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Screamo/Skramzにも関連するDIYシーンの進化のお話

■まえがき

 「DIY」という言葉を聞いたことがあるだろう。
激情ハードコア、Screamo/Skramzシーンにおいてはもちろん、その前提となるパンク・ハードコアを語るにあたって「DIY」というキーワードは重要だ。Do It Yourself=自分でやっちまえ!という精神性はパンク・ハードコアシーンの中に根付いている思想、文化の一つで、それは様々な形で今日まで生き続けている。
 パンクにおけるDIYの精神は、やるべきことを他人任せにせず、自分達でやること。誰にも指図されず、メジャー資本にスポイルされるでもなく、自分達のやり方で自分達の音楽を広げていくこと。それがただの理想論ではなく自分たちの力でできるということを証明したからこそ、この思想は「持たざる者」にとって、自分達には価値があるということを定義したという点でも重要だ。そしてそのDIYパンクシーンのネットワークに深く寄与し、カルチャーを育てていく役割を演じたのが世界各地に散らばっていたインディーレーベルやディストロ、ラジオ局、べニュー、ZINE達だ。パンクシーンが爆発的に広がっていった1990年代以降、アーティストだけでなくそれにかかわる人々の個々の力によってカルチャーはより強力なものとなっていくという流れがある。今回はそんな「DIYシーン」のいくつか重要な背景について語りたい。

■DIYレーベルの始まり、Buzzcocksの衝撃

 パンクの歴史は長い。そしてDIYの歴史も長い。1970年代後半、既に巨大な産業として発展したエンターテインメントの世界で、従来の巨大な資本によるレーベルではなく、アーティスト自身が設立したDIYレーベルの登場は音楽シーンを大きく揺り動かすことになる。実際にはThe BeatlesのApple RecordsなんかもバンドのためのレーベルということでDIYレーベルと言えるのかもしれないが、数々のヒットを経て自分たちの自由を勝ち取っていったThe Beatlesと、無名の状態からDIYでヒットを生み出していく後のインディーレーベルとは事情が違う。パンクシーンでのDIYレーベルの確立の契機は、やはりBuzzcocksの1977年リリースEP『Spriral Scratch』だろう。

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