は、きっとこの長野氏の人だ・・・・

しかし、上野国というのはどこのことだ?

「群馬県?か・・・行ったことがないな」

「箕輪城・・・・? 武田 信玄・・・」

薄暗いベッドの上で背中を丸めスマホをにらむ私。小さなツインルームの室内には母の安らかな寝息だけが響いていた。


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