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イタリア旅行記⑥

イタリア旅行の日記です。二日ずつ載せていきます。
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 6月9日

 ローマ滞在二日目。今日はトラステヴェレにおいしいものを食べに行こうと決めていた。依然体調は良くないため、ゆっくり支度をしてホテルを出る。
 まずはホテルのそばのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会へ。ベルニーニの傑作「聖テレジアの法悦」が有名で、映画『天使と悪魔』にも登場した(燃やされていたけど)。日曜朝で、ちょうどミサがおこなわれていた。数十分ほど待ち、ようやくなかへ。真ん中の祭壇には後光をかたどった金の巨大な装飾が掲げられ、その左側に目当ての彫像は坐していた。陽ざしをあらわす金色の斜線に沿って視線を下げると、矢をもつ天使と修道女が目に入る。立体的な絵画のように完璧な構図。テレジアは目を閉じてうすく口をひらいてる。あまりに無防備な、夢みるように甘美にとろけた表情にしばらく見入る。

サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会

 堪能したあとは、トラステヴェレの方面に向かう。たまたま目についた教会に入ると、ゆるやかな楕円をえがく黄金色の天井が視界に飛び込んできた。サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会という名前はあとで調べて知ったが、こちらもベルニーニの作らしい。とにかく楕円にこだわって設計されたらしく、クーポラはもちろん、あちこちに設けられた天窓も楕円形だ。窓のふちから天使たちが奔放に増殖しながら降りてきているようなデザインはなんだか蛙の卵めいて気味悪く、たいへん好みだった。

サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会

 その次に訪れたジェズ教会もすばらしかった。奥まで入ることはできなかったが、入り口付近の景色だけで圧倒された。イタリアにきてからありとあらゆる装飾を施された天井を数えきれないほど目にしてきたが、ジェズ教会はずば抜けていたと思う。見上げるほど高い天井の、ひしめくような黄金の装飾の中央付近、まるで額縁からあふれ飛びだしたかのような迫力で巨大なフレスコ画が描かれている。絵と彫像と装飾の混淆の上に成る、いっそグロテスクなほど高密度の世界。美しい、と素直に形容することを躊躇するほどの、とにかくすさまじい空間だった。

ジェズ教会

 教会をあとにして、遺跡の散らばるローマの街を歩く。テヴェレ川を渡ると街の様相がすこし変わったようだった。石畳の道はぐっと狭くなり、樹々があかるく生い茂る。とにかくどこを見てもレストランばかり。ひとびとはテラス席でごちそうを囲み、楽しげに会話している。すでに昼どきでおなかがすいていたので、下調べしてきた店に入った。
 午前中歩きすぎたのか、暑さのせいか、微熱があるようだった。怠いような、たのしげな周囲の雰囲気に浮かされたような、ふしぎな気分でカチョエペペとレモネードを注文する。はこばれてきたパスタは、羊のチーズがしっかりとこしのある麺に絡んで濃厚で、黒胡椒がきいてとてもおいしかった。

これで16€ (約2700円) 会計でびっくりしたけどおいしかった

 店を出て、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂に向かう。全面が金のモザイクによって彩られていて、頭上は格天井をおもわせる矩形の装飾が彫りこまれている。暗くこぢんまりと洞窟めいて、非常に落ち着く空間だった。しばらく休んでいると、お祈りの時間になったらしく、観光客は全員外に出された。仕方なく広場の噴水の近くに腰をおろす。この噴水もベルニーニが修復したものらしい。ローマでは本当に、どこにでもベルニーニがいる。
 チョコレートのジェラートを買って食べながら、下町を散策する。人いきれにみちた路地、洗濯紐に吊るされて宙に浮いたスニーカー、煉瓦の上の鳩の死骸。そのまま歩きつづけ、サン・フランチェスコ・ア・リーパ教会に着いた。16時まで閉館とのことで、バス停のベンチで待つ。松浦寿輝が『わたしが行ったさびしい町』のなかで行き損ねた教会のひとつとして書いていて、ぜひ見てみたいと思ったのだ。薄桃色の壁の、いっけん何の変哲もない教会だが、ベルニーニの「福者ルドヴィーカ・アルベルトーニの法悦」を有している。そっとひらかれた扉のむこうに、その像はあった。群青色の絵画の前、皺の寄ったやわらかなシーツの上に苦悶か歓喜か判別のつかない表情の女性が横たわっている。もちろんベッドもシーツもすべて石でできている。みごとに波打った瑪瑙のドレープが美しい。見ることができてよかった、と思う。
 教会の入り口付近には、デ・キリコの墓があった。言われなければ気づかないほどのさりげなさだ。帰国したら上野の展覧会に行こう、と思いながらあとにした。
 帰りは歩く気力がなく、バスに乗った。苦労してタバッキと呼ばれる売店を見つけ乗車券を買ったが、クレジットカードをかざすだけで乗れる仕様だとわかって力が抜けた。打刻の方法がわからず困っていると、地元民らしい初老の男性が助けてくれた。礼を述べると、なんだかずっと喋りながら笑顔であとをついてくる。なんやなんや、とおののき、距離を取って席に坐った。そのうち姿が見えなくなり、ほっとする。いったい何だったのか。
 明日はヴァチカン美術館当日券のため、五時に起床の予定だった。ホテルに戻り、かなり早くベッドに入った。


 6月10日(11日・12日)

  予定通りの時間に起床。体調はほとんど平生に戻っていた。薄暗いなか手さぐりで荷物をまとめ、リュックだけ預かってもらい外に出る。ネクタリンを齧りながら地下鉄の駅をめざした。早朝のローマの街はほとんど人気がない。ホームレスのひとたちが、道の端に寝ころんだり坐ったり、ねむったりしている。
 地下鉄に15分ほどゆられ、オッタヴィアーノ駅でおりる。Googleマップを見ながら巨大な壁に沿って歩いてゆく。まだ6時だったが、当日券のゲート前にはすでに数十メートルの列ができていてぎょっとする。かれらは何時からここにいたのだろう。すこしずつ陽ざしがあかるくなり、大通りが賑わってくる。入場までの2時間半のあいだにスマホでヴァチカン美術館の予習をして、それにも飽きると音楽をきいたり、壁を這う蟻を眺めたり、帰りのスケジュールを確認したりして過ごした。そうしているあいだにも、後ろの列はどんどんのびていき、ついに壁を曲がって見えなくなった。
 開館から30分後の8時半、ようやく入場口に案内された。そこから先は案外スムーズで、とくに待たされることもなく、あっというまにピナコテカに着いた。ジョット、ラファエロ、カラヴァッジョ、ダ・ヴィンチなどじっくり堪能する。そのあと、八角形の庭を通り、ピオ・クレメンティーノ美術館へ。中庭には巨大な苔玉のような植物が飾られていて、妙に印象に残った。

 人だかりができていて、見るとラオコーンだった。こちらもベルニーニに負けず劣らずのなまなましい質感で、どこか艶めかしい。人間の肌と、大蛇の滑らかな皮膚が、ぬらぬらとこすれあう感触までこちらに伝わってくるようだ。じっとりと舐めるように鑑賞する。

 中庭から館内に戻り、動物の彫刻や大理石の巨大盃などを横目に進む。燭台の間、タペストリーの間を抜けると、地図の間だった。ぎっしりと情報が詰め込まれた緻密な天井が、100メートル以上延々とつづく。あまりにも異様な光景に、どういうこと? と口に出してしまう。なにを考えてこんなものをつくったのか。首が痛くて見上げつづけられない。寝台車的なものに寝ころんで、引っ張ってもらいつつ鑑賞したいとぼんやり思う。

 つづいてラファエロの間。四つの部屋から成り、すべての部屋に見事な彩色の壁画が描かれている。くわしく解説してくれているサイトをスマホで見つつ、ふむふむと眺めた。ひとびとはそのままシスティーナ礼拝堂にまっすぐ流れてゆくようだったが、途中で現代美術のコーナーを見つけて逸れてみた。
 マティス、ダリ、ベーコン、ゴッホ、シャガール、ボテロなど、いずれもキリスト教絵画の作品に限るものの、ずらりと並んでいて驚いた。他の客はほとんど素通りで、しばらく独占して鑑賞する。

ボテロの教皇。かわいい

 最後にシスティーナ礼拝堂へ。想像以上にちいさな空間だったが、全体に物語と絵画がぎゅっと凝縮されて、ひたすらに濃い。写真撮影禁止のため、がんばって目にやきつける。おそらく30分以上過ごしたと思う。
 満足したのでスーベニアショップを経由して、出口をめざす。かなり距離があり、数メートルごとに土産屋があらわれ、あまりのしつこさに笑ってしまう。最後には丁寧に念押しされた。

 いったんヴァチカン市国を出て、サン・ピエトロ大聖堂へ。こちらもおそろしい行列だったが、意外と進みが早く20分ほどで入場できた。イタリアで見る最後の聖堂だ。どきどきしながら足を踏み入れると、金色を基調とした広大な空間がひろがっていた。天井が高すぎて、霞んでみえる。今まで見てきた教会とは規模がまるでちがう。

 楽しみにしていたピエタ像は修復中とのことで残念だった。ベルニーニのバルダッキーノも同じく見ることができない状態だった。それを差し引いてなお、すばらしい空間だった。氾濫する巨像、モザイク画、フラスコ画を、解説サイトを見ながらゆっくり鑑賞する。

聖ペテロの司教座。こちらもベルニーニの作

 もっとも印象に残ったのは、アレクサンデル7世の墓碑だった。やはりベルニーニの、これは最期の作品になる。7世を囲むように配置された慈愛、正義、真実、賢明を意味する4つの像はもちろん美しいが、なにより目を引くのは金色の骸骨だ。褪せた紅い大理石で表現されたドレープに顔を隠した状態で、砂時計を掴んだ右手を高く掲げている。背中からは羽が生えていて、つまさきは宙に浮いている。

 なんだこの表現は、と度肝を抜かれて立ち尽くす。丹念な彫りと、異様な構図。自身の死も迫っているなかで、この構成を考えついたのだろうか。しかし死を静かに悼む、というより、奔放なイメージの噴出、昏い祝祭、という印象を受ける。どんな気分の生涯だったのだろう。石を彫って、彫って、街を、教会をデザインして、つくって、描いて。ベルニーニを追うように続けてきた私の旅路も、もうすぐ終わりだった。
 ひととおり見学したあと、ショップに寄ってみた。ステンレス製の指輪を見つけ、試しにつけてみたらぴったりだった。銀色、十字架、ヴァチカン、というワードに、内なる中学2年生が反応したため、購入する。

 帰りぎわ、青と黄色の鮮やかな制服をまとったスイス衛兵の姿を見かけた。おそらく勤務中にもかかわらず観光客らしい女の子とお喋りしていて、楽しそうだった。ちょうど衛兵交代の時刻だったので、みとどける。交代したあとも離れた場所から歩いてきて喋っていたので、よっぽど女の子が好きなんだなと思う。家族だったのかもしれないと、あとから思った。
 サンタンジェロ城を眺めながらひと駅分歩き、地下鉄でローマ中心部に戻った。ホテルに預けていた荷物を受けとり、徒歩10分ほどのバス乗り場に向かう。バウチャーを提示して乗り込み、フィウミチーノ空港へ。
 中国国際航空のカウンターに並んでいるのは当然のように中国人ばかりで、熱気と話し声に怯えながら最後尾についた。問題なく保安検査を通り、洗面所で歯磨きと洗顔をしてサンダルに履き替えた。ところが20:55発にもかかわらず、20:40になっても登場の案内が始まらない。なんのアナウンスもないまま30分、1時間と経つ。中国語の案内がきれぎれにきこえるが、さっぱりわからない。列は微動だにしない。すわ欠航か、と思ったところでようやく動き出して、安堵する。
 22時過ぎに離陸。暗い雲の下、仄かにひかる街のあかりが銀河のようで見とれる。眠ったおかげか10時間のフライトはあっという間だった。チケットに搭乗口が記載されていなくて焦ったものの、北京での乗り継ぎもスムーズだった。日本語がちらほら聞こえてきて、心の底からほっとする。
 11日の21:30に羽田空港に着いた。日本語の案内、日本語の看板、税関スタッフの日本人。これまでニュージーランド、イギリス、モロッコなど、海外に出かけた際はかならず「帰ってきちゃった……」という思いで帰途についた。けれど今回はじめて、「帰ってこられた……!!」という感覚になった。なんだかむしょうに日本がうれしくて、こちらから「こんにちは」「ありがとうございます」などの言葉をたくさん発してしまう。旅がすこしつらかったのだな、と思う。
 うれしいきもちで松本行きの夜行バスを探し、その場で予約して池袋から乗った。時差ボケのせいか寝つけず、スマホで『パーカー』『ダイ・ハード2』などを観る。12日の5:30、松本着。とにかく空腹で、駅前の松屋に駆けこんで炙り焼鮭朝定食をかきこんだ。
 久しぶりのあたたかな白米。おいしさと感謝の念で気を失いかけた。こんな時間にいっぱいごはんを食べさせてくれて、本当にありがたいな日本のお店……とすこし涙が出た。早朝の松本市内を徒歩で横切って帰宅した。ベランダのアリッサムは、からからに乾いて枯れていた。ベッドに入ったのが8時。起きたのが17時。結局それから一週間ほど、時差ボケで体調がぐずぐずだった。
 去年の石垣島、ベトナム旅行につづき、今回も非常にハードな旅になってしまった。遊びに行っているはずが、なぜ毎回修行の様相を呈するのか。でも、今この年齢、この時期に、イタリアに行けてよかった、と思う。円安だし、体調を崩して大変だったし、ひとりでつらいこともあったけれど、目のなかにいっぱい、美しいものを入れることができたのもまた、たしかだった。
 次の旅行は11月ごろ、タイとラオスの予定。ぜったいに、なんにもしない旅にしたい。なにかをたくさん見ること、たくさん得ることを目的とするのではなく、ただそこにいる、ぼうっとする、そういうことを大事にする旅を、今度こそ。叶うかどうかは、わからない。


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