大仁田厚を理解したい

ジャンル的には畑違いではあるが自分のTLにも流れてきたので読んだ先週の記事。笹久保氏から柳樂氏への批判、音楽家から評論家への批判(カウンター)という体ではあるけれど結構重要な視点があると思う。

個人的に感じていることで他の人は別に感じていないかもしれないが、人口が少なく新規リスナーも増えていかない限界集落のような音楽ジャンルにおいて(ここでは保守的なパンク・ハードコア界隈とかを仮定)文章を書く人はマジで少なくて、まして権威ある発信者もいないのでオルタナティブ意見がほとんど発生しない。結果としては、発信している人間の発信している内容=真実 or 一般的評価みたいな感じで浸透していく。

この記事の中では、リスナーは言葉を鵜呑みにしないで、というメッセージも含まれるけれどそれは評論家の問題というよりリスナーの問題でもある。なんで評論家の言葉を鵜呑みにするのかっていうのはリスナー側にも「問い」が無いから。文脈主義はアンダーグランドな音楽にも浸透していて(自分も文脈は好きだが)、お前音聞いてんのか、情報だけでこの文章かいてないかと思うテキストはそこらじゅうに溢れている。

度々引用するがラーメンハゲのこの名言は音楽にも通じる。

しかし自分も「マジで?」と思うことがあってもわざわざ反対意見を表明するメリットもないのもあるんだけど、ちょっとした批判にも知らん奴から絡まれてもだるいし、リスナー側にも「推し文化」が定着した昨今、作る側も推す側も反対意見への耐性がなさすぎると思っている。… 思っていたんだけどそれって作り手・聞き手を信頼していないよなとも思う。


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