イタリア旅行記③
イタリア旅行の日記です。二日ずつ載せていきます。
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6月3日
午前8時起床。蚊の羽音で夜中に何度か起きた。案の定、何か所も刺されている。ステロイドを塗って、支度をする。鏡を見ると、瞼の腫れはすこし引いていてほっとする。けれど体が、ひどく重怠い。連日の疲労がたまってきている。いつものようにCONAD(スーパー)で買ったクロワッサンとジュースで朝食を済ませ、駅前に向かう。駅舎から少し離れたところにあるバス停でチケットを買い、シエナ行きのバスに乗りこむ。日本人らしき同年代の女の子を見かけ、声をかけそうになるが思いとどまる。ヴェネツィアでもフィレンツェでも、日本人を見かけると軽く挨拶したり会釈する癖がついてしまっている。一人旅で日本語を話す機会がないせいだろうか。思っていたより私は今、さびしいのかもしれない。
1時間ほど走ると、シエナに到着した。目当てはカンポ広場と大聖堂だ。フィレンツェのあかるくひらけた雰囲気とはまた違って、入り組んだ狭い石畳の道が複雑に交差していて、どことなくうす暗い。町全体が傾斜した坂の上につくられていて、とにかく階段や坂道が多い。バス停からしばらく歩いてゆくと、建物の隙間の奥にあかるいひかりが見えた。めざして進むと、ふいに視界がひらけた。カンポ広場だった。ゆるやかな漏斗状の、広大な空間。ヨーロッパでもっとも古い中世の広場のひとつだという。赤く焼けた煉瓦の色彩がシックで美しい。
ぼんやり眺めていると、小雨が降ってきた。どこかレストランに入ろうと思ったが、どこも満席だ。なんとかCONADを見つけて、野菜とショートパスタの和えもの、サラミを買う。店を出ると雨がやんでいたので、近くのベンチに腰かけて食べた。味が濃く、べったりと油が喉に絡む。
その後、シエナ大聖堂に訪れた。黒と白の縞模様がくっきりと美しい、巨大な聖堂。天蓋の頂点に近い部分に青空が描かれていて印象的だった。
チケットで博物館、地下のクリプタにも入れるとのことでひととおり周った。最後に、豪華絢爛で有名なピッコロミニ図書館にも寄ろうと地図を見たが、場所がいまいちよくわからない。しばらく調べて、聖堂のなかにあることがわかった。先ほど見落としたのだろう、ともういちど入場列に並ぶ。チケットを通すと、アラームが鳴った。係員が駆け寄ってきて、そのチケットでは一度しか入れない、という。位置を把握していなかった私が悪いと思いつつ、でも図書館をまだ見ていなくて、といちおう答えた。行き方がよくわからなかったんです。数人の係員がなにか相談し、やがてふりかえって、図書館だけ、と言った。ほんとはだめだけど、とくべつに。係員に先導されるかたちで聖堂を真横に横切り、図書館に入った。床も壁も天井も色彩が眩しく、グロテスクにみえるほどだった。
読書に向いた空間であるとはとても思えない。本に集約された知識や思考は、当時はこれらの絵画や装飾とおなじく宝物だったのだろう、と思う。
係員に何度もお礼してから、建物を出る。見たかった場所はすべて訪れることができたので、夕方まで街をぶらぶら散歩することにした。目についた教会や聖堂に片端から入ってみる。サン・フランチェスコ大聖堂、サン・ドメニコ教会、サンタマリア教会など。教会の扉をくぐったとたん、街の喧騒がぴったりと止み、うすぐらく照らされた絵画と埃の匂いがたちのぼってくる感覚が好きだった。いっけんどこにでもありそうな、何の変哲もない建物のひとつひとつが、昏く豪奢な内装をあざやかな内臓のように抱えている。
シエナは水の多い街でもあった。ボッティーノと呼ばれる地下水道が、街全体にこまかくはりめぐられされているらしい。路地の底、階段の脇などいたるところに水飲み場があり、水盤の底ではたいてい金魚が泳いでいる。フォンテブランダという貯水池も見た。中世に使われていた泉で、水はつめたく、青く澄みとおっていた。しばらくぼうっと眺める。
午後五時まで散策し、バスでフィレンツェに戻った。駅前に警察があつまっていると思ったら、パレスチナ反戦デモがおこなわれていた。街なかでも至る所に、「FREE GAZA」のスプレーペイントが散見される。
かなり疲労がたまっているうえに、昼にたべたパスタの消化に時間がかかっているのか、全くお腹が空かない。バナナ一本とジュースだけ摂って、はやめにベッドに入った。
6月4日
起床して、どきりとする。ものすごく喉が痛い。きっと乾燥していたせいだろう、とうがいをする。体も今まで以上に重怠い。バイトがあったら休んでいるレベル。これ以上悪化させないよう、今日はゆっくり過ごそうと決めた。ホテルの中庭に出てクロワッサンとジュースの朝食を摂る。YouTubeを見ながらヨガやストレッチなどおこない、体をほぐす。10時頃、ようやくうごく気力が出てきて街へ。
まずはサン・マルコ修道院へ。回廊に囲まれた中庭のみどりが美しい。室内で完璧に保存されたフレスコ画より、外壁に描かれて綻び剥がれた絵の質感の方が、さびしくてすてきだと思う。室内に戻って階段をあがると、目当てだったフラ・アンジェリコの『受胎告知』が視界いっぱいにひろがった。タブッキの『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』を読んでからずっと生で見たかった作品。おもっていたより色彩がゆたかで、繊細な線に見とれる。階段からのぼってきたとき、すこし仰ぐように鑑賞するといちばん綺麗に見えるよう描かれていると知り、なるほどと思う。
2階には独房と見紛うほど、小さく質素な部屋が並んでいた。チェッラと呼ばれる祈りのための小部屋らしい。壁には一部屋ずつ、キリスト教にまつわる物型の一場面が描かれている。ルネサンス様式の図書館も設けられていた。先日のシエナの図書館とちがって落ち着いた内装で、読書をするための席も設けられていたらしい。フラ・バルトロメオによるサヴォナローラの肖像や、ギルランダイオの『最後の晩餐』など鑑賞してから狭い階段を降りて外へ出ようとすると、係員がやってきて、そこは非常出口だと笑う。だいぶ頭がまわってないな、と思いながら謝り、正しい出口から出る。
いよいよ街の中心のドゥオモへ。長蛇の列で怖気づいたが、最後尾につく。前に並んでいる人に見覚えがあると思ったら、昨日シエナ行きのバスでいっしょだった、同年代の女の子だった。私とおなじく一人でフィレンツェをまわっているようだ。挨拶くらいしてもいいだろうか、やはり迷惑だろうか、と逡巡していると、彼女はスマホを取り出して操作しはじめた。一瞬だけ見えた画面には韓国語が並んでいて、そうだったか、と思う。
ドゥオモには30分ほどで入れた。桁外れの外観から、どんなに素晴らしい内装かとわくわくしていたが、思いのほかシンプルだった。天蓋だけが、やはり高密度に装飾されている。
ドゥオモを出たあとは、休憩場所として事前に調べておいたオブラーテ図書館に向かう。もともとは女性専用の病院として使われていた建物らしい。館内には大学生が多く、観光地のほど近くとは思えない静けさだった。誰でも入ることができて、トイレも貸してもらえる。ドゥオモが見られる特等席があるらしく、それっぽい場所をさがしてうろうろしていると、3階のつきあたりにドアがあった。あけるとそこはテラスで、想像以上にはっきりと、目の前に、ドゥオモが見えた。
ロケーションに興奮しながら椅子に腰をおろして、朝食の残りのクロワッサンを食べた。体の怠さはどんどん酷くなっていて、しばらく動けそうにない。スマホでキリスト教のことを調べているうちに太宰治の「駈込み訴え」という作品を知り、青空文庫で読んでみるとものすごく面白かった。
まわりの学生たちはみなノートを広げて勉強している。斜め前の席の女の子は、パソコンで日本の能の動画を延々と見ていた。ここで一日過ごすのもいいな、とも思ったが、重い腰を上げて次の目的地であるヴェッキオ宮殿をめざす。
現在はフィレンツェ市庁舎として使われている建物ときいていた。階段を上がって内部に入り、息をのむ。500人広間ともいわれる巨大な空間が、ぱっくりと口をひらいている。おそろしく広い部屋だが、戦争の絵が壁いっぱいにえがかれていて、なんだか息が詰まる。ほかの部屋もすさまじかった。フレスコ画に囲まれた礼拝堂に、一面に地図が飾られた「地図の間」など。
途中から眩暈がしてきた。空間に圧倒されたのか体調不良なのかよくわからないまま外に出て、サンタ・クローチェ聖堂へ。歩いている途中、朝よりも喉の痛みが悪化していることに気づいてはちみつ飴をたべる。旅のストレスで粘膜がすこし腫れているだけだろう、と自分に言いきかせて教会内部へ。
ミケランジェロ、ガリレオ、ロッシーニ、マキャヴェッリなど、有名人が多く埋葬されている。怠い体を引きずるようにして見てまわる。内装はやはり壮麗だった。
聖堂をあとにして、これからどうしようかと考える。ホテルに帰ってもいいけれど、できればあともう一ヶ所だけ、サン・ミニアート・アル・モンテ教会に行きたかった。街の高台に位置していて、ここから少し距離があるが、ついでにミケランジェロ広場にも立ち寄ることができる。
せっかくだし行くか、と歩き始めた。帰りはバスを使えばいい。今日はのんびりすると決めた朝の記憶は、すっかり頭から抜けている。アルノ川沿いに15分ほど進み、噴水と階段が連続する坂道をのぼって、まずは広場にたどり着く。たくさんのひとびとが、手すりにもたれて写真を撮っていた。夕暮れの、斜めに傾いだ光線をうけたフィレンツェの町並みが薔薇色にひかっている。そのまま通り過ぎてさらに坂道をのぼり、ようやく教会にたどりついた。まだ18時過ぎなのに扉がしまっていて今日はだめな日かと思っていたら、10分ほどのちに係員がドアをあけて開放してくれた。なかは非常にこぢんまりとしていて、奥に金色のモザイク画が輝いている。
見とれていると、ふいに奥から白いローブをまとった神父らしい男性が数人あらわれた。そのまま聖書を手に、歌うような声でなにかを口にしはじめる。出て行った方がいいのかもしれない、ととっさに思うが、まわりの観光客は微動だにしない。こわごわ後ろの方で見ていると、声が重なり、合唱のようになって空間に響きはじめた。
怠さと喉の痛みでぼんやりした頭に、透きとおった水が注ぎこまれるようだった。高い窓から洩れる陽が、壁のフレスコ画を照らしだす。とてもうつくしい時間だった。
教会からの帰り道はバスを使った。駅までの路線バスに乗ったつもりがなぜかすこし手前でおろされ、2kmほど歩くはめになった。ミネラルウォーターを補充するために立ち寄ったCONADで日清の醤油味のカップヌードルを見つけて、喜んで買う。ホテルで湯を入れて食べた。醤油の塩味がありがたいほどおいしかった。部屋に戻ると、ルーマニアの青年がいなくなっていた。次の街へ旅立ったのだろう。ドイツ人の女性が今日はすでに蚊を2匹も殺したと言い、蚊よけのスプレーを枕にかけてくれる。午後10時頃就寝。