歳差運動3-③

主催者、つまり教育委員会の教育委員長が露を払った。

何を言っているのか意味不明だった。学校教育で使われている美辞麗句の羅列にしか聞こえず、胸に迫ってくるものが何もなかった。学校現場の課題と道徳の授業との関係性についての理念らしきものがどこからか拝借してきた付け焼き刃の急こしらえの感じがして、この立場にある教育者としての力量に疑問符をもたざるを得なかった。        講師として文科省から派遣されてきた官僚に、なぜ今道徳の教科化が必要なのかガツンと自分の思いをぶつけてもらいたいと思った。現場で子どもと直に対峙している俺たちの苦労を微塵も披瀝しない(学校訪問などで目の当たりにしているはずだ)姿勢に、やっぱり大きな権力の方を向いて仕事をしている人なのだと確信し、ますますヤル気を失った。                  俺たちの生々しい現場の声を門前払いし、あるいはフィルターで濾過して美しい言葉に換えて国に報告しているのだろう。

続いて横綱が土俵入りした。       その受信者のひとりの講演が始まったのだ。

いきなり聞いたことのない横文字が出てきた。愕然とした。            そんなことばの意味を知らなくても小学生相手の学校では一向に差し支えないし、知ったところで俺たちの指導力が急にあがるわけでもないし…

と愚痴っていたら案の定睡魔が襲ってきた。

初等教育中等教育局教科書課からやってきたというこの講師、旧帝大か有名私大出のエリートなんだろうよ。俺たちのバカさ加減を見下し、訳の分からない横文字を一発目にかまして煙に巻くつもりなのか。現場で求めてるものと話の内容とが完全に乖離している。たとえそれに気づいているとしてもそんなのお構いなしだよ。しかもそれを抑揚のない一本調子でやるもんだからますます眠くなってくる…

この人の役目は車でいうと設計士か整備士なんだろうよ。こっちは車の動かし方、運転の仕方を聞きたいのだ。それがあちらさんは内燃機関の構造や車が動く仕組み、点検項目を教えようとしている。必要なときにはマニュアル書を読めという。俺たちは安全な運転の仕方やエコドライブの仕方が聞きたいんだよ!

英語で奏でるムード歌謡のようなBGMに包まれ俺の瞼はますます重たくなった。

頭の中では道徳的価値とか道徳的心情とか道徳的実践力とか葛藤とかゆらぎなどというピースが、ピタリとはまる四角や星形の枠を探して勝手に動き回っていた。       もっと大きな枠でできているならどこにでもみんな当てはまるのになあ…

と、不随意筋の作用で頭がガクンと急降下した瞬間、ハッとして目覚めた。


~続く