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アウトサイダーアート

アール・ブリュの英語訳としてこの言葉は誕生したというが、「生の芸術」と「Out-sider(外の人)の芸術」では印象はだいぶ違う。
この外人的な響きを持つこの言葉に一部の人は抵抗感を感じ、「ボーダーレスアート」や「エイブルアート」などの造語が生まれた。

ここでいうインサイドとは何を指しているかというと、芸術教育機関であり、権威である人たちがアートと認識する範囲の事で、ラスコーに始まりAIへと続く、ヒストリーに列挙されている一つの流れとしての芸術である。
ないものねだりのアートヒストリーの伝統の中で、一応「社会の外側」と定義されてはいるが、要は美術の流れの外側で、未だ定義できていない人々の活動にフォーカスすることに活路を見出し、総称して、当時(アートになりうる)アウトサイダーと呼んだのだろう。

例えばピカソやマティスの作風の変容は、表現方法の面で写実主義を逆行し、結果的にアウトサイダーアート的な表現の流行を引き寄せた。
作品の内容や精神性よりも、スタイルバトルの側面の強いアートヒストリーにおいて、インサイダーの既成概念にとらわれずに作品を作ることのできることや、視覚優位で目に見える形だけでなく過去の視覚的記憶を統合して作品を作ることのできる、今でいうASD傾向の強い作者の作品からインスピレーションを得た作家が多くいたことが想像できる。
また、治療として作品制作を行うアートセラピーもほぼ同時期に現れており、画材の普及も重なり、その数を爆発的に増やしたのだろう。


印象派が浮世絵をモチーフに絵を描いた様に、今でもある一派の人達はあらゆる人間の営みをアートとして売り出せないか考えている。
因みに日本の現代アートも欧米人のアートインサイダーからしたらフォークアートの一種で、エキゾチックだと思われていると言うことは知っておいてもいいかも知れない。

どこが内側で、どこが外側だなんて、その人が今どこにいるかに依存している様な、相対的な指標だ。

そもそもアートの歴史は技術開発の歴史でもある。
油絵の具もシルクスクリーンもビデオゲームやスプレーペイントやCGも、元は外側だった。

矛盾しているように聞こえるが、「アウトサイダー」と認識されたものは、すでにインサイドなのである。