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【不思議な実話】私の夢供養❹


ミッキーぎらい


翌朝、母と私はディズニーに行った。実はこの日、私たちはディズニーで弟夫婦と待ち合わせしていた。母にとっての可愛い孫たちも一緒である。

この旅行に出る数日前、弟家族も偶然同じ日に東京旅行を計画していたことがわかり、急遽みんなで一緒にディズニーランドに行こうという話になった。母はずっと以前からディズニーランドに憧れていたので、孫たちも一緒だと思うとさらに喜んだ。

私はというと、乗り気ではなかった。むしろものすごく行きたくなかったのだが、母や弟の気持ちを思うと嫌とは言い切れず了承した。

今この記事を書きながら思い起こすと、あの日偶然にも弟たちと同じ日に東京に行くと決まっていたことは、いわゆるシンクロニシティというやつであった。

ディズニーランドに到着した私たち母娘は、無事に弟家族と落ち合い、早速園内を散策した。楽しげな人々の姿を見ると、ミッキーマウス嫌いの私も自然と笑顔になる。

そう、私は幼児の頃から、あの黒いネズミが苦手だった。しかし、実際に来て嫌な顔はできない。ミッキー嫌いなんて今日は忘れて、せっかく来たのだから楽しもう。

そう思い始めた時だった。私が盛大に転んだのは。

思いっきり転んだ。

めちゃくちゃ痛かった。

鋪道のペイントされた石畳が、朝方降った雨に濡れて滑りやすくなっていた。こうして、ミッキーぎらいの私に新たなトラウマが刻まれたのだった。

その翌日、旅行最終日。

大田区で友達に会った。昨日転んだ足の痛みはずいぶん良くなっていた。古民家カフェで友達とのんびりお茶をしながら、昨日の私の身に起きた不幸を友達に話した。

「ディズニー嫌いの女なんているんだ?めっちゃウケるんですけど!?」と友達は笑った。

「ハハハ……、そう?ミッキー嫌いな女って、そんな珍しいの?」

うーーん…?

私はたまに趣味が変わってると言われるけど、やっぱり変わってるのかな?

そういえば私は子供のころ、光GE〇JIに夢中な同級生たちに混ざって、ひとり『私は少年よりもっと大人のお兄さんたちの方が好きだなぁ~』と思っていた。

もしかするともともと趣味が渋いのかかもしれない。子供の頃は真田広之さんがなんとなく好きだったし。二十代の頃は椎名桔平さんがなんとなくカッコいい!と思ってた。映画・GONINとかほんと良かったなぁ~~、あれは出てる俳優さんたちが渋さ漂う大人の男性ばかりで。あ!…でもこれはごくありふれた普通の女の感覚だよね??GONIN、ちょっとばかりグロいけどね?

でもまぁ、ミッキー嫌いっていう点は、やっぱり私の趣味は変なのかも?実際に行ってみたディズニーランドは明るくて良いところだと思った。

ここはもう転んだトラウマを忘れて、良かった思い出にしたいところだ。


日蓮上人の夢


私が友達と会っている間、母は一人、池上本門寺にいた。友達とのお茶のあと、私も本門寺に行き合流した。実は私のこの旅行の一番の目的はこの寺に参ることと、さきほどの友達に会うことだった。

これよりひと月ほど前、かつて日蓮上人がこの池上の地でお亡くなりになったという夢を見た。その直後、池上の近くに住んでいる友達のことも夢に見た。それで私は東京に行くことを決めたのだ。

その後そこに加えて、根津神社に記憶力祈願に行くことになったり、弟家族とシンクロニシティが起こりみんなでディズニーランドに行くはめになるとは思いもしなかった。

あとにも先にも、こんなに予定外のことが加わった旅行は初めてだ。しかし、これからのちに私に起こった出来事を思うと、それら全てが大きなうねりとなって集約し、その後の私の行く先を決めたように思う。

参道で食べたくず餅

中世戦国時代の夢


私が日蓮上人の夢を見たことは、私にとってはなんら不思議なことではなかった。なぜなら私は、幼児期に母親から日蓮上人の絵本を与えられ、それを読んだことがあったからだ。日蓮上人が池上で亡くなったことはその本に書いてあったので、それを大人になって夢に見たのだろう。

戦国時代、「南無妙法蓮華経」と書かれた軍旗を掲げて戦う武士だった。そんな夢も何度か見たことがある。「南無阿弥陀仏」の本願寺とは敵対関係にあり、一向一揆と長く戦争をしていた。そんな中世の宗教戦争の夢を見る原因にはさすがに心当たりはない。

私は、自分の前世が織田軍の武士だった…、かのような夢を長い間数えきれないほど見た。


なんの因果か


東京旅行から帰宅した私は、ホテルで見た戦国時代の貴婦人の亡霊のことを思い返していた。

「武田信玄、ねぇ……?」

好きな名前ではない。

これまで何度もこの人にまつわる嫌な夢を見た。若い頃は嫌いな名前ではなかった。むしろ尊敬すらしていたのだったが、歳をとるにつれて信玄にまつわる嫌な夢を見るようになった。織田信長公が信玄に散々騙されて利用されたという、織田軍にとっては心底悔しい夢だった。まぁ、そのぶんあとで徹底的に復讐したわけなので、この上恨みを言葉にするのは控えるべきだが…

ホテルで出てきた貴婦人の怨霊は、「一族を武田信玄に滅ぼされた」と恨みを語ったが、まぁ、彼らが信玄にどんなことをされたのか、何度も信玄の夢を見てきた私にはなんとなく想像がつく。

『信玄の人心操作術に仲間が引っかかって次々と離反者が出たんだろう……。思わぬ内通者も出て、卑怯な工作もされたんじゃないかな?気づいたら仲間を失い兵力が少なくなったところを攻め込まれてどうすることもできなかったのだろう……』という想像が浮かんでくる。

気の毒になぁ……

「しかし、なんでうちに出てくるかねぇ?」

そもそも、武田信玄を恨む怨霊が私のところに出てきた理由がわからない。武田家のご子孫のところに出るならわかるが、私は全く関係のない庶民の子だ。私の前世についても夢で見たところ、おそらく織田軍の人間だったろう。つまり武田を恨む怨霊が私を恨む理由はないはずだ。

恨みで出てきたわけでないとしたら、なんなんだ? うーん… それもわからない。正直わかりたくもないが…

私は武田のことは深掘りしたくない。もともと歴史を学ぶ気がない上に、さらに武田のこととなると学ぶ気が起こらない。私は武田の領国がどこなのかすら知らない。「武田は甲斐国•山梨県だよ」と何度言われても忘れてしまう。「武田って信濃だよね?」と間違ったことを思い込んでいる。

私は物覚えが悪いので、何度も同じ間違いをする。

「わたし、信濃だけには行きたくないなぁ。もしわたしが信濃に行ったら、織田に滅ぼされた武田の家臣の怨霊がそこで待ってる気がするんだもんなぁ?」と、これまで何度もそうぼやいてきた。

その度に、「アレ?武田って信濃じゃなくて甲斐なの?あ、そうだったね、忘れてた……」となる。

これほど記憶力の悪い私だから、根津神社で記憶力祈願をすれば、もうちょっとかしこくなれるかと思ったのに、蓋を開けてみれば武田を恨む怨霊が出てきただけだった。

つまりこういうことだ。『神の世界の記憶力』というのは、時間や個人の壁を超えた無限の人類の記憶のことなのだろう。私は根津神社でたしかに授かったのだ。遠い戦国時代、武田に滅ぼされた一族の『記憶』を。

「たしかに『記憶』は授かったのかもしれんが、こんな『記憶』かよ……」と、ちょっとため息が出た。



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