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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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#とは

「病気についての常識」で、改めて確認してみたいこと。

 なるべく外出しないようにしているけれど、昨日は、出かけた。  帰りの電車は、人がぴったりくっつくほどの距離だった。午後8時くらいになっているのに、乗れないくらい混んでいたから、もう1台待って、それでも、けっこう混んでいた。列の一番前で待っていたから、座れた。隣の男性が少しせきをする。同じ車両の遠くの方で、せきをする声が、複数聞こえる。  この前は、これまでだったら、駅の男子トイレは手を洗わない人も結構いたのに、3カ所ある洗面台の液体せっけんが全部、空だった。スーパーのアル

日本の「漢字」は、「文化遺産」になっていくのかもしれない。

 それほど知っているわけではないけれど、世界中の文字の中で、かなり特殊だと思えるのが韓国のハングルではないだろうか。よく分からない人間から見たら、ほぼ記号に近く、同じに見えても、わずかな棒の違いだけで、意味が違うようだから、覚えるのは大変だと思う。  これだけの変化を可能にした国としての強烈な意志を感じるけれど、こうしたことを可能にするからこそ、隣国に中国という大きな国がありながら、長い間、朝鮮半島での独立を保てていたのかもしれない。と歴史に詳しくないけれど、そんなことを思

「甘えるな!」と、つい思ってしまう理由を考える。

 最初は、ご近所同士で、料理をつくりたい女性と、料理を食べたい女性の交流の中で、レシピのようなものを紹介するのがメインかも、などと思っていたドラマが、もう少し人との関係を描くドラマに変わっていった。 作りたい女と食べたい女 きちんと見たのは、このシーズン2からで、その女性同士が好意を寄せ合っているのがお互いにわかり、付き合い始めるという展開にもなる。それは、原作を知っていれば当然の前提なのだろうけれど、最初は、そうした話の進み方をするとは思っていなかったので、少し意外だった

「一人で抱えこまないで」は、いつも適切な言葉なのだろうか?

 自分が仕事もやめて介護に専念している頃に、一時期、よく聞いた言葉があった。  「がんばらない介護をすることが大事」 がんばらない介護 それは、基本的には正しいし、できたら目標としたいことではあったのだけど、その言葉を目にするたびに、心の中でつぶやいていた。  私も、できたら夜もよく眠れないようながんばり方をしたくはない。だけど、自分しか介護をする人がいないのであれば、どうしてもがんばりすぎくらいでないと、介護を続けること自体が無理だ。  がんばらない介護。とてもいい

命日の意味を、考えた。

 暑い日に、父親は亡くなった。 病気 平均寿命には、かなり届かないから、自分が年齢を重ねるごとに、死ぬにはまだ若かったんだ、と思っても仕方がないことを思うようになった。だから、いろいろと無念だったのかもしれないとも考えたりもする。  生きている頃は、自分の結婚を頑なに反対されたこともあって、完全に縁を切りたいとも思っていたのだけど、結婚して何年か経ってから、母親から連絡があり、父が病気だということを知った。  命に関わる状態だったから、病院に行き、手術の時も、病院で待っ

「気疲れ」の正体を考える。

気疲れ、という言葉。 今も、日常的に使われている。  そして、この記事↑では、その解消法まで書かれている。 相手によって ただ、当たり前なのだけど、自分が好きな相手と一緒にいて、多少の緊張があったり、心づかいをしたとしても、もし、その相手が、その心づかいによって、喜んでくれたら、それは、ただうれしい時間になって、気疲れにはならない。  その反面、自分が嫌いな、もしくは、義務としてそばにいなくてはいけないような相手で、それで、相手のことを考えて、気づかいをした場合には、

「ジャーン」は、そろそろ「更新」しても、いいのではないだろうか?

 ドラマを見ていて、登場人物が、何かを取り出すとき、人に見せるとき、今も発する言葉がある。  ジャーン。  もしくは、ジャジャーン。  そこに手の動きや表情などもセットで表現されるのだけど、そういえば、このオノマトペは、現実の世界でも、かなり広い世代で使われているし、長い時間、耳にしていることに気がついた。  そして、ふと、そろそろ、こういう場面で、「ジャーン」にかわる、次の言葉は出てこないのだろうか、と思った。 オノマトペ「ジャーン」というのは、オノマトペだという

「のりださない」「立てかけない」「かけこまない」「立ち入らない」------最後に付け加えられた「禁止事項」がどれなのか、を考えた。

 最近の駅には、ホームドアが設置されているところが増えてきている。  なんとなく、電車を利用しているときには、気がつかなかったけれど、ホームドアには、「禁止事項」のマークが4つも並んでいるのを、改めて気がついた。 「のりださない」「立てかけない」「かけこまない」「立ち入らない」 最近の商品には、パッケージの裏側などに、とても小さい文字で、びっしりと「注意喚起」が書かれている。それも、通常では考えつかないような使用方法まで書いて、それはやめてください、と記載するのは、そのこ

「悪い結果」は、存在できなくなっているのだろうか。

 いつの頃からか、スポーツプレーヤー達は「結果」は出すもので、しかも、「結果」=「いい結果」だけ、と思っているようだ。  試合で勝った後、活躍したプレーヤーがインタビューされると、少し高揚した様子で、こうしたコメントをする。 「結果を出せて、よかったです」。  特定の誰かとか、ある種目だけではなく、いつの間にか、こうした言葉使いが当たり前のようになった。 「結果」の意味 今年の1月に購入した辞書で「結果」をひく。  他にも、すでに、こうした意味も「運用」としてあげら

「正直者はバカをみる」は、今も、本当に正しいのだろうか?

 何かを考えるとき、きっかけになるのがテレビが多いような気もするけれど、今回もドラマを見ていて、思ったことだった。  このドラマに出演する俳優が、自身の理由で出演辞退したことが話題になっていたけれど、すでに撮影もしていたから、どうするのだろうといった、かなり下品な興味もあって見始めた。  不動産屋のトップセールスで「ライアー」と言われるほど「ウソも方便」として駆使してきた営業職の主人公が、あることから「ウソがつけない」人間になってしまうというドラマで、思った以上に笑えるし

人類は、高齢者になることに慣れてないし、これだけ多くの高齢者が社会にいることにも、まだ思った以上に、慣れていないと思う。

 誰もが、高齢者になることには慣れているわけがない。  そのことを明確に書いたのが、自身も高齢者になった時の橋本治だった。 老いのアマチュア 誰もが「自分の老い」の前ではアマチュアなのです。  人間としての様々な機能が衰えていくという「老い」は、生きていれば避けられないことだけど、特に自分の「老い」は認めたくない。鏡を見ても、「老い」の兆候よりも、できたら「若い」というよりは、これまでと変わらない部分を見たくなる。  だから、慣れていないを超えて、「老い」を恐れている

『「35歳問題」を、改めて考えてみる』。(前編)

 「35歳問題」というものが存在することを、35歳をかなり過ぎてから、知った。 「35歳問題」というものがあります。 この問題を一言で言えば、 「すべての人が、たったひとつの人生しか生きられない悲しみ」 のことです。 「プールサイド」と「クォンタム・ファミリーズ」  35歳の涙。  あまり短くすると、本質を取り落としそうだけど、まずは、そんなふうに表現され共有されているテーマらしいが、この「35歳問題」の元になっているのは、村上春樹「回転木馬のデッドヒート」の中の短編「

「売れっ子」という言葉を、いつまでも使っていていいのだろうか?

 なんだかクレームっぽいタイトルになってしまって申し訳ないのだけど、例えば、とても力があって、運にも恵まれ、人気もある「大人」の人たちにでさえ、「売れっ子」という言葉が、肯定的に使われる。  まるで、ほめ言葉のように向けられるのだけど、ふと思うと、どうして、そういう表現が使われるのだろうか、と思うことがある。 受動態 + 「売れっ子」という呼称は、細かく分ければ、「売れる」という受動態と、成人に対しても、「子」という、未成熟な存在を表す言葉で出来ている。  タレントや芸

「すごく好きであること」の持つ力。

 いわゆる「マニア」というのか、「〇〇オタク」といっていいのか、人によっては、そういう呼ばれ方を嫌がるのかもしれないが、何しろ、ある分野や存在に、「異常に詳しい」もしくは「とんでもなく情熱を注いでいる」人たちの姿は、なんとなく似ているような気がする。  とても確固として見えるのだ。 「マツコの知らない世界」に出演する人たち  そんなことを比較的強く感じるようになったのは、「マツコの知らない世界」に出てくる人たちが、自分の「推したい」ことを語るときは、とにかく自信満々で、話