サラリーマンだった私が、「文春」や「Number」で記事を書くようになるまで。♯3 急ぎすぎた旅人たちの後を追って。
noteを綴って3回目。
なんとなく書く方向性が見えてきた。
エッセイではなく、体験談。この媒体と相性が良いのはおそらく後者の方だろう。
自分の関心事に置き換えてもそうだ。他人の人生ほどこの世で気になるものはない!
ということで、改めて時系列に沿って自身の来た道を振り返ってみたい。
なぜサラリーマンを辞めて、ライターを志したのか
その理由はわりとシンプルだ。
僕が会社を辞めたのは1998年の年末だが、もちろんその直前になって決断したわけではない。2,3年前からなんとなく文章を書いてみたい、人に会って取材をしてみたいという気持ちが湧いてきていた。
そんな気持ちになったのは、先達であるスポーツライターの記事を読んで憧れを抱いたからだった。
一人は、山際淳司さん。
あの「江夏の一球」の作者で、軽妙でありながら深みのある文章に魅了された。いま12冊の文庫本と1冊の書籍が手元にあるが、とりわけ無名の選手(たとえばシングルスカルの選手を取り上げた「たった一人のオリンピック」など)に光を当てた記事に心を掴まれた。
その山際さんだが、95年5月に46歳の若さで亡くなってしまう。山際さんは当時、NHKのスポーツ番組でキャスターも務めていて、元気な姿を見せていただけに、この訃報を聞いたときは本当にショックだった。
こんな作家に憧れてきた
個人的な不幸はまだ続く。
96年2月には(ライターではないがやはり人生に影響を受けた)作家の司馬遼太郎さんが死去した。さらには、ノンフィクション作家の佐瀬稔さんまでが、98年5月にこの世を去るのだ。
佐瀬さんは当時からよく読んでいた雑誌「Number」の書き手の一人だった。やはり取材対象は広く、『狼は帰らず』や『ヒマラヤを駆け抜けた男』など、登山家の生涯に迫った本を夢中で読んだ。
クライミングはかつて今以上にマイナーなスポーツだった。エベレスト以外の山に登っても世間からは見向きもされない。それでも、佐瀬さんの表現を借りるなら「背を焼くような衝動に駆られて」山を目指してしまう若者が昔から一定数いたのだ。
個人的な嗜好として、僕はこのどうしようもない人間らしさに強く惹かれてしまう。勝者より敗者。強者よりも弱者。世間に背を向けてでも、好きなことをやり通す人たち。地位も名誉も望めないが、命を削るように己の中にある未踏峰を登ろうとする方たちだ。
そんな人物への共感が、いつしか作者への憧れへと変わっていったのは不思議なことではないだろう。
読むから書くへ、心が移る
だが、作者が亡くなってしまえば、もちろんその続編は望めなくなる。
ならば、どうすればいいのか?
不遜にもそこで、誰も書かないのであれば自分がやればいいじゃないか、と僕は思ってしまったのだ。
そんな折に、さらなる不幸なニュースを耳にする。
97年4月23日、外洋のヨットレースに参加していた、プロセーラーの南波誠さんが落水し、室戸岬沖で行方不明になったというではないか。
(その後、必死の捜索活動も空しく、遺体はついに見つからなかった)
当時、南波さんは日本でもっとも有名なセーラーだった。アメリカスカップの日本艇のスキッパー(艇長)を務め、明るく朗らかな性格が国内のみならず海外でも愛された。アサヒビールのCMに出演するなど、知名度はセーリング界の中でずば抜けていたと言ってよい。
山際さんの遺作は、そのアメリカスカップを題材にしている。『海と風の冒険 海のF1・アメリカズカップへの道』と題された本が未完のまま亡くなった年に出版されたが、この連載にはまだ続きがあるはずだった。
もし山際さんが存命なら、この事故の詳細を追ったのではないだろうか。
なぜ日本の第一人者と言えるプロセーラーが海に落ちたのか。このヨットには他にも優秀なクルーが乗船していたにもかかわらず、なぜ救助できなかったのか。南波さんの人物像にも迫り、きっと新たな一面を描き出していたことだろう。
心焦がす取材対象者に出会えた幸運
じつは、南波さんは僕にとって遠い大学の先輩に当たる。生前の面識はなく、ヨット部員でもなかったが、彼のことをもっとよく知りたいという思いは日に日に増すばかりだった。
真面目に考えて、サラリーマンの肩書きを持ったまま関係者に取材ができるはずはない。仁義を切るためにも、僕は踏ん切りをつける必要性に迫られていた。すなわち、すべてを捨てて、これ一本(南波さんの生涯を書き上げること)に賭ける覚悟があるかどうかを……。
気づけば、自分自身が背を焼くような衝動に駆られていたのだ。
好きな作家が亡くなり、知りたい対象が現れ、もはや迷いはなかった。
それでもなかなか踏ん切りがつかなかったのは、将来への不安が尽きなかったからだ。
会社を辞めて、この先、まともな生活をしていけるのだろうか。
この問いに答えを出すまでに、僕は一年もの期間を要してしまう。