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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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#日常

「病気についての常識」で、改めて確認してみたいこと。

 なるべく外出しないようにしているけれど、昨日は、出かけた。  帰りの電車は、人がぴったりくっつくほどの距離だった。午後8時くらいになっているのに、乗れないくらい混んでいたから、もう1台待って、それでも、けっこう混んでいた。列の一番前で待っていたから、座れた。隣の男性が少しせきをする。同じ車両の遠くの方で、せきをする声が、複数聞こえる。  この前は、これまでだったら、駅の男子トイレは手を洗わない人も結構いたのに、3カ所ある洗面台の液体せっけんが全部、空だった。スーパーのアル

「戦争の法則」が発見されれば、「日常のすべて」が見直される、と思う。

 2022年は、コロナ禍が終息しない中、戦争が始まってしまった年にもなった。  戦争が始まると、何もできない気持ちになる。  そんなことを、実際に戦地になっていない場所で思うだけで、偽善的だと感じながらも、終わってくれるように願うしかない。  戦争が始まり、何ヶ月も経つと、勝手なものだけど、その関心すら薄れていることを感じる。 ヒトはなぜ戦争をするのか?   最近になって、アインシュタインとフロイトの往復書簡を読んだ。それも、1932年、国際連盟の発案によるものだった。

「陰謀論」を、信じられなくなった理由

 不安が多い時ほど、『あれは実は裏で…』というようなことが、真面目な口調なシリアスな文体などで語られるようになり、そして、ある特定の団体や、人種や、国の名前や、意外な方法などがあがり、どんなことでも、世界は、誰かの意図で動かされている、といった結論になる。  厳密にいえば、間違っているのかもしれないが、私にとっては、それが「陰謀論」であり、「デマ」だと思っている。大小さまざまな出来事の全てに「あれは、実は…」が潜んでいて、必ず、そんなことを語る人がいて、それなりに筋が通って

結局、「クールな大人」になれなかった。

 10代から、20代前半くらい、大人になろうとする年代で、モテたい、という気持ちが、特に強い頃、周囲に一人くらいは、やけにモテている人間がいた。  自分よりも、ちょっと先に世の中を知ってしまったような、そして、少しオシャレでセンスも良くて、何より全体のイメージとしては知的で冷静な気配があるから、悔しいけれど、モテても仕方がないと思っていた。  同時に、今は感情的な自分でも、もっと歳をとって、いろいろな経験を積んだりすると、「クールな大人」になれるかもしれない。声を大にして

能楽堂で声をかけられてから、開けやすいペットボトルのことを、考えるようになった。

 年に一度くらいは、能楽堂に行く。  中学の同級生が、能楽師になったことを知り、そのことで行くようになって、そのうちに10年くらい経っていた。  その空間は、時間の流れがゆっくりで、それに慣れるまでは、ちょっとつらかったのだけど、そのうちに、その日常との違いが、奇妙に心地よくなっていた。 松濤の能楽堂  東京都内でも何ヶ所か能楽堂があるが、私が通っていたのは観世能楽堂だった。  それも、以前は、渋谷の松濤という、昔からの高級住宅街にあり、いつも渋谷駅から歩いて、途中の

冷凍のたこ焼きで、説明する難しさを、改めて知った。

 家にいるときは、妻と相談して、だいたい午後3時半か、午後4時半に「おやつ」にして、コーヒーを飲む。その時は、録画していたテレビ番組を見ながら、家にある食べ物を、妻が用意してくれる。  その日は、冷凍の今川焼きか、たこ焼きのどっちにしたい?と聞かれ、私は、優柔不断な答えで、とても評判の悪い、妻が好きな方にしてほしい、と伝え、じゃあ、たこ焼きにしちゃうよ、と言われ、もちろんOKだった。 不安げに、聞かれる  冷凍食品だから、レンジを使うのだけど、コンビニで買った、この「たこ

「ツムラ漢方薬・番号の秘密?」を見つけた時の「小さい喜び」

 ウチには、漢方薬があることが多い。 #19 小青竜湯  喘息なので、カゼをひくことを避けた方がいい、と言われている妻が、医師から処方されている「小青竜湯」が棚にある。  だから、この「19」に、自然となじみができている。  もしかしたら、この番号自体に、不思議な親しみのようなものまであるかもしれない。 #1 葛根湯  本当は、調べれば、すぐに分かるのだけど、なんとなく、おっくうで、他の「番号」の薬のことは、あまり知らないままだったのだけど、歩いている時に、道路に落ちて

「自分は頭が悪いので」と開き直ることは、無責任なのかもしれない。

 本当に、自分のことを、根本から「バカ」だとは、なかなか思えない。  多少のうぬぼれのようなものがないと、自分を否定し尽くしてしまったら、生きてはいけないとも思う。 幼い頃の評価  それでも、幼い頃に、知能テストや、学力テストを通して、数字として、“あなたの能力は低い”といったことを、あからさまでなくても伝えられ続けた記憶があると、その後、色々なことを学び、それなりに能力が上がって、なんとなく少しは頭が良くなった気がしても、幼少の頃の否定的な見られ方は、ずっと残っている気が

noteを始めて、いつの間にか、変わってしまった「意識」は、元に戻らないのだろうか。

 コンビニに寄って、他のものを買おうと思っていたのに、習慣のように「スイーツ棚」に寄ったら、初めて見るような、「おいしそうな」新作があったので、妻と一緒に食べようと思って、二つ買った。  帰る時も、そのスイーツがつぶれないように、と時々、他にもいろいろなものが入っているバッグの中のポジションを気にしながら、自転車に乗っていた。  無事に持って帰って、妻は喜んでくれて、だけど、もう夕食前だったので、明日食べようと話をしただけで、ちょっと楽しみだった。 コンビニのスイーツ 

あの時、ジェットコースターに乗っていれば、男女交際に関する自分の記憶は、大きく違っていたのかもしれない。

 高校生の頃、同じ市内の遊園地に、新しいジェットコースターが出来た。   それは、日本で初めて、飛行機の宙返りのように、一回転し、途中で、逆さまになる、というものだった。  そんなものに、お金を払って乗る人間の気がしれないと秘かに思っていた。  その遊園地の名前は、和訳すると「夢の国」だった。 高校生活  高校を選択する時に、自分の中で決めていたルールがあった。  学費が安いので、公立であること。男女共学であること。出来たら、家から近いこと。  その三つの条件が、比較的揃

「実は、もう死にそうになっていて、今は夢を見ているだけなのかもしれない」と思ったことがあった。

 夜中に、階段を降りて、玄関の引き戸にヤモリのような小さい生き物が見えて、しばらくじっとしている影を見た時、ふと思った。  今の自分は、すでに死んでいるのか、それとも死にそうになって意識を失っていて、今の生活は、こうだったらいいな、という願望が夢になっているだけなのかもしれない、と思った瞬間があった。 胡蝶の夢  自分が蝶になっている夢を見た人間が、目が覚めてから、今の自分は蝶が見ている夢かもしれない、という故事は「胡蝶の夢」と言われていて、これを聞いた時に、何を言ってい

「ごぼう抜き」が与えてくれたもの。

 もう、あまり言われなくなったのかもしれないけれど、陸上競技などの場面で、よく使われていた言葉が、「ごぼう抜き」だった。 リレーのアンカー  例えば、小学校や中学校のリレー競技。 それも多人数が参加して、アンカーと言われる最終ランナーに至るまでに、すでにかなりの差が開いている。そして、最後のランナーにバトンが渡されて、その最後尾に近いところから、圧倒的に早いランナーだったら、前を走る人間を次々と抜いていって、場合によっては、トップでゴールを駆け抜ける。  この状況

「モノにならない人生」への覚悟について。

 ずっと書き続ける、と勝手に決めたのが26歳の時だった。  その時に、フリーランスとなって、自分が書きたいものを書く、とも思っていた。  木造のアパートの1室で一人暮らしも始めた。  その時、それからどうなるのか?という具体的なイメージがどこまであったのかは、今となってはハッキリしない。  だけど、その時には、ある程度の、こうなってほしい、という自分の人生があって、それは、そういう年代に特有なのか、それとも単純に体力があったせいなのか、なんとなく楽観的だった。  どこか

「シン・エヴァンゲリオン劇場版」について、いま、個人的に凄いと思っていること。

 「シン・エヴァンゲリオン劇場版」のCMで、その映像と、「公開日検討中 共に乗り越えましょう」という文字を見るたびに、感心することがある。  というよりは、エヴァンゲリオンに関しては、私などが感心しなくても、膨大な言葉がつむがれているし、もっと語る資格のある人は有名・無名問わず数限りなく存在するのはわかっているので、どこか申し訳ない気持ちにもなるが、去年からの公開日の再延長を考えると、改めてすごいと思うことがある。 もれてないストーリー  「シン・エヴァンゲリオン劇場版」