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自己肯定感の低さの日常

私は、自己肯定感が低い。いままで、あれもこれも…と自分の直したいところがすごくあって、それをまとめたら「自己肯定感が低い」って表現に収まるのか、と、なんか納得した。
いや全然嬉しいことじゃない。でも、自分の嫌なところが、いくつも思いついてしまう間に、こんなに…ともっと自分の気分をガタ落ちするのを阻止するくらいにはなってると思う。

よく自分が、あーだめだ、どうして自分ってこうなんだろうと最近よく思うことを、自分が整理する意味も込めて書いておこうと思う。(列挙したものが、自己肯定感と違かったら、ごめんなさい)

  • 何かあると自分をすぐ責める。
    問題が起きると「私が何かしたから…」と、自分に問題があるのではと考えがち。
    だから、仕事でも、すぐ「すいません」が出てきちゃう。上司からそんなに謝らなくて大丈夫だよと言われちゃうくらいに、よく口にする。

  • 頼れない
    頼るってどういうこと?くらいに頼り方が正直分からない。気軽に頼るってなんだ??
    仕事とかで頼るときは、もう自分じゃどうしようもなくて…という最終手段。それまで自分が考えられることはやろうと思うし、分からないことは聞くようにすしてるけど。断られたらどうしていいか分からなくなるから、そこの怖さもある。そして、もし自分が頼られたら、嬉しいけど、こんな自分に…、失敗したらどうしよう…と困ったりするので、そこもあるんだろう。

  • 嫌われるのを恐れている。
    この思いが強くて、いつもどこか不安だったりする。嫌われたらやっていけないくらいに思ってしまうときもある。だから、仕事で社外の人と接するとき、極度に緊張する。自分のイメージもだけど、会社のイメージも悪くしたくないと思いすぎて、なんか対等ではなくて下手に出る言葉遣いになりがち。

上記3つが、最近よく考えてしまうこと。もともと考えすぎる傾向があるから、せめて良い方向で悩みたい…。

「嫌われるのを恐れている」のは、自分の周囲だけではなくて赤の他人に対してもだ。だから、街中を歩くとき、視線を気にして緊張してしまう。
いまは前ほどじゃないけど、自分の視線で人を不快にしていないか…と、自己の視線や他人からの視線に悩んでもいる。
学生時代から、コンプレックスの塊だった。太ってて、勉強も出来る方じゃなかったし、物静かなタイプだった。スクールカーストで言えば底辺だくらいに思ってて、その分人に嫌われたくないと、どこか周囲の視線を気にしていた。
そのせいで、意識しすぎて「めっちゃ見てくる、ウザい」とか、言われることもあった。嫌われたくないのに嫌われて、でも、それも自分のせいだと苦しかった。不快にさせたことを謝りたくて余計に意識して、結局出来なくて、そんな中途半端な行動が、また悪循環で。。
いま思えば、自己肯定感の低さから、周りを変に意識して、自分から嫌われやすい人になっていた部分もあるんじゃないかと思っている。

自己肯定感の低さで、頭の中は常にフル回転。本当にいろいろマイナスなことが出てきて考えすぎる。そんな中で、「そんなことない、大丈夫だよ」って、励ます自分もいる。だから、毎日、相当エネルギーを使っている。
自己肯定感が低くて、何が悲しいって、常に思考の一定量を不安や不安を打ち消そうということに使うこと。

でも、ほんとうに最近、ちょっと思ったのは、「こんないろんなことを考えながら、毎日精一杯過ごしている自分はすごいかもしれない」ってこと。

いまは、ほんの些細なことでいいから、自分を褒めるよう心掛けている。出来てない日もあるけど、一歩一歩、これが私、これでいいんだと思える思考になっていこうと思う。

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