見出し画像

「アイス」が、少しずつ小さくなる国で、生きていくということ。

 100円クラスのカップで、ジャンボという形容詞がついているバニラアイスがあって、になると買って、ヨーグルトにまぜたり、炭酸の飲み物に入れてフロートにしてきた。ソーダを入れる時、泡がたくさん出て注ぎにくいと思いながらも、デザートとして楽しんできた。それは、ちょっと幸せな時間だった。

ジャンボなアイスが、ジャンボではなくなってしまった……。

 だけど、チョコレートが小さくなるのと同様に(リンクあり)、アイスも小さくなってきて、最初は、たしかに、ジャンボ(本当はあいさつの言葉らしいのだけど、ジャンボジェットという名称もあって、大きいという意味合いで使われてきた)だと思っていたアイスのカップは、徐々に小さくなって、もう「ジャンボ」とはいえないのに、その名称が「ジャンボ」のままで変わらないことに、微妙な悲しさもあって、そのカップを買わなくなってきた。

 値段があがるのではなくて、同じ値段で、容量を小さくして、しのいでいく。
 それが、もう何年も続いているのか分からないのだけど、それは、分かりにくく下降線を下っていくような、そんな悲しい状態に感じている。

すかすかになったホットサンドメーカー

 値上げをする時は、おそらくもっとはっきりとした発表なりインフォメーションがあるはずだけど、値段は変わらずに量が減るというのは、実質上の値上げにも関わらず、気がつきにくい。

 だけど、確実に満足感みたいなものが減っているだろうし、もしかしたら、たとえば一回あたりの食べる量が変わらないとすれば、小さくなった品物だから、より数を買うようになるわけだから、油断をすると、さらに貧乏になっていく、ということだと思う。

 同時に、その「小さくなっていく」ことが、一回ですむわけではなく、極端な表現をすれば、毎年のように小さくなっていくわけで、それを、はっきりと値上げをした、という自覚なく、だんだん小さくなっていく商品を買い続け、受け入れていくことで、なんとなく、気持ちまで縮小していくから、精神的にもあまりよくなくて、覚悟なく沈んでいくような、あいまいにダメな人間になっていくような気がする。

 ラジオで聞いたのか、どこかで読んだのか、忘れてしまったのだけど、この「目に見えにくい貧乏」に関わることで、一番、うわ、と思ったのが、ホットサンドメーカーの話だった。今は、少し記憶が薄れて、詳細は違っているのかもしれないけれど、大まかなところは合っているはずで、こんな話だった。

 以前、ホットサンドが好きでよく使っていた人が、久しぶりに、ホットサンドを作ろうと思って、ホットサンドメーカーを、棚の奥から取り出した。そして、買ってきたパンを入れたら、小さくてすかすかだったので、うまくいかなかった。年数がたつうちに、おそらく少しずつだろうけど、値段を変えずにサイズを縮めることで、メーカーとしては乗り切ってきたのだろうけど、それは、何年かたつと、目に見えるほど小さくなっていた、ということらしい。

 それは、やはり、ちょっと悲しくなる話だった。

ゆっくり沈む船

 何年か前、明らかに優秀で、若い人と話した時に、いろいろなことを会話したあとに、できたら、早く今の社会は、いったんダメになってほしいんです、みたいなことを言っていた。

 それは、さらによく聞くと、傲慢で残酷な意味ではなく、今の日本の社会はダメになっていて、それはわかっているのに、変な話、戦争で負けるといった目に見えるような結果になりにくい。そうなると、もう終わってしまっているシステムや、完全に役に立たない人たちが、これからも長い時間、変わらずに(下手をすれば権力構造の上位に)そこにいて、だから、若い人間ほど、参加する場所がなくなってしまう。社会が立ち直るのに、よけいに時間がかかる。そういう意味で、早くダメになってほしい、という訴えは、切実で、本当にそうだと思い、今の社会に何十年もいる私自身の責任もあるので、申し訳ない気持ちにはなったが、自分では、どうすればいいのか分からなかった。

 社会学者・宮台真司氏は、最近、「加速主義」という言葉をよく使っている。それは、社会全体がダメになっているのだから、早くとことんダメにならないと、人々は気がつかないし、やり直せない、というような意味のように思う。それは、何年か前に、優秀な若い人が言っていたことと、かなり似ていると思った。

 「総裁選も含めて今の政治で起きているのは、『沈みかけた船=日本社会』の中の座席争いです。どちらにせよ沈むなら、だらだらと沈むよりも、加速度的に沈む方がよい。人は、変化そのものよりも変化率の変化に反応します。熱湯に入れられたカエルはすぐ逃げ出すのに、水温を徐々に上げると、死ぬまで温度の変化に気づかない――。『ゆでガエル』の寓話(ぐうわ)が知られますが、それです。沈み方が一定だと『ゆでガエル』になります。だから『安倍政治』の継続を望むと語ってきました」

 それは、少しずつ小さくなるアイスに慣れてしまっている自分のことも思ったし、それに、貧乏になっていく現状をきちんと把握すべきだし、さらにいえば、全世界が下っていくのならば、それは経済の不況も天災といえるけれど、日本だけ、ということになれば、それは人災であるという自覚から始めるべきなのかもしれない。

「国民の所得は、1997年以降ほぼ一貫して低下しています。OECD(経済協力開発機構)諸国でそんな国は日本だけです。個人の生活水準の指標である1人当たりの国内総生産(GDP)は、2018年にイタリアと韓国に抜かれて世界22位になりました。日本の最低賃金の低さはOECD諸国の平均の3分の2にも満たない。失業率の低さは非正規雇用の増加で『盛った』ものでしょう。経済指標だけに注目しても、『盛れない』数字はこれだけあります」

アイス・貧乏・会話

 それでも、いま私がやれることは、せこくて、現状維持に近い方法なのだと思うが、まずは、ジャンボなアイスを買うのはやめた。

 1リットル入り・箱入りのバニラアイスを買うようになった。 それは、300円台だから、100円クラスのアイスをいくつも買うよりは確かに得になった。しかも、スーパーだけでなく、コンビニでも売るようになって、コンビニの方が、少し安い状況になっているのも知った。

 だから、できたら、コンビニで買った方が、とは思ったが、妻が買いに行ってくれた時に、コンビニに、近くの高校の野球部らしき男性がたくさんいたので、感染予防を考えて、スーパーの方に行ってきたと言っていた。そのことは、賢明な判断だと思い、値段のことは二の次で、健康のほうが大事だと、再確認した。

 そういうことは、ばかばかしいほど当然のことだけど、家族の健康のほうが大事だし、これからも、損得だけの世界から、どれだけ距離をとれるか、ということも、沈みゆく国にいる以上、より大事になってくるかもしれない。自分の理解力に自信はないが、そんなことも、社会学者・宮台真司氏はラジオなどでも、教えてくれたような気がする。

 それでも、アイスを買ってきて、妻は、こんなことを言っていた。

 「でも、こうやってたくさんあると、一回にたくさん使いがちになるんじゃないの?」

 「そうはいっても、小さいカップを買うよりは、お得だし、そんなにたくさんは使っていないと思うし、そこまで気にしなくても」。

 そんな会話にもなったが、それは、アイス貧乏会話だとも思った。


 これから先、どうなるか分からないけれど、暑い時は、時々、アイスをソーダに入れて、それで、妻と会話をしながら、穏やかな時間を持てるような生活はしていきたいと思っている。(こう書くと、ものすごく歳をとったような気持ちになるのだけど)。



他にもいろいろと書いています↓。クリックして読んでいただければ、うれしいです)。

読書感想 『「許せない」がやめられない』 坂爪真吾 「新しい『依存症』の発見」

いろいろなことを、考えてみました。

暮らしまわりのこと。


(有料マガジンも始めました↓。①を読んでいただき、興味を持ってもらえたら、②も読んでくだされば、ありがたく思います)。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」① 2020年3月 (無料マガジンです)。

「コロナ禍日記 ー 身のまわりの気持ち」② 2020年4月 (有料マガジンです)。


#日常   #いま私にできること   #アイス   #ジャンボ

#箱入りアイス   #1リットルアイス   #沈みゆく船

#宮台真司   #加速主義    #これからを考える

#社会学 #100円アイス   #ホットサンドメーカー

#小さくなっていく商品   #実質値上げ


記事を読んでいただき、ありがとうございました。もし、面白かったり、役に立ったのであれば、サポートをお願いできたら、有り難く思います。より良い文章を書こうとする試みを、続けるための力になります。