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コロナ禍下の2020年上半期を振り返る

 もうすぐ2020年上半期が終わるので、ダラダラと振り返りを書いてみました。

2020年1月
・近隣で建築確認を受けていない工事がスタートしかけていたが中断。
・2019年末、所属していた障害者団体の最後の1つを退会。障害について報道することもある著述家が障害者団体にいることは、利益相反の問題を引き起こす場合があるため、もともと早く辞める方針だったが、内紛に巻き込まれて辞め時を逃して数年経過していた。内紛が分裂という形で一通りの決着をみたため、2019年いっぱいで退会。
・2020年は、障害者団体を辞めて手枷足枷猿ぐつわ重石などがなくなった解放感のようなものとともにスタート。皮膚の一部にアレルギー皮膚炎が続いているのだが、一気に軽快。「朝起きたら、その箇所がかさぶただらけ」ということはなくなった。
・しかし私が障害者団体を退会しても、内紛というか分裂後の対立は続いているわけで。2020年1月はまだ、分裂した他方を不利にしようという意向のもとで、私に「記事を書いてほしい」という打診が若干あった。バックに分裂した団体がいないかどうかをただすと、実はいる。「私を矢面に立ててメディアに代理戦争をさせたいってか?」とムカついたし、生きた心地がしなかった。しかしなんとか落ち着いて、「間に挟まれる形となる可能性がある編集者と会って直接の対話をして両者の比較的正確な情報を提供する」などを繰り返し、1月中には事なきをえた。
・長年の懸案であった相談支援(障害者福祉におけるケアマネのようなもの)の利用をスタート。
・現在の研究テーマ(社会保障政策がどのように決定されているか)で3本目の査読論文が掲載決定(4月に公開)。3月に博士論文を提出すれば9月に博士学位取得となるが、在籍している大学院で2014年以来ずっと大嵐が吹き荒れまくっている中でのこと。そのまますんなり学位論文が提出できるとは思えなかった。
・中国の新型コロナウイルス肺炎について、友人知人のウイルス研究者や医師たちが危機感を持ちはじめる。単純な風邪や肺炎ではなさそうだとビビる。
・2月に予定されていた米国での学会(2019年11月に予稿審査をパス)と、2月と3月に予定されていた米国での調査研究(2019年11月に研究費が採択されていた)がどうなるか不安になり、研究費の取り扱いを調べてみた。中止、あるいは渡航制限が開始されない限り、取りやめると自己都合での中止となり、実質的にペナルティが発生することがわかり、ビビる。
・私を科学や技術の世界から追い出そうとする動きが、一時期おさまっていたが、またくすぶりはじめる。

2020年2月
・近隣の工事は一時中断。
・相談支援と、その相談支援が導入した新しいヘルパー派遣に、不安材料が発生。詳細は今ここには書かずにおくが、自分の望む障害者像にハマらない障害者の存在を許せない介護事業者さん・ヘルパーさん・支援者さんはいるもの。ただ「不安材料がある」程度のことでサービス提供を拒むと、こちらが後々不利になるため、決定的なことがなにか起こるまで不安の中でサービス提供を受けるしかない現実が。クレームの申しいれも難しいタイプの「不安材料」だった。
・マスクやアルコール消毒剤の買い占めが問題になりはじめる。ウチには数十枚のマスク備蓄があったので、地元・西荻窪の地域のハブの一つに託し、必要とする方に渡していただくことに。
・博論の執筆と提出について、さらに不安が膨らむ状況となる。もともと最悪の事態に備えて、各所に相談して、自分の心身と研究と職業と未来を守るためのアクションを準備していた。その一部を実行にうつす。もう「いつやるの? 今でしょ!」。
・新型コロナウイルス肺炎、さらに詳細が明らかに。日本でも流行のきざし。「自粛」と学校休校開始。郷里の福岡県春日市では、4月から学童保育の指定管理者の変更が予定されている。大混乱が予想されるものの、出来ることは実質的にほぼない。
・2月にシアトルで予定されていた学会に予定どおり参加。学会で新型コロナ特別セッションあり。研究者の集まりなので、基本的には事実と既存の知見に基づいて「どうすれば、結果として正しく恐れたことになるか」という話しか出てこない。公衆衛生や政治への働きかけについても話題になる。オープンな議論ができることで、むしろ安心感が高まる。その後、サンフランシスコ、ロサンゼルスに滞在し、生活困窮者支援についての現地調査などを行う。2月27日に帰国。
・この他、私の科学や技術の仕事の今後の可能性と関連して、困惑させられる動きが若干あった。2月はじめ、影響力の強い日本人の一人に理不尽な要求をされた。2月のシアトルの学会で、その日本人と関連していそうな日本の研究機関のパンフを見ただけで、そのパンフの置いてあるテーブルが空中に飛び上がって襲ってくるのではないかというくらいの恐怖を感じた。無縁になれれば、それでいい。でも、私が私の仕事やその領域を守りながら無縁になることはできるのだろうかと絶望していた。なお6月現在は、さほど絶望していない。落ち着いて振り返ってみると、その日本人の影響力は強く、一定の立ち位置にはあるものの、そこまでの脅威ではない気もする。2月3月、その日本人が私を攻撃しようとする意図は、はっきりしていたと思う。バックにどこの誰がいたかについても仮説を立てている。そのバックがいれば、怖くはなかっただろう。しかし「だからといって、そこまで?」という言動も目立ち、やりすぎてご本人がまともさを疑われる状態になっていた。5月、私が縁を切られていることに気がついた。もしかすると、かえって「よかった」ということになるのかもしれない。

2020年3月
・3月12日から3月27日まで予定されていた米国東部出張に、予定通り出発することになる。心の中で渡航制限を待っていたのだが、3月12日時点では、まだ2020東京五輪の延期は明らかにされておらず、したがって渡航制限はされようがなかった。そもそも危険の少ない地域にばかり滞在していたこと、すでにロックダウン準備段階で人と出会う機会が減っていたことなどから、日本より安全と感じられるほどだった。しかし、帰国予定を前倒し、3月25日に帰国。米国からの帰国者に対する自己隔離要請が開始される前日。
・博論の執筆と提出? もう「無理無理、絶対無理」な状況に。
・1月に利用開始した相談支援と新しい介護事業所に対する不安が現実となる。3月25日の帰国後、渡航歴だけを理由としてヘルパー派遣を2週間にわたって一方的に中断された(事前に杉並区に相談し「それは不適切」という回答を得ていたにもかかわらず)。理由や成り行きは私を非常に傷つけるものであった。相手は「そうではない」と言うと思うけど、障害者のくせに海外での仕事があったり研究などしていたりすることへの罰を与えたかったのだろう。1月、2月に感じた不安は、そういうタイプのものだった。
・近隣の新築工事は一時中断していたが、私が不在だったうちに建築確認の掲示がされたらしく、3月25日に開始。建築業者(関東大手)は、挨拶状を入れたと主張する。その挨拶状は使っていないポストから後に発見された。使っている大きなポストが外にあるのに、そこに挨拶状を入れなかったわけである。あまりにもストレスフルなため、考えつき実行可能な限り、各所に相談した。そして素晴らしい弁護士さんとの出会いにつながる。
・身辺に、新型コロナと関連した生活困窮の事例が現れはじめる。自分は動けなかったが、簡単なアドバイスだけで100%、ご本人が必要な公的支援をゲットしてくれた。これらの事例では、ご本人の知力やリテラシーがもともと比較的高く、まだご本人に余力があった。だから成功しやすかったのだと思う。ご本人と自分の可能な範囲で手に負えない可能性がある事例は、ふだんから早めに支援団体を頼るようにアドバイスしている。支援団体も資源が余っているわけではないことは重々承知しているけど、無責任な自称支援は、結果としてその人をさらに傷つけることになると思う。誰になんと言われても、「溺れる人を助ける前に、自分の身の安全を確保しなくてはならない」という原則は崩さない。そのことを再確認。
・この他、私の科学や技術の仕事の今後の可能性と関連して、潰そうとする動きが前面に出た。鉄砲玉が現れた。でも鉄砲玉が私に接近しないうちに対策できた、と思う。

2020年4月
・新型コロナウイルスに関しては、そもそも自分自身が複数の持病を抱えたハイリスク群であり、1人暮らしの猫飼い。自分になにかあったら猫はどうなるのか。ヘルパー派遣を受ける障害者でもある。「自分を通じてヘルパーさんが他の障害者や高齢者に感染症をうつすかも」というおそれは減らしておきたいから、ふだんから早めにインフルエンザワクチン注射も受けている。流行が予測しきれるわけではないから完璧な対策ではないけど、少しでも確率を下げることには意味があるのではないかなあ。そんなわけで、新型コロナの感染にも極めて注意しており、6月末現在も感染していない。にもかかわらず、単に米国にいたことを理由としてヘルパー派遣を中止されたこととその成り行きで、精神的に大きなダメージを受けて引きこもりがちに。この件については杉並区担当者の目の前でやりとりし、相手の相談支援事業者は最終的に謝罪した。しかし、相手が出してきた証拠などを見る限り、私は契約開始時点(2020年1月)から何らかの警戒対象となっていた可能性があるかもしれない。2020年6月、まだ「終了」ではない。
・郷里の福岡県春日市、混乱のなかで学童保育の指定管理者が交代。さらなる混乱。6月末現在に至る。
・居酒屋やカフェやレストランの前を通り、中で飲食している人を見ると、「そこに入り込むと自分が障害者差別されるぞ」と思うことが脊椎反射のようになる。日本では事実としてそのとおり。店内に客が私一人しかいなくても、「車椅子で外食している人」という視線が店外の高齢者から突き刺さることがある。聞こえるように「生活保護と障害年金で遊んで暮らしている障害者を許すな」というような会話を大声でされたことなんて、もう数え切れないほどある。パソコン開いて仕事をしているときでも「遊んで暮らす」と言われたり、パソコンを持っていることを店員さんが問題視したり。それらのトラウマが一気に蘇り、外食恐怖症に。
・飲食店では、4月第2週からテイクアウト以外の選択肢がほぼなくなる。ツイッターなどで「お店に入ってお金払って障害者差別されるというバカなことをしなくても、そのお店の味が楽しめていい」という内容のツイートを撒き散らしながら、テイクアウトを楽しむ。しかし30年も西荻窪地域に住んでいると、どのお店の店舗が賃貸なのかを知っている(相続した物件で家賃ゼロでやっている喫茶店は、コロナ禍の影響をほとんど受けていない)。家賃や月商までザッと知っているお店もある。それまで入ったことのないお店でも、苦境が伝わってきたり目に見えたり想像ついたりすると、やはり辛いものが。「自分がそんなことで心を痛めたって、営業が元通りになったときに自分が安心して飲食できるわけじゃない」と思うと、さらに落ち込む。私は、「自分の利益にならなくても高邁な理想を掲げて」というような路線を、とっくに捨てている。そういうキレイゴトの後ろに、どれだけのキタナゴトがあるか。社会運動に若干なりとも関わっていると、見ないわけにいかない。古く小さい店舗の多い西荻窪地域で、飲食店に関して障害者のアクセシビリティを声高に主張すると、「じゃ、古い町並みを壊して、杉並区が強引にすすめる再開発に賛成しなさい、他の方法はない」ということになりかねない。ときどき、国外出張のついでに「はー、スタバのコーヒーは別に美味しくはないけど、日本のように差別される心配がない状態で飲めると、ひと味違うなあ」と一息つくくらいが、当面は出来て最大限だろう。昨今の政治的状況や政府方針を数年~10年ほど振り返り、そこに新型コロナ対策を重ね合わせてみると、障害者差別解消どころか、「障害者皆殺し」くらいの方向に流れてもおかしくない。そんなわけで、飲食店で自分もあまり不快な思いをせずに楽しむことについては、あきらめムードになった。店主さんや店員さんのご理解が深いお店は増えてきた。でも、お店で出会う他のお客さんを選ぶことはできない。
・2月、マスク数十枚を託した西荻窪地域のハブの一つから連絡。ぜんぶ必要とする人に渡したと。他にもそんなふうに備蓄を託してくれる人が何人もいたと。「この西荻窪に住んでてよかった」と思った瞬間だった。
・マスクを入手出来た人が私に送ってくれることが相次ぐ。もう10年以上にわたって直接のお付き合いがなかった計測器メーカーさんからも、不織布マスクが送られてきた。布マスクを作っては「万置き」と称して友人知人宅のドアノブにぶらさげている地域の友人もいて、私も2枚もらった。手芸店にマスク材料を求めて人が押し寄せる事態は西荻窪にもあったし、駅前のドラッグストアに警備員さんが立っていたりもしたが、パニックは他地域に比べるとマイルドだった感がある。総合して「西荻窪に住んでてよかった」が多かった。
・コンビニで、杉並区在住の旧知の男性とばったり出会う。男性は精神障害者(生活保護利用)で、他者にいきなり暴力を振るうようなことは私の知る限りは一度もないけれど、1つでも許せないようなことが多数重なり、2015年に絶交を言い渡した。その後は何もなかったのだが、今年4月にばったり出会った時、「挨拶くらいしていいですか」と言われた。「挨拶くらいなら」と言ったら、手紙が来た。2015年の絶交の前の1年間も、男性は同じように境界線をあいまいにし、とめどなく私の時間を奪おうとし、自分の話したいことを話し続け、自分の意見に相槌をうたせ、自分の味方であると表明させ、自分が敵視している相手(志葉玲氏とか今一生氏とか)を攻撃するように執拗に迫り、私を「相手が頓死しない限り、自分が自殺か夜逃げするしかない」というところまで追い詰めたのである。モノやカネを奪ったり肉体的暴力を加えたりすることはなかった。しかし、賛成するまで同じことを何百回も言われ、賛成を求められる。その執拗さが怖くてたまらない。何回「No」と言っても、また同じ話が繰り返されることの繰り返し。無力感と絶望感が募った。そんなわけで、今年4月に来た手紙も怖くて開封できないままだった。勇気をふるって、かかりつけ精神科クリニックの中で開封したのは6月。私に再度関わりたいと書いてあった。冗談じゃない。
・4月7日、緊急事態宣言発令。これに先立って、居住する杉並区の公営施設は開館時間を短縮していたが、ほぼ100%閉鎖となる。他地域も同様。このことが意味するのは「困った時に多目的トイレのありそうな場所が当てにならない」ということ。ますます外出が難しくなる。この月は合計で、バスに2回、電車に2回乗ったくらい。杉並区の外には出ていない。
・ついこの間までいた米国の大変な状況に関する報道が続く。見ないわけにはいかない。見ると心が痛む。問題の相談支援と介護事業所が「だからヘルパー派遣停止は正解だった」と自分たちを納得させるのだろうか。それを考えると、さらに落ち込む。
・在籍している大学院と、第三者立会いのもとで話し合いをする。「あと博論だけ」という段階での専攻変更をすることに。とはいえ、それまでの研究成果はそのまま使えて研究テーマの変更もせずに済む。現状では最良の解決だと思われる。ホッとして脱力したままゴールデンウイークを送る。
・新型コロナ肺炎の予防や初期治療に使用されている医薬品(特に秘密情報でもなんでもなく探せば見つかる情報だけど、パニック予防の観点からここには書かない)を、知人の医師に自費で処方してもらった。実際に罹患している可能性が高くても、なかなか検査や治療を受けられない状態が続いていた以上、そういう形で自衛するしかないじゃないか。ふだんの持病の処方箋と一緒に、30年前からお世話になっている近所の調剤薬局に行って処方を受けた。わりあい勤務歴の浅い女性薬剤師から携帯番号を尋ねられた。30年間ではじめてのこと。回答を拒むとコロナ感染の疑いをかけられるのではないかと恐れて答えてしまったが、その情報がどこにどう流れるのかを考えると恐ろしくなった。すぐ日本薬剤師会に電話して問い合わせ、そのような個人情報収集はどこでも義務付けられていないことを確認のうえ、調剤薬局にすぐ電話して携帯番号の削除を求める。その薬剤師は「後に副作用情報が出た時に必要だから」とかなんとか言っていたけれど、「30年間、おたくに私の携帯番号の情報がなくても誰も困ってなかったわけだし、そのくらい自分でも調べられます」という主張を繰り返し、携帯番号の削除を了承してもらった。もっとも、本当に削除されたかどうかは私には確認のしようがない。その後、何回かその調剤薬局に行っており、その薬剤師とも顔を合わせる。私の顔を見ると表情が変わる。その表情の背後に「まだ発症してなさそうだからコロナじゃなかったのか」をはじめとするどのような感情と思考があるのか、これまた私には確認のしようがない。その薬剤師が、よりによってそのタイミングで私の携帯番号を聞いてしまった以上、私は今後ともビビリつづけていなくてはならないことになる。自衛しようと考えた罰なのか?
・近隣の新築、本格的に開始される。外に仕事場を求めて外出できない状況下で、工事の時間は午前8時から18時と長い(しかも午前7時台に始まることもある)。予定を問い合わせても木で鼻をくくったような返事で、まったく知らされない。打ち合わせの真っ最中、乗らない原稿執筆がやっと乗り始めた瞬間の「ドドドガガガドッシャーン」に、どれだけ泣かされることになったか。私も知らない事情がいろいろとあるようで、近隣にいろいろな抗議や妨害の動きが起こっているようすだった。とにかく私としては、合法的に入手可能な情報によって何が起こっているのかを知り、出来ることがあるかないかを検討し、出来ることがあるならやってみることくらいしかない。素晴らしい弁護士さんと出会い、簡単に打ち合わせして、アドバイスを受けて動いてみることが、かけがえない勉強になった。請求はいただいたけど、申し訳なくなるような少額だった。
・緊急事態宣言とネットカフェ閉店、そして生活困窮に陥る方々の増加。見るだけで辛い情報だが見ないわけにはいかない。そして何かできるかといえば、何もできない。もどかしさと罪悪感で精神状態は最悪。
・福祉事務所、社協、生活困窮者支援の窓口にいる職員の人員が制限される。新型コロナ対策。そしてニーズは増大している。このことが意味するのは、ふだんなら行けば少しくらい話相手してくれる可能性のある職員が、そんな余裕はないということ。
・生活保護利用者からの直メールやメッセージが増える。1日数件。表面的な用件はいろいろ。真の用件は、一言でいえば「話し相手をしてほしい」。毎日、メールチェックをするのに勇気を振り絞ることに。相手の望むものを、私は差し上げられない。それは、最初からわかっている。だからお断りしなくてはならない。それは私にとっては大変なこと。精神的にエネルギーが枯渇しているところで、大変なことをしなくてはならなかった。そして消耗した。
・結局のところ、「自分を守り、自分の生活と仕事を守り、自分の家族(同居している猫×3)を守り、収入を得て実績を積み上げ、余裕を作って納税なり寄付なりに回し、可能なら仕事を通じて状況を変えることが自分にとっての正解」ということになる。それは頭では分かっているのだけど、この状況下でそれを実行するのは「眼の前で誰かが死のうとしていても見殺しにする」ということに等しい。そうせざるを得なければ、そうするしかない。その状況を生み出しているのは公共部門の後退であり、仕事と研究で闘っている相手は「まさにそれ」。しかし、罪悪感と無力感で精神状態が凄まじく悪化。結局は自分の回復を優先せざるを得なくなる。
・友人たちが私の生活環境の整備にかかわりはじめる。今、めちゃくちゃ忙しく仕事してる人たちが、その多忙の合間をぬって。名前を挙げたら「あの人達が!」と驚かれるだろう。感謝。過去、ヘルパーさんやボランティアさんが生活環境の整備にかかわろうとしたことは何回もあったのだけど、結局はその人達の「障害者で女性のくせに!」に傷つけられて終わり、箱詰めされた書類がそのままになって動かせないなどして、整備前より悪くなって終わり、次がさらに悪くなってしまい……の繰り返しだった。今回はまったく違うパターンになりつつあり、6月現在も継続中。
・運動がしやすくなる。ストレッチ、逆立ち類似のあれこれ。
・酒量が自然に激減。もともと「お酒はあれば飲むし、美味しいと思って飲みたいけど、なければないで別にストレス感じない」という感じだった。4月は日本酒換算で5合くらいかな。
・毎日が瞑想しているような精神状態に。
・私の科学や技術の仕事の今後の可能性と関連して、一言でいえば私を潰して退場させようとする動き、この時期はまだ続き、激しくなりそうな雰囲気もあった。しかし、私自身としてはごくフツーに、アウトプットになるかどうかは別として勉強を続けているうちに、下火になってくる。情報拡散は、まだ怖くてできなかった感。2018年後半から2020年4月ごろまで、私ひとりに権威や有名人がよってたかって……という感じになってたから。
・科学や学術に関するオンライン集会に積極的に参加するも、参加者一覧を見て、目をつけられて恐ろしいことにならないかとビクビクしながら発言したり、発言力や影響力の強い人が発言すると「その人が発言をしている」という事実に震え上がりながら参加したり。大学や学術や研究の、明暗でいえば真っ暗闇、毒成分にひどくやられていた感じ。
・3匹の猫が相次いで鼻炎や肺炎に。動物病院も営業を絞っており、診察を受けることが難しい状況。人間の衛生用品や医薬品が不足している状況では、動物まで回ってこないのだ。結果として、極めて少ない検査と治療で、全員が無事に回復。とはいえ一番上の12歳男子は、もともと腎臓が年齢なりに弱っており、出来ることが限られており、そこで体調を崩し、体重がかなり落ちた。

2020年5月

・5月1日、近隣の新築現場に対する妨害を行った嫌疑をかけられていることを、福岡の父親からの「変なことをするな」というメッセージで知る。父親が言ってくること、父親に言わせて思いどおりにしようという勢力の存在だけでも充分に気持ち悪い。妨害を行ったとされる人物たちの歩行については何の情報もなかったから、おそらく2足歩行していたのだろう。その現場まで私が補装具を使わずに歩いていくのは無理。ちなみに、その妨害が行われたとされる日、私は一日中ずっと外出していない。
・↑の件、父親に連絡を取ったのは、施工している関東の建築大手の営業社員。父親が私に(文字で)言ってきた内容によれば、妨害を直接受けたのは現場で作業していた職人。職人から営業社員までの間に、妨害した人物が地権者であるかどうかを知っている人物(おそらく施主一家の誰かと思われる)がいたと察せられる。そんなあやふやな伝聞で、私はやってもいないことを「やった」とされた。過去、両親ときょうだいからは、良からぬことを私のせいにするとか、私がやってない悪事を私がしたことにされるとか、そういったことをさんざんされてきた。5月1日のこの件は、はっきり記録されているので、これをもって、過去に私が受けた濡れ衣や罪のなすりつけの類は、全部根拠がなかったことにしようと思う。そういう使い方でもしないと、この屈辱的な経験を昇華できない。
・5月2日、近隣の新築現場で上棟。関東の建築大手の社員2名(いずれも男性)が、はじめて挨拶回りに来た。午前8時すぎ、門扉を勝手にあけ、庭に回り込んで窓から挨拶。私は午前3時まで、時差のあるとこのオンラインセミナーに参加していたから、しっかり寝ていた。この関東の建築大手は、女性活用では先進的な取り組みで知られているが、今後は私が死ぬまで、その企業が「ダイバーシティ」「女性活用」と言ったり、そのお宅を設計した社員建築士(女性)がなにかそういう文脈で出てきたりしたら、大声で(文字で?)、心から嘲笑することにする。この件について、建築大手社員は私の父親には「失礼しました」と言ったそうである。私は何ら詫びられていない。
・5月第2日曜日は母の日。私自身は母の日にはトラウマしかない。これがきっかけで、40年間封印していた菓子づくりを復活させた。40年前、母親の暴力的行動によって封印したのだが、その時に作りたかった菓子を作りながら経緯を振り返ることで、自分が物心ついて以来の両親や家族との間のあれこれと原家族の成り立ちについて、親類や実家近隣との関係を含め、モデルを立てて統一的に理解することができた。それは、5月1日の父親からのメッセージを含めて現在を説明するモデルを立てることにもつながった。また、そのモデルが近未来に変化する可能性の予測につながった。原家族とのトラウマと現在進行中の関係は、私が物心ついて以来、55年にわたって私を苦しめている。関係については相手もあることなので私だけではどうしようもないが、自分にとってよりマシな対処を検討して実行することはできるだろう。トラウマは、回復させることができるだろう。信頼できるトラウマ専門医とのオンライン診察もふくめ、5月の1ヶ月間で、原家族トラウマからの回復がかなり進んだ。ただこれは心身を消耗させることでもあり、疲れた。
・義理や義務感ではなく、「向こう数日の命だとしたら、何がしたいか」から生活を組み立てられるようになった。
・音楽の勉強やバレエのレッスンをオンラインで再開した。松本直美さんの講義、倉永美沙さんのレッスン。といってもバレエのレッスンは、80分の中で自分が身体のどこかを動かしていたのは8分程度。フラフラになるというか循環器の危機(喘息持ちなのでパルスオキシメーター持ってる)。中断せざるを得ない。自分の意思によって音楽に合わせて身体を動かそうとすることは、いわゆる生活機能とは全く違う話。見ているだけでも危険。脳内で身体を動かす前提で見ているだけで循環器の危機がやってくるから、SpO2をモニタリングしながら危なくない範囲で中断を入れながら見てた。音楽にかかわるライフワークを遂行するために必要なことに関する松本さんのアドバイス。レッスン後に倉永さんに「以前バレエをやってた障害者で、今日は8分くらい身体の一部を動かすのが精一杯だった」と話したら、倉永さんが「いっしょにがんばりましょう」と言ってくれたこと。そしてお二人の日本語での発話。日本社会に適応する成分がまったくない語り口、しかもネイティブの日本語、日本女性の声。「こんなふうに話していいんだ」ということが自分を勇気づけてくれる。私が松本さんや倉永さんのように話したら攻撃されるのなら、私がその場を遠ざければいい。その場は、私にとって有害なんだから。そういう決意が生まれた。
・「家の中で口から言葉を出しても安全」という状況を確立したいと思った。傍受盗聴でもされていない限りは漏れようがない家の中での発話が漏れるようなら、そりゃ傍受盗聴されてるってこと。そして私には、1997年以来(当時の勤務先だった沖電気で、上司が「会社転覆」の嫌疑をかけて上層部を動かした。上司が豪語していたところによれば公安も動かしたらしいが)、そういう状況がずっと続いていた。2回転居し、携帯電話を何回取り替えても、メールのプロバイダを何回変えても続いた(メールについては完全暗号化に移行中)。2020年に入ってから、傍受盗聴を疑わなくてはならない事態は激減したが、いつ突然ぶり返すかわからない。とにかく、私は家の中で口から言葉を出すことだ。怖くても。出した言葉がどこかに漏れていたら、「こんなふうに漏れてる」と叫べばいい。それを繰り返していれば完全に止まるだろう。そう信じることにする。
・怖くて口から言葉が出せないことが理由で、途切れ途切れになっていたオンライン英会話レッスンを、なるべく週1で行うようにした。サボってもなんとか月2回。世間が考える「日本人女性障害者」に閉じ込められて暮らさなくてはならないのではない人生を送れる可能性に、希望を託したい。
・やる気がしなくて、なんとなくオンライン囲碁ばかりやっている時間が長かった。1日7時間とか8時間とかになると、さすがにまずいでしょ。酒を飲まなくなったものの、何らかの依存症傾向があるかもしれないことを自覚しておく必要がありそう。それ自体は「被虐待児あるある」ではある。
・しかし、2019年8月からのめり込んだオンライン囲碁、2018年からやってる外国語学習アプリでの外国語つまみ食いは、自分を「日本に生まれた日本ルーツの女性で中途障害者」ゆえの呪縛から開放するのに役立っている。私は、正体を明らかにするような情報を全く出していない。勝ったからといって「女のくせに」とは言われない。ハイスコアを出したからといって「障害者のくせに」とは言われない。女のくせに障害者のくせに何かを達成した罰を受けることはない。「息ができる」という感じがある。これを仕事や研究に展開したい。場所や相手を選べば、できるだろう。難しいけど。
・酒の量は激減したまま。5月は3合くらいか。朝、起きた時、突然「なんでもいいからアルコールが飲みたい」と思う日が2日か3日あった。過去35年間、1年365日のうち360日くらいは飲酒していたわけだから、何らかの身体的依存はあってもおかしくない。しかし概ね、酒を思い浮かべただけで気分が悪くなるくらいだった。
・生活リズムがめちゃくちゃに。
・住まいの軒下で野良猫が子猫を産んだことから、その野良猫に食事を与えながら避妊手術の機会を伺っていた近隣の保護猫活動の方々とのつながりができた。
・2018年11月以来、開店休業に追い込まれていた科学関連の仕事について、再開の目処が立ちはじめる。2018年10月末にYahoo!ニュース個人のオーサー契約を解除されたこと、その約10日後の共催イベントでの不穏な動き、その後につながる妨害の数々。乗り越えてしまえば、明るみにできる。その日がくると信じて歩みたい。そして2020年5月から6月にかけては、その可能性が少し見えてきた時期でもあった。「何をしても無駄」「何をしても、しないより悪くなる」という成り行きに持ち込ませない方法は、きっとあると信じたい。この数ヶ月間にわたって続いていた、私を袋叩きにして追い詰めようとするかのような動きは、少し下火になってきたように見える。
・日本の障害者の生活状況が、主にヘルパー派遣の不足(感染や差別をおそれ、パートを中心に介護者の休業や退職)から厳しくなる。中には、命にかかわりかねない事例も。行政も、コロナ感染に関する充分な想定や準備はしていないところが多い。杉並区内の障害者や介護等事業者の集まりには参加しているが、その区内の介護事業者とのトラブルで大変な目にあったばかり。積極的な参加はできない。自分に出来ることは、自分自身が介護や医療のニーズを増やさないことだけど、介護ニーズを増やさないことはそれはそれで後々問題になる。行政は「少なくてもなんとかなったのなら、削ります」と来るから。
・米国にいる日本人の友人知人たちの生活状況が目に見えて悪化する。それそのものは書かれていないとしても、生活困窮を伺わせる内容が増える。心が痛むものの、何もできない。日本にいて出来ることは、日本にいる外国人の生活保障に間接的にでも役立ちそうなことくらい。国境を超えた社会保障構築の動きは20年以上前からあるんだけど、国際情勢が剣呑としつづけている中ではなかなか進行しない。もう少し体力気力を立て直したら、「外国人の生活保護反対」の大合唱にめげない自分になれるだろうか。そもそも2020年現在、生活保護を準用されている外国人の数は大したことない上、今後、増えようがない。全部削っても、日本人を貧困から救うことには大して役立たない。さらに今後、何か地球規模の大波乱が起こるたびに、国や地域は鎖国的になっていくだろう。閉鎖と開放の繰り返しの中で、世界共通社会保障の意義や重要性がクローズアップされる時もあるかもしれないけど、「ときどき、非常に閉鎖的になる」ということは避けがたいと思われる。その時、日本と日本人が国境を超えて日本人を守りたいのなら、一番手っ取り早いのは日本にいる外国人を守ること。表現は悪いけど「人質外交」でもある。ご近所の中韓に対しては「人質外交」の有効性は非常に高いから、たとえば尖閣問題解消に結びつけることだって出来るのではないか。この問題は、いろんな側面から考えることができるけど、単に損得勘定としても、外国人生活保護は認めておいたほうが日本のトクになると思う。ましてや現在、新型コロナがもたらした混乱のさなか。昔から「恩は売れるときに売っとけ」って言うじゃない? 外交や交易を含めて日本の国益を考えると、日本にいる外国人の生存と生活を守ることには多大なメリットがあり、ほぼデメリットはない。右派右翼の中には、その程度の損得勘定が出来る人なら多数いるはず。希望は捨てない。
・研究費1件に応募。研究プロポーザルは好きで得意。それで自分を立て直す。もちろん採択されてほしいけど、採択されても現状だと使えるかどうか不透明。
・大学院の専攻変更が承認される。
・3匹の猫たち、まあまあの健康状態を維持。12歳男子もやや低空飛行ぎみながら、まあまあ。毎日ツボマッサージ。彼の体重が随時測れるよう、人間用体重計の場所を移動。食欲は激しく盛り上がることはないものの、体重減少は抑えられた。

2020年6月
・4月以来、会議や研究会や勉強会がほとんどオンラインに。障害者差別が起こりにくいので助かる。私の姿が見えていないと障害者差別は誘発されにくい。
・リアルの記者会見が再開される。こちらも参加を再開。緊急事態宣言の解除とともに「どこに多目的トイレが」問題は解消されたから。しかし、都心の喧騒で頭が痛くなる。それに、ほとんど人と会わない約3ヶ月を過ごしていて、私からは障害者差別への耐性がなくなった。とある大手新聞社の記者さん(私より若そうな女性で私が何者なのかは知らない)が、車椅子に乗っている私を見て「大丈夫?」と声をかけたという程度のことで、その後何時間も泣きじゃくったり。車椅子の障害者を見ると、何も起こっていないのに「大丈夫?」(「大丈夫ですか?」ではなく)と声をかける人は多いのだが、これは「私は上から目線で一方的に、あなたに声をかけたいから、かけたいようにかけていいのだ」という宣言になる。「大丈夫ですか?」でもあまり変わらない。当の障害者に不快な思いをさせたくないのなら、「そこに居るのが二足歩行している暴力団員風の男性だったら」という前提で言動を選んでほしい。ただ「声掛けがしたい」のなら、壁や天井にどうぞ。人間と違って文句いわないから。もっとも、「障害者に声をかける配慮ある私」を周囲に見せびらかすことが目的なら、その人の目的は達せられるであろう。私がどう思うかと無関係に。この大手新聞社で福祉に関連する取材をしている女性記者には、まことに失敬な人の存在確率が多い。そうじゃない女性記者もいるし、それなりに偉くなっていたりするのだけど、部署の体質って簡単には変わらないからね。私の頭に荷物をぶつけといて「ごめんねえ」と軽く歩み去った20代(当時)の女性記者もいたっけ。2015年のことだった。その出来事は、後にある障害者団体の幹部となった男性の目の前で起こった。男性はまったく問題にしなかった。男性は、その数日前、障害者と健常者が集まってのセミナーに参加していた時にも参加していた。私は前日徹夜していたので、休み時間に部屋の隅で車椅子に座ったまま寝ていた。すると東北から来た障害者家族の集団が、私をわざわざ起こしてお菓子を勧めるのだった。障害者には疲れた時に仮眠する権利もないのか。男性にその時の怒りを話すと、男性は「空気が読めない人はいますからね」と軽く流した。そういう問題ではないだろうと怒りたかった時に、頭に荷物がぶつけられたのだった。この男性には後に激しい中傷を受けた。私が自己顕示欲でいっぱいだとか。根拠は、プロフィールに顔写真を使っていたことであった。
・飲食店や小売店の営業や混雑のようすが、コロナ以前に近づく。私の利用頻度も、少し高まる。しかし2ヶ月ほどにわたって、その「わざわざお金を使って(お金を使うために)、わざわざ障害者差別に近寄る」という行為自体、難しい時期が続いていた。安全が確認できるお店と状況なら遠ざける必要はないのだけど、そういう状況を選ぼうとすること自体にストレスを感じるようになる。そこまでして行かなきゃいけない飲食店は、ないと思う。
・近隣の新築、完成に近づく。この経緯を通じて、日本の法や制度への信頼がガタ減り。「なんでもあり」「やったもの勝ち」を法や制度が追認しており巻き込まれなければ幸運だ、くらいの認識に。
・6月25日、2013年の生活基準引き下げ訴訟の初の地裁判決。日帰りで新幹線出張。たぶん半年ぶり以上の新幹線、3ヶ月ぶりくらいの本格的公共交通機関利用だったけど、できた。しかし翌日は疲労で倒れ込んで動けず。
・4月に住まいの軒下で生まれた子猫たちが、保護されて新しい家族のもとへ。母親の野良猫も捕獲されて避妊手術を受け、6月末現在、うちの非常用大型ケージの中でお預かり中。人間の家庭で過ごすことに慣れ、トイレが使えるようになったら、近隣の保護猫活動の皆さんとともに、大々的に新しいご家族探しだ。このことを通じて、これまで続けてきた取材に思わぬ深まりが出来る可能性も。人生わからんもんだ。
・Quoraでの回答をはじめる。2018年10月末にYahoo!ニュース個人の契約を切られて以来、文章を書くことへの恐怖感と闘いながら記事を書いてきた。単に「Yahoo!ニュースが」というより、私自身を社会的に抹殺したい圧力を感じた。それは今でも感じている。なにしろ私は、1997年7月、沖電気を抹殺しようとしたことにされた。どんな馬鹿げた作り話でも、動かされてしまった人々には、「それは正しかったことにしなくては」という惰性が働く。特に沖電気みたいな、役所より官僚的な組織では。少なくとも2018年、2019年時点では、その余燼がはっきりくすぶっていた。2018年には、Yahoo!ニュース個人のオーサーに、沖電気に関する怨念があるかどうかをただされたことも。そんなねー。辞めて20年近い会社のことなんてどうでもいい。2000年、辞めた瞬間に自由になったはずだし、私がいた事業所は2008年に他社に買収されて現在は消滅してるし。なぜその後も私が解放されないのか。そのことの方が問題なんだけど。ともあれQuoraは、「自然に自分の中から言葉が出てきて文章になる」という感覚を取り戻すのに役立った。
・前後するけど、2020年3月、ちょっと画期的な出来事が。1997年、沖電気(労組)は西荻窪地域の人々も私の血縁者も動員して総攻撃をしかけた。西荻窪地域には、攻撃の先頭に積極的に立った人物もいた(言うことを聞かず、私に分かるように何が起こっているかを教えてくれた人もたくさんいたけど)。その人々は、地域を去ったり死んだり、病気などで表に出てこれなくなったりして、一人減り二人減り。攻撃に積極的に加担した人物の最後の一人が、今も西荻窪で健在。その男が死んだら、一人で大祝賀パーティーをしようと思っていた。ところが3月、近所のスーパーでその男とバッタリ出会った。男は私に気づくなり、逃げていった。少なくとも、1997年の沖電気の出来事を引きずった集団イジメについては、まだ自分の血縁でくすぶってる。また私が中途障害者になってから後は、杉並区福祉との関連で再燃したりしてる。でも、遠くない将来に終わることを期待してよいのかもしれない。早く終わらせるには? 何が起こっているかを抱え込まず、早めに開示することだろう。これからは、やる。そして、3月に私を見て逃げていった男についても、このままにはしない。1997年から2001年(同居していた元夫に関連して)に、その男が私に何をして結果がどうなったか、相手が健在のうちにぶちまける。死んでしまったら欠席裁判。生きている間にやらなくちゃ。相手は卑劣だけど、私は同じ卑劣を返さない。
・ダラダラとSNSやネット囲碁をやっていることが苦痛になり、だんだん時間が減ってきた。
・研究や仕事に向ける時間とエネルギーが自然に増えてきたし、快感でもある。しかし、まだ「発信がこわい」という感覚が残っている。誰に、どのような実質的な処罰を受けるのか。この恐怖感を乗り越えることが次の課題。
・目の前の課題は、研究を「何かしたら罰を受けるかもしれず、何もしなくても罰を受けるかもしれず、要は潰されるしかない」という恐怖感なく進行させること。具体的には、9月末に博論が出せるように。その恐怖感は、事実と経験に基づくもの。物心ついたころから刷り込まれてきたもの。その恐怖感を呼び起こしたり利用したりしないでほしいけど、敵がいたら当然利用される。せめて学位取得まで、そんなことが起こりませんように。具体的に細かくブレイクダウンした予定を立て、「ツイート一個、また一個」くらいに進めていくのが良いかと思う。賽の河原の鬼がいたら、そんなことをしても無駄なわけだけど。ううむ。やっぱり、どうしても不安。
・人と話すときに、松本直美さんや倉永美沙さんの声や口調を真似てみることを心がけるようになった。一度やってみて大丈夫だと、二度三度と自然に続く。日本の女性(障害者)差別と無縁であるかのような声や口調は、結果として差別を遠ざけやすい。やってみて気がついた。これを完全に地にしてみよう。すると、差別を近寄せない自分を作れるかもしれない。そういう私を気に入らない人は、自動的に遠ざかり、近寄ってこなくなればいい。
・過去の壊れた人間関係や社会関係について、相手がどのように私に原因を求めていても、「そうじゃないかもしれない」と本気で思えるようになった。ここ数年についていうと、私が差別に屈しない構えをみせたら人間関係や社会関係が壊れた。それは、相手が「差別に甘んじる女性障害者」を求めていたってこと。
・科学技術から私を追放しようとする動きは、「消えた」「消せた」と仮定してよさそうな状況になったのではないかと思う。そう仮定して、しばらく様子を見てみる。
・はじめての編集の仕事(無償だけど)始動。
・酒の量は急激に増えた。週あたりで日本酒換算で3‐5合にはなっていると思う。ちゃんと計算してみよう。6月の実績見込は、テキーラ(40度)720cc、ビール(5度)720cc、サイゼリヤのワイン500cc、日本酒5合。日本酒を15度とした換算だと19.2合。一升瓶2本分。1日あたりでは1合以下だから、減酒に成功しているのではあるし、徐々に酒量が増えたりはしてないし、連続飲酒につながる要素があるわけでもないんだけど、飲まない快感と飲まずにいる快適さに目覚めちゃった。月に1回か2回、本当に美味しいと思えるお酒を味わう程度が、自分にとって至適なんじゃないかと思う。
・生活リズムはめちゃくちゃなまま。というか、緊張や集中と弛緩や休養のバランスが取りにくい。予想が予想どおりにいかないことの連続。
・3月に比べて、日常動作での疲労や「実質できない」が増えている。筋力体力そのものが落ちたのか、毎日していた動作が3ヶ月ぶりとかでスムーズにいかないのか、判断しにくい。筋トレや軽めの有酸素運動だったら、2017年11月から毎日やってる。そこまで細かく覚えているのは、7月に3歳になる猫を迎えた日の朝に始めたから。
・3匹の猫たちの健康状態、12歳男子の食欲と体重はやや低位安定で減少傾向にはなかったところに、6月24日から保護猫の預かり開始。この緊張感と刺激が良い影響を及ぼしたらしく、元気と食欲が増大傾向。12歳男子の体重は、その後測れていないけど、手に触れる骨の感じが減った。太ってくれているといいな。
・都知事選が公示され、立候補者が決まり、ただいま選挙戦真っ最中。野党からは宇都宮健児さんと山本太郎さんが立候補している。キタナゴトの泥沼の中で、あるべきキレイゴトの実現のために歩みをとめないお二人は尊敬している。でも私自身はキタナゴトに足をとられまくり、泥沼で溺れそうな人間なのだ。お二人ご自身は、おそらく「それでいい」とは思っていないだろう。私に関して「あいつは戦略的に見殺しにしてもいっか、最悪でも生活保護を使って死にゃしないだろうし」と思うことはあるかもしれないけど、それを堂々と口に出すことはないだろう。でもお二人の、貧困や生活保護や障害や福祉というキーワードは、いろんな人を引き寄せる。今の私にとっては、正直、近寄るのに覚悟が必要な世界。というわけで、お二人の選挙の話を見聞するのがしんどい。
・都知事選で、選挙のたびにしんどい毎度のパターンが復活してめげる。自由選挙の維持には秘密選挙であることが必須。小さい町や村の選挙で、有力者に投票しなかった人が誰なのかバレたらどうなるか。だからといって報復するのは悪だけど、そもそも秘密選挙だったら報復のしようがない。沖電気に勤務してたころ(1990-2000)、労組役員の選挙が形式的に存在したけど、投票用紙を集める職場委員は、誰が誰に投票したのかを把握しようとしてた。私は「なんのために見てるんですか?」と言いながら無効票を投じてた。無効票もまた「組織の敵」としてマークされるので、誰が投票したかわからないようにすることが可能であれば望ましかったんだけど、先方は「組織の敵」を見つけようとしている。それに自発的に協力しない私は、どうしたって「組織の敵」になってしまう。話がそれたけど、今の私は報道の仕事をしており中立性と客観性が期待される。そうじゃない姿勢を積極的に選ぶ報道関係者もいるし、その仕事の中にも尊敬すべきものは多数あるけど、私はその姿勢をとらない。自由選挙は秘密選挙でなくてはならないと考えている。ふだんから、政党や政治家の支持不支持については絶対に語らない。そもそも、個別イシューの是々非々主義なので、支持政党や支持する政治家が発生しない。仕事や研究を通じて、たとえば一枚岩の「自民党」が存在するわけではないことも、イヤというほど知っている。「民意」は、多数派にだけあるわけではない。なのに選挙のたびに、私が誰に投票するか、どこを支持したり不支持だったりするのかを知りたい人が現れる。もうこれが苦痛で苦痛で。私が毎度そう表明しているせいか、選挙が近くないときに、支持政党や政治的意見をニコニコニタニタしながら数時間にわたって聞こうとし、人間関係その他を利用して逃げも抵抗もさせないという男性もいた。絶対、最初から嫌がらせ目的だったと思う。その男性の職業と経歴と立ち位置を明らかにしたら、皆さん「えー!」と仰天すると思うけど。弱者の味方を標榜している人には、そういう人たくさんいる。驚くようなことではない。ともあれ私は、支持政党や政治家に関する意見は「言わない」と表明している(注)。理由は、自由選挙は秘密選挙だから。報道が事実として中立や客観を実現することはないと思うけど、それを志向することを捨てたらおしまいだと思うから。メディア企業の社員とは異なり、私の記事は私自身であり私と切り離すことができないから。それと異なる個人的意見を持つ理由がないので、どれだけ執拗に聞かれても出てこない。私にプライバシーがあり、私がそれを守りたいように守るのは当然。でも、それとも別の話。いつまで、こんなことが繰り返されるのか。この繰り返しを止めるために一番効果的なのは、「嫌がらせ目的で政治的意見をニコニコニタニタしながら数時間にわたって聞こうとし、人間関係その他を利用して逃げも抵抗もさせないという男性」の件を表に出すことだろうか。いずれ、やる。相手がせめて、私がそのときに受けたのと同等のダメージを受けるように。そう決意して、自分を絶望から救い出した。
・欧米を中心に、世界各地の障害・貧困関連のセミナーに積極的に参加。日本時間の深夜に行われることが多いので、参加できるのは参加したいものの10%以下だけど。そのうちに、日本の運動で感じられる疑問を口にしたりチャットにしたりすることに抵抗を感じなくなったし、それが日本人に読まれることに対する恐怖感も薄れてきた。私が「自分もこの世界で生きられるし、自分がすべきと思う活動をすることができる」と確信できる日は遠くないかもしれない。

(注)
個別政策に関する意見なら、表明することもある。というか、私の記事はそんなのばっかり。でも対面で、インフォーマルな場で言うことについては慎重。ほぼ、言わない。
政治的課題って、単純明快であることの方が少ない。とある政策自体に私が反対だとしても、反対理由や含まれる課題それぞれに関する認識や意見まで、誰かと一致することはほとんどない。当たり前じゃないか。課題が複雑なんだから。でも、それが「みわさんも私と同じ意見」ということにされて伝えられてしまったら? 文章で記事書いてても、そういう「つまみ食い」をされることはある。口頭の消える言葉なら、なおさら慎重にならなくてはならない。つまみ食いされた内容が一人歩きを始めてからでは遅い。

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