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ALS女性嘱託殺人の地裁判決がすべて出たので、気になる点をメモ

 2019年に京都市で発生したALS女性嘱託殺人の地裁判決3件が、2024年3月時点ですべて出されています。まずは判決文を読むことから始めるしかないわけですが、読めば読むほど頭の中が「?」でいっぱいになっています。
 気になる点を、とりあえずメモしておきます。

事件と判決内容は?(明らかになった順)

  1. 2019年11月(嘱託殺人)、医師Aおよび元医師BはALSに罹患した京都市の女性Cさん(当時51歳)に依頼され、Cさんを致死量の鎮静剤で殺害。Cさんからは、事前に医師らに対して報酬120万円が振り込まれていた。

  2. 元医師Bの医師免許は不正に取得されたものであり、2021年に取り消された(刑事裁判の対象にはなっていない)。

  3. 2019年3月、医師Aおよび元医師Bは別の難病患者Dさんに対して偽名での診断書を発行した(有印私文書偽造)。Dさんの希望する海外での安楽死のため。その後、Dさんは安楽死を決行しようとしたが、直前に思いとどまった。

  4. 2011年、元医師BおよびBの母親であるEが共謀し、Bの父でありEの夫であるFさんを医薬品で殺害(殺人)。ただし起訴事実を裏付ける証拠とされたものは、A・B・Eのメール等でのやりとりのみ。物的証拠はない。

気になること(1) なぜ自殺幇助ではなく嘱託殺人なのか

 「120万円の報酬を受け取っているから嘱託殺人」と言ってしまえば身も蓋もありません。判決文を読むと「実質的には自殺幇助と見ることができないこともないような」と読み取れる記述もありますが、あくまで嘱託殺人として裁かれています。当然といえば当然なのですが、嘱託殺人のうち自殺幇助の要素が占める比率は、どの程度なのでしょう?  判決を見ると、全く考慮されていない気がします。

気になること(2) 「自殺権」「オーバードーズ権」の行使は?

 日本では自殺する権利が認められているわけではありませんが、罪に問われません.。成功したら処罰のしようがないし、未遂に終わったところを処罰しても自殺予防には全然役立たたないことが世界で広く知られ、自殺罪が残っている国でも非犯罪化の動きがあります。
 「タヒにたい」と思ったり実行に移したりしようとしたことのある方は良くご存知だと思いますが、強い決意をもって1回で既遂してしまうことは多くなく、未遂に終わったり、実行しようとして直前に「今日はやめておこう」という成り行きになったりすることが実に多いものです。多くの場合「タヒにたい」の正体は「生きたい」ですから、そのうちに、エネルギーを生きづらさの軽減に向けるようになるというのが、「タヒにたい」のほとんどのその後の経過でしょう。
 ALSに罹患していたCさんは、自ら「タヒのうかな、いや今日は止めておこうかな」という試行錯誤や、比較的安全な向精神薬を無理なく飲める程度の量だけオーバードーズして深く眠って目覚めたりすることが難しく(呼吸を止めてみるシミュレーションをしたりはしていたようですが)、2019年11月、AおよびBに1回で死なせられてしまいました。もし日常の中に、障害や病気のない人と同じように「タヒのうかな?」「どうやって?」「いや今日でなくても」という試行錯誤や迷いを重ねることができれば、あるいはオーバードーズを試してみることができれば、2024年の今日、「なんだかだで生きちゃってるし、そんなに悪くない」という今日を迎えていたかもしれません。しかし、リストカットやオーバードーズを手伝うことは、ヘルパーにも医療従事者にもできません。AとBは、その「バグ」を突いたようなものです。
 そもそも、全身性障害者には「憎いあいつを一発ぶん殴る」という自由がありません。介助者は、そういう介助を行うわけにはいきません。どういう論理や倫理があれば、他人の自傷や(たぶん未遂に終わる)自殺企図を手伝うことが可能なのかは、今のところ私にはわかりません。しかし、罪を犯す自由や「愚行権」を含めて、障害者には障害のない人と同じ自由が保障されているべきなのではないでしょうか。裁判で、そこが問題にならなかったのは残念です。

気になること(3) 報酬120万円の出どころは?

 Cさんは、報酬として120万円をAおよびBに支払っていました。CさんはALSに罹患していることが分かると、数ヶ月のうちに生活保護のもとで療養体制を整え、亡くなるまで生活保護を利用していました。日本で難病に罹患すると、早めに預貯金を使い切って生活保護に移行するのが最良となることが多いということを、どこかで知ったのでしょうね。「さすが」と感じます。
 しかしながら、どうやって生活保護費から120万円を作ったのでしょうか。「健康で文化的な最低限度」のための生活費から貯金することは、障害があってもなくても大変です。2013年以後は不当な引き下げが相次ぎ、集団訴訟になっています。さらにインフレが重なり、もはや健康でも文化的でもない生活しかできない水準になっています。そこから数年間で120万円を貯金するということは、現実的に可能性があるとは思えません。
 もしかすると「外国で安楽死を」という希望のために無理に貯金していたのかもしれませんが、その金額の貯金に対しては、担当ケースワーカーが黙っていないはずです。現在のところ、裁判の確定判決で認められた最高額は190万円ですが、理論的には500万円程度まではイケるはず。とはいえ、目的によっては収入認定(召し上げ)の可能性もあります。目的を「外国で安楽死」などと述べたら、間違いなく収入認定でしょう。
 どのように作られた貯金だったのか。担当ケースワーカーはどう対応していたのか。そこは非常に気になるところです。あまり考えたくない可能性ですが、もしも「実はご本人の貯金ではなかった」ということであったりすると、それは生活保護では認められない何かです。

気になること(4) 物証なしに起訴はアリか

 元医師Bの父であるFさんに対する殺人は、物証が一切ありません。公判で明らかにされた事実のすべてが、メールやSNSなどでのやりとりに基づいています。判決文に引用されたやりとりを読んでいると、私も「たぶん、殺人は事実なのだろう」と思います。でも、物証なしに起訴して重い刑罰を課してよいのでしょうか? 
 自白に基く起訴は冤罪の温床です。それどころか、通常は証言があっても起訴されるとは限りません。「この人、痴漢です!」という証言だけで誰かを痴漢にすることがあってはならないのと同じです。冤罪も犯罪被害の泣き寝入りも、あってはならないはずですよね? この事件に関しては、中学や高校の社会科で教えられるそういう内容が、吹っ飛んでいるように見えます。

気になること(5) 裁判の進行が速すぎ、量刑が重すぎるのでは?

 判決を見ると、公判開始後は非常なスピード感で裁判が進行しています。求刑も量刑も、異様に重いと感じます。AもBも合計で懲役17-18年という判決になっていますが、多くを占めているのはBの父親を殺害した殺人です。「Cさんに対する嘱託殺人3年+Bの父親に対する殺人14年」のように。人命を奪った罪が軽くてよいわけはないのですが、「なぜ?」と感じてしまいます。
 まさか、「嘱託殺人が成立すると大した罪に問えないから」ということで、Bの父親に対する殺人(繰り返しますが物証なし)が考慮されたなどということはありませんよね?

結論:分からないことだらけ

 私にとっては、あまりにも分からないことだらけです。これだけ分からないことがある状態で何か結論を導いたり議論したりするのは、私には無理。
 Bは最高裁に上告していますから、最高裁に、ここまでの公判記録の開示請求を行ってみようかと思っています。開示請求や閲覧のために、東京から京都(地裁)や大阪(高裁)まで何回も往復するのは無理ですが、最高裁なら「ダメもと」で気軽に行けます。
 私の疑問のすべてが公判記録で解消するわけではないと思いますが、まずは、読まないと話にならないかと。
 

ノンフィクション中心のフリーランスライターです。サポートは、取材・調査費用に充てさせていただきます。