書き終わっても眠い

 近所のお兄さんと仲良くなり始めた。友だちがいないらしい。痩せ型の男で、小さな目と控えめに引っ込んだ顎、厚めの唇。清潔感と表情による爽やかさでご近所マダムにモテてるという感じの人だ。車の運転が好きで、よく買い物や遠出に連れてってくれる。いつも乗っているのはクラシックな感じの丸っこい、車高の低い車で、車種はわからないけど淡い水色で可愛いと思う。父はバイク好きだが外出好きという共通点から、仲良くしているらしい。

 夜、お兄さんの車で帰る途中だった。車高の低い車の助手席からは、家の近くの景色も違って見える。歩くより低い目線から見ると、小さな田舎町でも都会のビルのような迫力……は無いけど、わたしたちに覆いかぶさるようで、少し怖い。

 ふと、お兄さんのスマホに電話がかかってきた。車と接続しているので、右斜め前のモニターが光る。知らない名前だ。だけど誰かはわかる。

「ああ、これがその?」

 その? と知ったように訊いたのは、昼間訪ねてきたという男がいた話を聞いたからだ。

「そうなんだよ。なんか、気味が悪くて」

 何かの練習に付き合ってほしいと来たらしい。もちろん初対面だという。

 とりあえずわたしが電話に応答する。

「はい」

「今、どこにいる?」

 怒号に近い、しゃがれた声だ。

「もう夜ですし、今度にしませんか」

「この道を必ず通るはずだ!!」

「とにかくもう切りますね。明日また連絡してください」

 そう言ってモニターの通話終了ボタンを押す。変な人がいるね、と言おうと目線を上げたとき、ヘッドライトの光に照らされた人間の足元が見えた。でかいハンマーを杖のように持っている。体格のいい色白の男で、照らされていないはずの目がギラギラしているのが遠目でもわかる。

「う…わ……。こいつだよ」

 お兄さんはどうやら余所見をしていたらしい男の横を通り過ぎる。わたしはできるだけ男に見つからないように身を小さくした。

 再び電話か来る。応答した。

「どこだ? どこにいる?」

 しゃがれた男の声に恐怖する。何も言わず切った。

「ねえ、どこか隠れないと」

「そうだな。もう家も安全じゃない」

 しばらく隠れる場所を探して進んでいった。おあつらえ向きの崩れかけの洋館を見つけたのは、どれくらい時間が立ってからだろうか。

「車停めて隠してくるから、先入ってて」

 お兄さんに促されて外に出る。嫌だな〜、怖いな〜。見るからに廃墟だ。玄関は開いていないだろう。壁の一部が剥がれ落ちているところを見つけたので、そこから侵入した。

 真っ暗だ。スマホのライトで足元を照らしながら進んでいく。たぶん、この部屋は子供部屋だったんだな。かなり小さい子どもの部屋だ。カラフルなぬいぐるみや絵本の切れ端、鮮やかな色のプラスチックのかけらなどが転がっている。天井までスマホの光は届かないが、うっすらと見えた。夜空か宇宙かの絵とおそらくギリシャ語の読めない文字列、肉付きのいい可愛らしい天使の絵が描いてあった。天井を照らしたときに、階段に気づく。直接上の階に向かう階段か……。

 階段に差し掛かる。幅の狭い、木製の階段で白い塗装がところどころしか残っていない。踏み抜いてしまいそうなほど柔く、なかにはすでに踏み抜かれたように崩れているところがある。キイイイと音を立てて軋ませながらも慎重に登っていく。

 階段を登り切ると、広い空間だった。なんのためのホールだろう? 四つん這いになって身を低くする。そのとき足跡が聞こえた。お兄さん? いや、シルエットから3人組のピエロのような男だ。明かりがついていた。ひとが居たのか。声をかけても良かったが、不法侵入者のわたしは気づかれないように身を潜めた。なにやら雑談しながら通り過ぎていく。ひとり、ふたり……。と、最後のひとりのピエロがわたしに気づいてしまった。お兄さんに合流するまでは見つかるわけに行かない。わたしは立ち上がりピエロの足首をつかみ、持ち上げる。ピエロは階段の柵を乗り越え頭から落ちた。バリバリと階段が壊れる音がするが、先のふたりのピエロは扉の向こうのようで、聞こえていないはずだ。

 ピエロが出ていった扉を押す。広い廊下だった。真横に、今入ってきた扉と平行になる扉がある。それを開けようと近づくと、扉とは別にひとりぶんの肩幅程度の隙間のような細い通路があった。ここを通ってみよう。

 かんたんな迷路のような作りで、ときどき行き止まりがある。

「!」

 背格好が同じくらいの外国人のような顔立ちの男の子とばったり出くわしてしまった。男の子は全く気にすることなく、固まっているこちらを一瞥すると通り過ぎていく。

 男の子の後を追うように細い通路を抜けた。すると、明るい廊下に大勢のひとがいた。性別も年齢もさまざまだが、先程ぶつかりそうになった男の子と同じような年頃の子どもが多いように思う。廃墟だと思ってたのに……。

 はっとして目的を思い出す。いけない、隠れないといけないんだった。

 陽気なお姉さんのバレエやヨガの勧誘を受けながら、隠れられそうなトイレに入った。

 トイレの中は、灰色のタイル張りで、濡れているところが濃くなっている。個室の広さは普通のトイレの3倍くらいあって、わたしが入った個室は掃除用具が大量に置いてあった。それから、扉が2ヶ所あった。ちょっと奇妙だ。

 ホッとしていたら、どういうわけか個室に入ってきたひとがいた。きれいな金髪で、ぱっちりした青い瞳の女性。歳はいくらか年上そうだな。70年代みたいなカラーの派手なファッション。

「あなた、ここにいちゃだめよ。早く出なくちゃ。でも、扉は2つとも見張りがいるから、飛び越えて行くのよ」

 入った扉とは違う扉から出ることにした。ちなみに見張り役は渡辺直美さんと、もうひとつの扉の見張り役は湯婆婆。渡辺直美を飛び越えて走った。廊下を走り抜けたと思わせて、わたしはまたトイレに駆け込む。そんなに遠くない男性用トイレだ。

 掃除用具入れの陰に隠れていると、入ってきた男性と手洗い場の鏡越しに目が合う。

「ふむ……。どうしたものか。君が、探されている女性かね?」

 話しかけてきたのはスネイプ教授だった。いや……、こんなところでお会い出来るとは。その長いローブ、床がもしベチャベチャだったらドレスみたいに持ち上げて走るのかな…と違うことを考えた。(ハチャメチャにファンなので嬉しかったです。)

「あ……、いや、その」

 テンパっていると、再び扉が開いてバタバタと数人が入ってきた。

 あー…しんだな…と思った。

 入ってきたのは、父とお兄さんだった。走ってきたのか息が上がっている。少しして、父が口を開く。

「あれな、あの男な、知り合いやってん」

「そう、僕の早とちりで怖い思いさせてごめん」

 お兄さんは申し訳なさそうに言う。

 えええ……。じゃああれは何だったの? と聞く前に、スネイプ教授が咳払いをした。

「なるほど。事情は分からんが、我輩は失礼しよう」

………

………

  駐車場についた。

 お兄さんが車を回してくれて、それに乗り込む。父は別の車で帰るようだ。

 坂道を上るとき、父がバック走行で上るのを下から見ていた。対向車線の車にぶつかって、土下座していた。知らないふりをして帰った。

 結局、謎の知り合いの男が何の練習をしにきていたのか、なんのために夜訪ねてきたのか、あいつは誰なのかはわからず仕舞いである。


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