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デビュー10年の小説家が、初めて文学フリマに出店した話。

 9月10日。七時起床。前日は早めに寝たので八時間は眠っていたはずだが、頭が重く吐き気がする。やはり朝は苦手だと思いながら、最近ずっと観ている『ジェレミー・クラークソン 農家になる』を横目に支度する。薄灰色のコンタクトレンズにblue-mayの銀色ビーズのピアス、shimmerで購入したオーガンジー素材の黒のチャイナトップス、歩きやすいように足元はHARUTAのスポックシューズ。
 もう九月だけど念のため、とNARSのファンデーションの下にアネッサの日焼け止めジェルを仕込んでおいたが、大正解だった。外に出た瞬間、まだ八時だというのに鋭い陽ざしが照りつけてきた。自宅から駅までは徒歩三十分ほどで、私は原付しか持っていない。単行本と同人誌をたっぷりつめこんだ海外旅行用の巨大なスーツケースに、おなじくおそろしい重量のリュックサックを載せ、荒れた舗装を引いて歩く。ものの数分で汗だくになった。一歩が果てしなく重く、たちまち息が上がる。日傘をさすこともできず、顎の先から汗の粒がしたたって革靴のつまさきを濡らす。私はいったい何をしているんだろう、と熱でぼうっとする頭で何度も考えた。この三十分間がここ半年でいちばんつらかった。
 何度かスーツケースを転倒させつつなんとか駅に辿りつき、電車に乗りこんだ。汗が止まらず、水をたくさんのむ。手鏡を見ると顔から首まで真っ赤で、いますぐ帰りたいと思う。
 文学フリマへの出店自体に対する不安も多分にあった。Twitterのアカウントロックで充分な宣伝もかなわず、一度は出店とりやめのボタンを押しかけた。周りに励まされて思い直しなんとか本を作ったものの、届いた同人誌は誤植まみれで愕然とした。文章に関しては仕事柄、多少注意力がある方だと思っていたが、本当にとんでもない思い違いだった。いつも丁寧に原稿を検分し指摘をくださる校正の方や編集者の存在をあらためて得難く感じながら、友人とふたり半日がかりで修正テープを貼った。
 世の中にはすばらしく製本された作品がたくさん存在するのに、こんなつぎはぎだらけのちっぽけな本になんの意味があるのか、どうせ誰もきてくれないだろうし、とすでに疲労しきった頭で暗いことばかり考えていると、隣駅から友人が乗りこんできた。一時間半ほど揺られ、大阪駅で谷町線に乗り換える。天満橋駅と会場のビルは直結していて、スーツケースを引いていたり、段ボールを抱えている人がたくさんいた。おそらく出店者だろう。
 エレベーターで二階に上がって、仰天した。長蛇の列だ。一般参加者はもちろん、出店者の列も相当だった。廊下に沿って最奥の柱を大きく回りこみ、さらに室内でぐるりと渦を巻き、それでもなおはみだす列を、スタッフの方たちが、懸命に誘導している。
 小説の創作に関心があり、売買の現場としてのイベントになんらかのかたちでかかわろうとしている人たちが、これほどたくさんいるのか。圧倒されたまま列に加わり、ようやく入場できたのは十時半前だった。割り当てられたブースの両隣の方たちに挨拶をして、急いで準備にとりかかる。本を並べ、値札を貼り、見本誌を提出して、おつりの用意をして、とバタバタしていると、「本を買いたいのですが」と声をかけられた。開場までまだ時間があるはず、と思って振り返ると、なんと出店者のシールをつけた方だった。「これとこれを」と指された本をあわてて手渡し、代金を受け取った。全く実感がわかない。さらにもうひとり声をかけられ、一冊が売れていった。
 編集者と打ち合わせ、小説を書き、編集者に送る。ふだんの仕事はそのような流れで完結する。私の仕事がほんとうに意味を成す現場を、私は一度もこの目でみたことがなかった。
 日本のどこかの本屋で、あるいはパソコンの画面越しにネットショップで、私の文章に価値の可能性を感じてくれた方がいて、お金を払ってくれる。その奇跡のような繰り返しで、私の仕事は成り立っている。だがその現場に、つねに私自身は不在だ。そういう仕事だと充分承知していたし、とくに違和感もなかった。
 けれど、今、目の前で、全く知らない人が、私の本に対してお金を差し出してきた。初めて目撃した、本物の現場だった。
 開場すると、ぽつぽつとお客さんがきてくださった。「今日は雛倉さんに会いにきました」と仰って下さった方がいた。「YouTube観てます」という方や、「見本誌がよかったので買いにきました」という方、お渡ししたフリーペーパーを片手に戻ってきてくださった方もいた。頼まれて、サインも何冊か書かせて頂いた。為書きでサインすることはめったにないので、ものすごく緊張した。
 「こないだ『アイリス』読みました!」と通りすがりの方が声をかけてくれた。「これ読みました」と『ジェリー・フィッシュ』を指して仰った方に「十年以上前の本なのにありがとうございます」と言うと「持っていますよ」と返され、重ねて礼を述べた。
 いつもうれしいメッセージを下さる方に、初めて直接お会いできた。遠方から始発で上阪されたらしい。別の方は、とても素敵な差し入れとお手紙をくださった。緊張のせいで手が震えていて、私に会うというだけでこんなになってくれる方がこの世にいるのか……と泣きそうになった。noteを読んで来てくださった方たちからは、「出店を諦めないでくれてありがとうございました」と何度か言われた。緊張と嬉しさでぼうっとする頭で、来てよかった、と思った。何回も思った。
 ほんとうに、奇跡のような六時間だった。たっぷり余らせるつもりで持参した本の、ほぼ半分が売れていった。惜しむらくは、他のブースをほとんど回れなかったことだ。売り子の友人はいたものの、サインや本の説明は私がおこなっていたため、お客さまがいらっしゃったら……と思うとなかなか離席に踏みきれなかった。次にもし出店する機会があったら、ごく少部数だけもっていって、売り切れたら一般参加者として回ることにしたいと思う。
 梅田まで帰り、疲れ切った友人とルクアの10Fでタイ料理を食べた。帰りの電車は混雑していて席が離れたため、戴いた手紙をひとりで読んだ。ネットで感想を頂くことはあるけれど、そういえばじかに手紙をもらうのは初めてだなと思う。瀟洒な便箋に端正な文字で綴られた想いを辿るうち、視界が滲んだ。こんなにうつくしいものをもらってしまって、このさき私は、どうやって返していけばいいのだろう。
 つぎはぎだらけの、手作りのA6のちっぽけな本。私の過去の人生、過去の文章が、テーブルの上でひらかれた境界線となり、たくさんの人たちと私をひきあわせてくれた。読者はたしかに存在していた。もっと面白いものを書きたい、と思った。とても、つよく。
 祝祭の記憶を抱き、私は明日からまた、一人きりの小説の作業に戻る。

追記:「文フリに行きたかったけど遠くて……」というお声を頂いたため、『呼吸する街』と『日々の泥』を自家通販することにしました。
受注生産のため、予約は9月末までとなっています。
在庫なくなるまで販売します!僅少のため、お求めの方はお早めにご注文いただけますと幸いです。


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