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いろいろなことを、考えてみました。

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自分の能力の足りなさを自覚しながら、いろいろなことを、考えて、書いて、考えました。
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#推薦図書

「病気についての常識」で、改めて確認してみたいこと。

 なるべく外出しないようにしているけれど、昨日は、出かけた。  帰りの電車は、人がぴったりくっつくほどの距離だった。午後8時くらいになっているのに、乗れないくらい混んでいたから、もう1台待って、それでも、けっこう混んでいた。列の一番前で待っていたから、座れた。隣の男性が少しせきをする。同じ車両の遠くの方で、せきをする声が、複数聞こえる。  この前は、これまでだったら、駅の男子トイレは手を洗わない人も結構いたのに、3カ所ある洗面台の液体せっけんが全部、空だった。スーパーのアル

「優秀で、優しい人間」が、1人でも多く育つ方法を考える。

 学校に通っていたとき、特に高校生くらいから、勉強ができる人間は、そうした人間だけでグループを作っていることが多い印象があった。  そのことと、社会で仕事をする優秀さと決してイコールではないのだけど、それでも、会社社会が「学校化」していた日本では、結果として、その中に優秀な人間がいる確率は高かったと思う。  自分自身は、その中にいなかった。だから、優秀な人間については、その中にいないと、決定的にわからないこともあるのかもしれないと、最近になって、改めて思うようになった。

影響の受け方の種類。

 明らかに強い影響を受けてきたのに、それに気がつくのは、とても長い時間が経ってからのこともある。それは、実は、ずっと見ていたのに、視線が真っ直ぐに向けられていなかったせいかもしれない。 大阪万博 1970年の大阪万博のときは、小学生だった。  どうしてだかわからないのだけど、万博に、すごく興味を持ってしまった。  それまでに、テレビで「ウルトラマン」があって、そのあとに、アポロが月に着陸し、ただでさえ子ども心は、盛り上がっていたのに、そこに拍車をかけるように、大阪万博は

『「プランB」不在』の意外な理由。

 実際に口にするには、まだ少し恥ずかしいのだけど「プランB」という言葉がある。  これは、「最初の計画がダメになった時のために、次の一手を考える」ということで、次善策などと表現できるらしいが、これが、実社会ではあまり重視されていないことに気づいたのは、働き始めてしばらく経ってからだった。  例えば、部下が困って相談に行くと、いつもよりも厳しい表情で「なんとかしろ」を繰り返す上司がいた。それは、本人にとっては、信念を持った指導だと捉えているようだった。  何かがうまくいか

「経済学者も、民主主義を信じすぎていないだろうか?」(前編)

 経済学者は、いろいろな人がいるけれど、どうも信じられないような気がするのは、どこか予言者的に振る舞っているように見えるからだけど、テレビで紹介されていた経済学者は、経済破綻をした後のギリシャを、財務大臣として建て直したと言われる「実践」をした人だったから、信じられるように思った。  だから、よけいにその人の本を読もうとした。  それもありがたいことに、「分かりやすい」内容らしかった。 『父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話』  ヤニス・

「立読(たてとく)」

 読書家、もしくは、活字中毒と自称する人たちの口からよく聞かれる単語の一つに「積ん読」がある。 「積ん読」 本を買ったけれど、読まないまま、積んである状態。それも、単数ではなく、かなりの量になっていることを自虐も込めて表現しているようだ。  それでも、聞くたびに、微妙な気持ちになるのは、そこに自慢のような気配があると感じるだけでなく、仲間内言葉のニュアンスがあって、本を読み始めるのが中年以降だという自分の遅さのために、そこに入れない感覚と、あまり本を購入できない経済状態で

なにか物足りないと思う時は、「幸せの要素」を思い出して、確認してみる。

 辛い時ほど、その辛さで頭がいっぱいになる。  それを何とか乗り越えて、ほっとした時期を過ぎると、脱力したような、何もしていないような、ぼんやりした時が来る。  考えたら、辛さという圧力がなくなって、それは気になることが一応なくなったのは、実は幸せなのではないか、といった気持ちにもなるのだけど、それでも、何か物足りないような、つまらないような、そんな思いになることがある。  そんな時、時々、思い出す本がある。 「幸せのメカニズム 実践・幸福学入門」 前野隆司 この書籍

『「晩節を汚さない」ためには、どうすればいいのだろうか』。(前編)

 日本代表サッカーチームの監督が、不透明な過程で、急に辞めさせられたことがあった。  2018年のことだった。 ハリルホジッチ監督解任  その後、ハリルホジッチ監督が裁判で損害賠償で訴え、それも、金額は1円だったので、それだけ怒りがあり、謝罪を求めていた、ということは、合理的な理由ではないのは、おそらく間違いなかった。  そんな時に、マスメディアに日本サッカー協会の田嶋会長が出てきて、説明をしていたが、「コミュニケーション不足」というあいまいな理由だった。  それは、今

「戦争の法則」が発見されれば、「日常のすべて」が見直される、と思う。

 2022年は、コロナ禍が終息しない中、戦争が始まってしまった年にもなった。  戦争が始まると、何もできない気持ちになる。  そんなことを、実際に戦地になっていない場所で思うだけで、偽善的だと感じながらも、終わってくれるように願うしかない。  戦争が始まり、何ヶ月も経つと、勝手なものだけど、その関心すら薄れていることを感じる。 ヒトはなぜ戦争をするのか?   最近になって、アインシュタインとフロイトの往復書簡を読んだ。それも、1932年、国際連盟の発案によるものだった。

「大人になったら、純粋さを失なう」というのは、本当だろうか。

 6月に終わったテレビドラマ「17才の帝国」。  ドラマ自体は、いろいろな試みがあり、映像も鮮やかな印象が強く、エンディングも格好良く、そして、主人公の17歳の「総理」のまっすぐさや純粋さのようなものも目立った。それは、古典的なことなのかもしれないが、やはり人の心をうつ。  それは、どうしてAIが、17才の彼を「総理」に選んだのか、という理由にもつながっていきそうだし、改めて「正しさ」や「幸せ」などに関しても自然に考えていたから、いいドラマだったのだと思う。 大人になっ

もう一度、「命を守ること」を、本気で考えてほしい、と思います。

 コロナ禍も3年目になり、そろそろ対策の緩和が、表立って話題になるようになった。  日常的なことに関して、特にマスク着用に関しては、議論されているようだ。  もう少し広く言えば、「水際対策」の緩和も進むようだ。  社会の維持を考えたら、当然のことだと思う。 死者数3万人 今年に入ってオミクロン株の流行による感染者急増に伴い、高齢者を中心に死者数は1万1千人余り増えている。(2022年5月13日)   その一方で新型コロナウイルス感染による死者数は増えていき、特に今年

「頭が良さそうに見せること」は、ほぼ100%「失敗」するような気がする。

 誰でも自分のことは「まとも」だと思っているし、少なくとも「ばか」だとは思っていない。もちろん、私自身も例外ではない。  クルマに同乗させてもらった時に、どれだけ運転が粗い、と思ったとしても、その運転する本人が、自分が「運転が下手だ」と思っていることは稀で、なぜか「運転がうまい」と思っている人が、体感的には9割を超えているような気がする。  それは、ある意味では健全なことで、自分を否定してしまっては、とても生きづらくなる。 「頭が良さそうに見せたい」と思わなかった  こ

「ブーム」は、どれだけ盛り上がっても、必ず去ってしまうことを再認識して、少し寂しくなった。

バッティングセンターについて書かれた本を読んだ。 バッティングセンター 必ず1回は行ったことがあって、だけど、今も頻繁に行っているわけでもないのに、やけに身近に感じながら、いつでもあるような気がするのが「バッティングセンター」なのだけど、それが、こんなふうにいろいろな状況に影響されながら、2回もブームがあったことを、まずは、本当に知らなかった。  よほど注意深いか、そのことに関心がない限りは、外に並ぶ行列などを見て「あ、流行っているんだ」とチラッと思うくらいなのだろうけど

『「35歳問題」を、改めて考えてみる』。(前編)

 「35歳問題」というものが存在することを、35歳をかなり過ぎてから、知った。 「35歳問題」というものがあります。 この問題を一言で言えば、 「すべての人が、たったひとつの人生しか生きられない悲しみ」 のことです。 「プールサイド」と「クォンタム・ファミリーズ」  35歳の涙。  あまり短くすると、本質を取り落としそうだけど、まずは、そんなふうに表現され共有されているテーマらしいが、この「35歳問題」の元になっているのは、村上春樹「回転木馬のデッドヒート」の中の短編「