歳差運動2-④

冗談でも飛ばして仲良くなっておけばよかっただろうか?教室へ急ぎ足で戻る最中に考え込んだ。

あの校長は本心から言ったのだろうか。俺はあの校長の経歴は全く知らない。     紆余曲折ありの苦労人か順風満帆のキャリアかによって、彼女の皮相の下に隠れた本音はおよそ見当がつく。

直接関わっていなくても本人を知ることはできる…

教員世界には頼りになるアナログ的情報手段がある。                風の便りや噂話だ。インターネットの電波のようにそこら中に満ち満ちている。

シックスディグリーズという言葉を聞いたことがあるが、閉鎖的な教職員世界なればたったの三人介せばリサーチしたい教員の毀誉褒貶を引き出すことができるだろうよ。価値観の枠の狭い世界に生きる学校では誹謗中傷の類いの噂が渦巻いている。特にマイナス評価は尾ひれがついて人から人へ伝播するたびにモンスター化していく。しかも教員同士のネットワークは強固で崩壊しがたく、たった一度だけ負のレッテルを貼られただけで自ら剥がすことが困難になる恐ろしい世界である。

一般の先生たちにとって管理職は敵か味方の択一的存在だ。天見校長は自分にとってどちらになるか、極めて重要な命題である。

それにしても、校長から褒められたことはとんと記憶にない。何しろ、今まで同じ屋根の下に暮らした校長はほとんどが悪の権化か昼行灯のようなとんでも校長ばかりだったからだ。

酒を飲むと途端に酒乱になり目の前の部下に罵声を浴びせまくるパワハラ校長、いつもカメラを首から提げ女子児童ばかりにねらいを定めてシャッターを切っていたロリコン校長、多弁だが偏見に満ちた教育論を職員に押しつけるサイコパス校長など。      そんな校長のもとでは、たとえいいことをしたとしても認められず、苦難の道をひたすら歩まされる。

そんな苦行僧のような試練の道を歩んできた。そのせいで、俺は癌探しのレントゲンのような存在になってしまった。      一度だけ管理職登用試験にチャレンジしたことがある。そのため粉骨砕身、刻苦勉励の日々を送った。こいつらのような校長に学校は任せられないとして…         そして絶望したのだった。

いくら努力しても登用する側のニーズとなりたい側の能力に齟齬があるのならばやむを得ない。しかし、趣味や娯楽に明け暮れている人間や他人や学問を軽んじる人間が、指ぱっちんをしただけでいとも簡単に登用されるのは見過ごせない。そもそも学校教育は民主主義の精神が根底にあるはずだ。それを公平公正とは対極に位置するような手段で乗り越えようとする人間が上司になっている。

残念なことに努力や学問に関わりたくない人間が特別の船賃を出して深くて暗い川を渡っている。そして安全輸送、高速輸送になればなるほど料金が高くつきそれを支払う。

このような人間が学校の至る所に蔓延っている。それが病巣となり現場の教師を蝕んでいるのだ、バカヤロー!