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涙は枯れていなかった

子宝に恵まれ3人の子供がいる。まだ小さいので騒がしく、家の中は動物園、遊園地に居るような感覚になる。

母は強し

という言葉があるが思い返せば私の母も強かった。父も強かった。

子を持つ親は皆強いものだと思っていた。

体調を崩すと夜中も付きっ切りで看病してくれたり、悪いことをすると全力で叱ってくれたり、良いことをすると褒めてくれたり親はそれが当たり前だと思っていた。親には感謝している。

では我が子に対してはどうだろうか。

体調を崩すと看病する。その後自分が感染してしまい寝込んでしまう。

悪いことをしたので叱る。叱り方は正しかったのだろうか、言い過ぎたのではないかと心配する。

良いことをしたので褒める。もっと褒めてあげたらよかったのかなと後悔する。

私は決して自分が強いとは思えない。


第二子が産まれた時の話をしたいと思う。

臨月を迎えた妻は既に産休に入っていた。臨月に入ってからは私が上の子を保育園に送って仕事に行っていたが、ある朝、家を出る時に妻から陣痛が来たかもと言われた。

私は上司にその旨連絡して休みの申請をしたが

「わかった。そしたら奥さん病院に送ってから出勤でいいよ」

事情が事情なだけにお休みを頂きたかったが、とりあえず出勤はしてくれとのこと。

妻は仕方ないね。と言ってくれたが、とりあえず病院に送り一旦会社に出勤。

「陣痛の感覚が短いので、良ければ早めに帰らせて頂きたいのですが」

上司にお願いをしてみた。

「今日16時から会議あるよね?俺は子供の出産なんて立ち会わなかったよ」

第一子が産まれた時の上司が出産時に非常に良くしていただいたので、あまりのギャップに驚いたが命令に背くわけにはいかないのでそのまま勤務することに。

時々妻に連絡をしていたがまだ産まれそうにない。今、陣痛促進剤を使ってる。など可能な限りやりとりはしていた。

結局、終業時刻になっても産まれず、とりあえず妻の元へ向かった。

「まだすぐには産まれそうにないから大丈夫だよ」

顔を見て安心したが、上の子の保育園の迎えにも行かないといけないので一旦病院を後にすることに。

保育園の保育時間は最長19時まで。私が到着したのは19時ギリギリだった。

うちの子だけになっていたようで外は真っ暗。一部屋だけ灯りがついた教室の隅っこに先生と二人で居た。

遅くなったことをお詫びをし、子供と一旦帰宅した。

ご飯を作る余裕も無く弁当屋さんの弁当を途中で買い二人で遅めの晩御飯。

食事中だったが突然何かがこみ上げてきてしまい涙が止まらなくなった。

こんな暗い時間まで子供を一人にしてしまったこと、ご飯を作ってやれなかったこと、妻に寄り添えなかったこと。上司とのやりとりの件。

色々な思いがこみ上げてきた。心配そうにする子供。

親は泣かない

私はそう思っていた。子供に弱いところを見せてしまった。


食事を済ませ、子供をお風呂に入れて、子供は私の母に預かってもらうことにした。


その後病院に到着すると22時頃。妻の陣痛が強くなってきた頃だった。

「そろそろ分娩室行きましょうね」

私はしばらく外で待つように言われ分娩室の前で待つことに。

30分ぐらい経った時に中に通された。

出産に立ち会うのは2回目だが、出産は壮絶である。情けない話だが男は何も出来ないのでただただ身体をさすったり、声を掛けてあげることしかできない。

程なくして無事に産まれ、最初の陣痛から約15時間経過した大変なお産だった。

無事に産まれてきてくれた子に感謝、頑張って産んでくれた妻に感謝、最後までサポートしてくれた先生方にも感謝。

それから妻が退院するまでは私と上の子だけの生活。一から十までするのは大変で、普段やっていてくれた妻が改めて凄いのがよくわかった。

子供には私の弱いところを教えてもらったような気がした。


それからは私が上司の立場になり部下2人に子供が産まれた。

奥さんが臨月になると不安なようだが、私も痛いほど気持ちは分かる。

「人の生死の場には必ず立ち会え」

私は普段からそう教えてきた。仕事はどうにでもなるし調整もするから陣痛が来たらそのまま病院に行って最後まで付き添うように、連絡は後でで良いからと言えるようにもなった。

その会社は退職してしまったが、その部下たちは今でも交流があり出産時のお礼は今でも言われる。

子供には弱い部分を教えられ、人として大事なことを教わった。

親は強くない、でも子供と一緒に強くなっていくんだ

#子どもに教えられたこと

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