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暴露療法としてのものづくり

人は興味のあるものを作品化する。
その意味で、ベーコンの絵画のように自身の潜在的恐怖をモチーフにするような作品は多く存在してきた。
VANITASのモチーフや死を直接想起するような作品は多いし、ホラー映画のように恐怖や不安からの生還をテーマにした作品もある。
小説や漫画やゲームには敵役が存在し、その敵が体現するものがその時代の共通の、普遍的なものほど、多くの共感を得られたりもする。

その作品の制作過程は作家にとって、恐怖を克服するための時間であり、自分に課す暴露療法なのではと仮定してみる。

制作過程で、不安や恐怖と向き合い、完成させることにより克服する。
それは恐怖との対話であり、不安とのコミュニケーションのプロセスであり、気持ちを汎化させ、克服の道筋を社会に還元する為の作業工程である。

作家にとっては自分の意思ではじめ、自分のコントロールできる技法で、自分のペースで作業を進める暴露療法なので、無理なく続けることができるし、もし忘れてしまうことができるなら、それは不安から逃れることができたと言うことになるのかもしれない。

商業ベースのクリエイティブ系作品群では、納期から逃げるわけにはいかないので、時間に許す限り戦うことになるが、それは基本的に体力的にも精神的にも厳しい戦いになる。
自分の恐怖の対象が作品として社会性を得る必要があるからだ。

恐怖の対象を魔王やモンスターや鬼上司に置き換えて、その恐怖に打ち勝ち、見るものが納得のいく解決法や勝利への道筋を見つける必要がある。

それは最終的に塗り潰されるライブペイントの絵や、野外の企画展に出展される大型作品を搬出で解体するまでの過程や、失恋を歌う歌や、お話の重要人物が死ぬシーンなどに、ひっそり存在している。

作者と一緒にその不安を乗り切る過程を追体験することで、見るものはその苦悩を乗り越えるヒントを得る。
自分はただ一人、この絶望と向きあっているわけではないと、誰かの絶望への向き合い方を見て希望を持つことができる。自分は間違っていなかった、自分は壁に阻まれていただけだと共感してもらえたりもする。

その人が恐れているものは、その人のコンプレックスであったり、トラウマ体験を想起するものだったり、その人の人格形成に重要な役割を持っているものが多い。

その漠然とした不安から逃れるために、作家は建設的に自己に暴露療法を科す。
少しづつ分析し、体系化し、構造を理解することで、苦手だと思っていることに慣れ、トラウマを克服するきっかけとなる。

そうやって一度でも自分の力で壁を乗り越えた経験があると、どうにもならないと絶望していた壁が意外にとるに足らないとに思えるようになれるかも知れない。
重要なのは発想の転換だったりする。
そのために情報を集め、攻略できそうなところから少しづつ克服していけばいい。
まずは手を動かす。
その作業を積み重ねることで、ほとんどのものは克服できる。