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私(たち)はどう生きるか ー ただいま、ゆっくり再始動中

 2021年後半以後、広く読まれる媒体での仕事を激減させていましたが、ゆっくり再起動中です。
 本記事では、「今後どうしていきたいのか」「この間どうしていたのか」を記してみます。

私(たち)は、どう生きるか

 これまでと同様、猫たちのワンオペ養母として家庭を維持しながら(維持するために)、執筆と研究を中心に発信するでしょう。
 並行して、他の方々の発信を助けることを仕事にしたいと考えています。

研究という2本目の柱

 2023年3月、社会学で博士学位を取得しました。執筆に次ぐ2本目の柱としての研究を、執筆と研究による相乗効果を狙いつつ、ボチボチと息長く続けていきたいです。

「理系」成分の再強化

 カギカッコをつけたのは、日本の「文理分け」が異様だからです。
 特に意図したわけではなく「理系」に引き寄せられた「天然理系」、応用物理学で修士号を取得して2010年ごろまで理工学にドップリだった私にとって、現在のバランスは「文系」に傾きすぎています。
 自分として自然なバランスを探るため、当面は「理系」成分を再強化していこうと思っています。放っておかれれば、そうなりそうです。「理系」の他人様の取り組みや成果を知って紹介しようとしていると、よほど性に合いそうにもない分野以外は「あああ私もやりたい」と感じます。

国際社会に発信

 日本が抱えている多様な社会課題は、世界中から「日本どうするんだ」と注目されています。なので、国外への発信にも力を入れていきたいと考えています。「3言語で5~10か国に読者さんがいる」という状況を、今後5年くらいで確立しようと考えています。まずは今後3年間くらいで、過去に書いたものの英語インデックスを作るのが現実的な路線でしょうね。

他の方々の発信を助ける=「編集」という3本目の柱を

 出版・報道業界では、「ほぼ、ライターしかやってこなかった」という弱みと強みがあります。同じ弱みを持つ他の方々のお役に立つことで、この弱みを強みに転化できれば、と思います。今後1~2年程度で、編集を学んでスキルを身に着けられれば。情報の流通がどのように変わっていっても、AIがどのように発達しても、「編集」が不要になることはないはずです。

「社会の受容や理解を求めない障害者」というロールモデル

 2000年代に中途障害者になって以来、障害当事者として「社会の受容や理解を待たずに自分の道を歩き、波風を立てる」という路線を歩いてきました。といっても、確信して歩んできたわけではありません。内心「これが正しい……のでは?」と思いつつ、社会にうまく受容され理解されつつ物事を動かしている障害者の皆さんに接すると「こちらの方が正しい気がする」と迷う日々を連続させたあげく、受容されず理解されない道を歩くしかなかった感じです。
 今後は開き直り、この路線をさらに追求していきたいと考えています。ただし、必要以上に消耗したり潰されたりしないように、これまでの人生経験の中で蓄積したノウハウは活かしつつ。

コロナ禍で「付き合い」が悪くなった私

 2023年現在から振り返ると、コロナ禍は大きな転機でした。
 ヘルパー派遣を受けている私にとって、「自分が新型コロナに感染しないことにより、自分より悪条件下にある他の障害者や高齢者を感染させない」ということは極めて重要です。必然的に、直接支援活動をはじめとするリアルの動きについての「付き合い」が悪くなりました。

急増したボランティアに排除された私

 2020年以後、コロナ禍による急激な貧困の拡大は、ボランティアの活躍の場を拡大させました。そこに出てこれて活動できる方々は、しばしば、女性や障害者や女性障害者への偏見を修正されないまま私と出会いました。小学校のイジメのようなことが頻発し、やられた私はさらに立場が悪くなることの繰り返し。そこまでの意図は誰にもなかったと信じたいところですが、私は実質的に排除されました。需要供給バランスがもたらす必然です。致し方ありません。

2023年も状況は変わらない

 感染対策の必要性は、2023年8月現在も継続しています。私は相変わらず、「付き合い」が悪いままです。そう簡単に「リアルで、マスクも外して」というわけにはいきません。
 急激に増大したボランティア人口は、その後かなり落ち着いた感があります。とはいえ、私の側には「そこにどういう人がいて、私に何をするか分からない」という恐怖感をどう克服するかという課題が残っています。支援ニーズは全く減少していませんから。
 さて、ここで私自身が民間の誰かの支援を求めなくてはならない場面になったら? たぶん、煮詰まる前に支援を求めて動くのだろうと思います。猫たちを巻き込むわけにはいきませんから。でも、支援を求めればそれはそれで、支援されればそれはそれで、痛みを抱え続けることになるのでしょうね。

結局は経済の問題、個人では無理

 心ある支援団体は、どこも疲弊し資金難です。もともと、「有給のスタッフを増やして教育訓練を徹底し、責任ある体制を強化する」ということの必要性は認識されていました。支援ニーズに対応しながら体制を固めていくことは、コロナ禍の前よりも困難になっている印象があります。
 こういう問題に、私は自分自身の心身をさらして立ち向かうべきなのでしょうか? 「否」だと思います。

しかたなく研究にほぼ全振り、博士学位取得

 貧困問題の取材や報道がやりにくくなったところに、2014年から在籍していた大学院博士後期課程の在学年限が迫ってきました。仕事と収入が減った分を増やすことに注力する余裕はなく、資金繰りに脂汗をかきながら博士学位論文を完成させ、なんとか学位を取得しました。
 私にとっては2回目の博士後期課程でした。1回目は学ならず単位取得退学。2回目も失敗したら、3回目はなかったでしょう。学生支援機構奨学金の借金も、2回分です。借金を背負って社会に放り出される若者たちの切実さは、支援団体の方々が私以上に良くご存知のはず。私が学位取得を断念するということは、わざわざ同じ立場に(しかも2回も)なるということです。
 もちろん、そうすることを明白に期待されたわけではありません。言われたのは、「なぜ、直接支援の現場に出てこないのか」というようなことでした。私は、その事情と切実さを訴えるしかありません。すると、「自分だって学術研究はできるけれど、今の活動をしている」というような応答が返ってきて、意味わかりませんでした。もしかすると、その方々の中に「学術研究より自分たちの活動の方が劣る」というような無意識の思い込みがあったのかもしれません。私から見ると、現場でチームワークを調整しながら細かく具体的なノウハウを蓄積していく取り組みは、何と比べてどちらがどうと言えないほど高度な知的活動なのですけどね。
 あるいは、私に期待されていたのは「車椅子に乗った女性障害者の自己犠牲」の図であったということでしょうか? 私は全力で、女性としても障害者としても、そういう役割を否定してきたというのに?
 自分に対する不満や失望の噂を聞くたびに、「なぜ私がそんなことを期待されなくてはならないのか」と心の中で泣き叫びながら研究に向き合う日々でした。

目の前の命? 私にも救えません

 直接支援に尽力する方々に対して、私は不満や恨みや怒りを持っているわけではありません。
 危機にある方々、特に子どもさんたちを前にして全力を尽くして消耗しておられる方々が、私の2020年度以後のありようを見て「許しがたい裏切り」と感じることは、むしろ自然なのではないかと思います。
 では、私が自分の乏しい資源をそちらに向けて博士学位取得を断念すれば、危機にある方々を救えるのでしょうか? 私はそうすべきなのでしょうか? 当時の私は「それは違う」と考えました。というより、「ここまで来て博士学位を断念することになるのなら、自分に生命保険をかけて、猫たちの生涯の生存を支えるお金を残して信頼できる人に託せるようにして、その残りを直接支援団体に寄付するように遺書を書いて3年後に自殺しなきゃ」というふうに思い詰めていました。
 現在の私は、「博士学位の断念と保険金自殺を実行しなくてよかった」と確信できているわけではありません。ともあれ、直接支援からは完全に身を引いて博士学位を取得し、そのまま生き延びてしまっています。正解なのかどうかは分かりませんが、それが私の現状です。

猫たちのワンオペ養母として

 1987年以来、我が家は猫を絶やしたことがありません。2020年が明けて日本がコロナ禍に突入した時期、11歳・3歳・2歳の猫たちがいました。
 その2020年末、12歳になっていた最年長の猫が腎臓の持病を急激に悪化させ、2週間の闘病の末に他界。私は一家の生計をなんとか維持しながら、自分と猫たちの生活に最低限のケアをしながら、緊急性の高いことにとりあえずの手当をしながら……の繰り返しの末に、今日もそのように生きています。
 人間には社会福祉があり、その不足や不完全さが問題にされています。でも、どこかの自治体の住民ではない我が家の猫たちは、社会福祉の対象ではありません。責任を持てるのは私だけです。

誰に何を言われても、私と猫たちを最優先

 コロナ禍は「誰にとっても、明日のことは分からない」という事実を明らかにしたのではないでしょうか。
 私は誰に何を言われても、「自分自身と猫たちの今日を最優先しよう」と考えました。2020年前半の新型コロナは、「今日とりあえず無事でも、明日発熱して、来週にはこの世から消えているのかも」という病気でしたから。
 社会のどこにどんな問題があっても、今日も目覚めると、昨日とあまり変わらない猫たちがいる。昨日とあまり変わりなく、問題が少しくらいあっても楽しく今日を生きている。私も、これまでの人生を捨てずに今日を生きている。そういう日々の連続が、私を救いました。
 直接支援に関わりつづけている方々の中にも、幼い人間の子どもや動物の家族がいる方はいます。その方々と自分を比較すると、どうしても自責の念が湧いてきました。だけど、少なくとも私一人だけは、そんな自分の味方でいることにしました。どうしても私を許せないという方には、離れて行っていただけばいいんです。それはおそらく、中長期的に私自身にとって良いことです。

「お気持ち」に萎え、数量と数式に燃える

 2022年末、生活保護に関する厚労省の2つの審議会が結論を取りまとめました。1つ目は生活保護基準の金額を決定する審議会で、2011年から継続的に開催されています。2つ目は生活保護制度の内容を決定する審議会で、近年始まったものです。
 どちらかといえば、イマイマの重大な内容を数多く含んでいるのは2つ目の審議会です。長年にわたって議論になっている「生活保護で大学通学」の是非も、そちらで扱われました。ですが私はどうしても、積極的に何かをしようという気持ちにはなれませんでした。そして、1つ目の審議会の「数式が」「パラメータが」「結果の解釈が」といった話の方が、圧倒的に私の意欲や関心を掻き立てました。

数式やデータに燃える自分を生かしたい

 感情をかきたてるトピックよりも数式やデータに燃える自分を自覚した私は、「自分に正直になろう」と思いました。「人に関心がない」「生活実態を見ない」といった批判は聞こえてきましたけど。
 数式や数量やデータの羅列から具体的なイメージを沸かせ、「何をしようってんだよー!」と心の中で叫びながら(一応はおとなしく)審議会を傍聴するような人間は、そういう自らの特性を活かすことによって何かをすべきであろうと考えました。「それは、あなたの感想でしょう?」と言われたら、「はい、そうです」、以上。
 生活保護制度を利用する方々(世帯)に給付される金額にかかわるだけではなく、他の低所得世帯や「低所得とはされないけど生活はキツい」という世帯が使える費用の内実にかかわってくるという意味で極めて重要な検討を、私は2011年からずっと追ってきました。今後も継続していきたいと思います。どの程度の重みで行うかは、その時その時でしょうけど。

ただいま、ゆっくり再起動中

 以上、2020年から2023年前半にかけての変化と気づき、そして自分自身の博士学位取得を含む数多くの状況の変化を述べてきました。
 今は、執筆と研究の両方で、ゆっくりと再起動しつつ次の歩みを進めているところです。もうすぐ、2023年9月に書籍として刊行される博士学位論文の校正が終わります。もう予約可能です。

今日も生きた、たぶん明日も生きる

 著述業による収入がほとんどない状態になっているので、目先の運転資金には、かなり困っています。そんな中で、4年ぶりの世界科学ジャーナリズム連盟の大会には行ってきたりしましたけど、猫の誰かが病気でもすれば、一発で吹き飛びそうな不安定な毎日です。
 ここまで生きてしまったのだから、前を向いて少しでも一歩を出し続けるしかありません。
 今日も生きました。たぶん、明日も生きます。 

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。