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アート系の話題。
絵のほとんどない絵本。 自分のために書いているものなので、知識を得たい系の人には勧めしません。
医療的なトピックスをまとめています。 (お話のモデルになっている人の年齢や性別や設定は個人情報に配慮してあえて創作を加え、実際の情報とは変えてあります。)
断視の意味 意識的に何かを注視しない状態。 断食同様、視覚的情報を断つ事。 何も見ないわけにはいかないので、ここでの「見る」とは受動的な視覚的消費行動に限る。 テレビやYoutubeなど視覚イメージの消費を減らして、「読む」や「書く」、「どこかに行って見る」「作る」などの能動的に使う時間を持つ事。 断食のように、昼間や夜だけなど時間や期間を指定して受動的に見る行為を断つ事。 傾向アナライズやおすすめの連続再生など、ユーザーにとってサービスはどんどん便利に進化して行くが、ユ
アール・ブリュの英語訳としてこの言葉は誕生したというが、「生の芸術」と「Out-sider(外の人)の芸術」では印象はだいぶ違う。 この外人的な響きを持つこの言葉に一部の人は抵抗感を感じ、「ボーダーレスアート」や「エイブルアート」などの造語が生まれた。 ここでいうインサイドとは何を指しているかというと、芸術教育機関であり、権威である人たちがアートと認識する範囲の事で、ラスコーに始まりAIへと続く、ヒストリーに列挙されている一つの流れとしての芸術である。 ないものねだりのアー
男は戦いに人生を捧げてきた。 夥しい数の戦いに勝利し、それでも戦い続けてきた。 魔法や飛び道具には目もくれず、素手で多くの相手を葬ってきた。 名声を手にし、彼の名は世間に広まった。 多くの人が彼の業績を称え、彼の名は世間に広まった。 負けたものは戦うことをやめ、一般的な幸せを手にすることを選んだ。 勝った彼は、戦うことを選び、闘技場に残り、見られる対象であり続けた。 しかし、彼の名声と反比例し、生活は一向に豊かにならなかった。 なんなら、負けて去ったものたちの生活は目
(もしくは、コンセプトで語られるのは、別の物語) 結局のところ、求められるのはアイキャッチであって、うんちくではない。 おしゃべりが得意な人は、話術で商売する方がよっぽど効率的である。 抽象的な形や素材の美しさを建築やデザインに明け渡してしまい、アートに求められるのは、純粋な美しさというよりなむしろある種の「違和感」なのかもしれない。美味しいものばかり食べている人がたどり着く癖のある味であり、美しいものばかり見て疲れた人が探す心地よい不気味さである。 批判を恐れず、権威に
人は興味のあるものを作品化する。 その意味で、ベーコンの絵画のように自身の潜在的恐怖をモチーフにするような作品は多く存在してきた。 VANITASのモチーフや死を直接想起するような作品は多いし、ホラー映画のように恐怖や不安からの生還をテーマにした作品もある。 小説や漫画やゲームには敵役が存在し、その敵が体現するものがその時代の共通の、普遍的なものほど、多くの共感を得られたりもする。 その作品の制作過程は作家にとって、恐怖を克服するための時間であり、自分に課す暴露療法なのでは
太陽の塔がよく見えるニュータウン的な街で育った。 クラスメイトはほとんどみんな同じ形の家に住んでいたし、川は両岸をコンクリートで固められていた。 工作好きは中学校の技術教師だった父の影響だった。 高3の時に工芸専攻で美大を目指すが失敗し、1浪途中で方針転換し単身イタリアへ。 金工をプライベートスクールで学ぶが、色々あってドイツの公立大学で彫刻を学ぶことになった。 帰国後は、公設の大規模展の運営などに携わりながら、作品を制作。 地域のお祭りや町づくり活動にも作り手として参加した
それがどんなタイプの作品であろうと、全ての作品はこの問いへの答えを内包している。 質問の答えは作風や作品の意匠として細部に反映される。 この質問に一つの答えは存在せず、時代の求める何らかの答えを見つけ出し、この質問の解釈を広げる事こそ文脈への言及であり、アートの伝統の踏襲だ。 もちろんこの質問のみが作品の価値を決めるわけではないが、この質問への秀逸な答えはゲームチェンジャーとなり、文脈の一部となる。 クオリティによっては世界の共通の言語となり、多くの人の目に触れる可能性を
昔、うちに九官鳥がいた。 名前を始終呼んでいると、その声かけを覚えて、「キューちゃん!キューちゃん!」と自分の名前をひたすら連呼するようになった。 マンションのベランダで買うには大きすぎる鳥で、鳥籠の中でほとんど身動きも取れず、こちらの声掛けを文字通りおうむ返ししていた。 そのうちカメラのシャッター音や電子レンジのチーンとなる音、僕や兄の名前など他の言葉も喋るようになった。 僕はキューちゃんが可愛くて、よくベランダに出て話しかけていた。 キューちゃんは近所にもよく聞こえる
中学卒業後、3年間続けた仕事を辞めて、かれこれ20年間、彼は何もせずに過ごし、ついに貝になった。 そんな彼にコロナは船だった。 自粛の空気は彼らの動かないことを後押しした。 もしかしたらこれは壮大なボイコットだったのかも知れない。 薬や疾患教育によるところも大きいのかも知れない。 しかし、真相はどうであれ、何もしない事を決め、そのまま無意に時間が流れた結果、彼の働くための力強い足や、器用な手は退化し、全く役に立たなくなった。 いや、正確には手足は今でも満足に動くが、何かをす
若年性認知症 自分が出会った若年性認知症の患者さんは元々大手の商社で働いていたそうだ。 一見すると優しいお父さんのような風貌ではあったが、この時すでに彼の記憶は少しずつ抜け落ち、ほとんどの生活行為が自立できていない状態だった。 一緒に活動すると不安が高く、こちらが言う全てのことに、小さい男の子のような口調で何度も確認をしていた。 料理をすると、手の使い方などは覚えており、何も言わなくても利き手で包丁を持ち、押さえる手は猫の手になり、魚の鱗を削ったり、捌いたりする手つきは、
アートの強みは説明が無くても一目で作者の意図が伝わる、いわゆる非言語のコミュニケーションに特化した結果、言葉の壁を破り、一瞬でメッセージを伝えることができることだ。 古典絵画などが理解できないのは、その時代背景や習慣、社会情勢など、当時の人が当たり前に肌で感じていた常識を我々が知らないからだ。 しかし、古典絵画についての説明は、ただの歴史の解説よりもよっぽど面白いのも確かである。 作家は様々なメッセージを隠すことができたし、無意識で本心が現れてしまうようなことも多々あった
1あるところに、モグラがいました。 モグラはずっと穴の中で暮らしていて、目があまり良くありませんでした。 穴の中は快適で、モグラの眠りを邪魔する動物もいなければ、蒸し暑い暑さも、凍えるような寒さもありませんでした。 ある夏の日、モグラは聞いたこともないような大きな音に目を覚ましました。 急いで音のする方に行って見ると、モグラの家に大きな穴が開いて、眩しい光が差していました。 生まれて初めて見る光に、最初は怖くて隠れていましたが、乾いた草や、甘い花の匂いに誘われて、モグラは
ボンバーマンは壁を壊す。 普段はおどけて「なーなー。」と話しかけてきては、ゾンビやゲームのキャラクターのモノマネをしたり、ネットで流行っているものの話をしたりしているが、急に些細なことに腹を立てて壁を叩く。 しばらくするとケロッとして、可愛らしい声を出したり、手を触りに来たりしするが、些細なことで、それこそ「きー!」と言わんばかりに急に怒る。 しかし、人に対して直接危害は加えない。 壊さないでと言われている物は壊さない。 タッチはあくまでソフトで、ちょっとかすっただけでも
女の子はおばけが苦手でした。 女の子のお母さんは、女の子のお父さんがオバケになったとよく言って聞かせていました。 女の子は何のことか分かりませんでしたが、そんな話をする時のお母さんの顔が怖かったので、オバケは怖いものだと思うようになりました。 ある日 女の子が外に遊びに行くと人通りの多い道で猫のおばけのような子がひなたぼっこしていました。 猫のおばけは時々大きなあくびをして「にゃー」と大きな声でないていました。 人通りの多い道でしたが、猫のおばけの姿は みんなには見えな
気がつくと、男の子は魔王になっていた。 もちろん初めから魔王だったわけではない。 正義感が強く、優しく、友達もいた。 ちょっと人より体が大きかったり、嫌なことは嫌だとはっきり言えたりする以外は、普通の男の子だった。 でも、格段わがままというわけではないのに、男の子の要求はみんなに聞いてもらえた。 体が大きいからか、ハッキリしたものいいからか、周りのみんなは男の子に優しくしてくれた。 男の子はそれが当たり前なんだと思った。 でもある時から、急に周りの皆が男の子を露骨に避け
緘黙という症状がある。 選択性緘黙と言ったり場面緘黙と言ったりもする。 本来話す事ができるのに、特定の場面で話す事ができなくなる。 家では喋るのに、保育園では喋っていたのに、小学生になったら急に喋らなくなったりする。 で、高校卒業後に急に喋り出したりもする。 今年中学生になる彼女も喋らない。 何かあったら手を引っ張って教えてくれる。 前髪を切ったことや、柔軟体操で足に手が届くようになった事を身振りで教えてくれるが、僕の名前を呼んでくれることはない。 どうしても伝わらない時