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【INFP】【躁鬱】自己分析を辞めたら楽になったという話。


今までは自己満で書いていた記事だったけれど、今回は、「伝えたい」と思って書いています。

私はここ最近、YouTubeもnoteもX(元Twitter)でのイラスト投稿もしていません。それまでは、「これでもか」というほど熱心に活動していたのにも関わらず、です。

理由はいくつかあると思います。ですが、その中でも大きな要因が、題名の通り「自己分析を辞めたから」です。

私は、世界の全ての事柄に意味があると思っています。「言葉」という言葉に関しても、幾通りもの解釈があると思っています。

その中でも、私は「自己分析」の有効性、有用性に疑問を抱くようになりました。「自己分析とは何か」と。

自己分析は、単純に「自分を知る事」だと思っていました。
ですが、自己分析とは、自分にレッテルを貼る事、自分を他者に売り込む際の売り文句を考えることだと思い始めたんです。

些細な違いかもしれませんが、私にとっては大きな違いです。
自分をある売り物だと例えましょう。営業マンは、私に「掃除機」というレッテルを貼ります。そんな自分を売ってくれる営業マンは、「これは床をピカピカにしてくれる道具なんです!ホコリだけではなく、髪や食べ残し、目に見えないダニさえ吸い取ってくれる凄い商品なんです!」と絶賛です。「ただし、お手入れは念入りにして頂き、定期的に、できれば1か月に1回の掃除を推奨しています」という言葉を添えて。

客観的に見ると、ただの訪問販売のセールスの口文句ですが、私は、自己分析とは、この「営業マン」を「自分」に置き換えたものだと思ったんです。

長所と短所、特徴を述べ、それが何なのかを具体的に表現すること…それが、自己分析だと新たに考えました。

別に誰かに教わったわけではありません。個人的見解なので、意義反論は勿論と言って良いほどお聞きしたいくらいです。

そして、それを何故辞めたら楽になったかというと、「自分を見る自分が色眼鏡が入っていて、結果的に世間から見た自分とはズレがある」ということを感じたからです。

「商品を少しでも多く売りたい」…つまり、「自分を知って欲しい」「好かれたい」「仲間になりたい」という気持ちが上乗せされてしまうからこそ、「自分はこうであって欲しい」という願いも少なからず滑り込んできてしまうからです。

そして、結果的に「自分はこうあって欲しい」という思いが入った自分と、色眼鏡を使わないし、自身もその人にとっての色眼鏡を持ってる他者との間に乖離が発生するのも至極当然のことだと思いました。

だから。考えすぎるのを辞めました。

少し話は変わりますが、私は今日、散歩と買い物、2回に分けて外へ出かけました。その時、「7777」という車ナンバーを計4回見たんです。私は、エンジェルナンバーというものを信じてるので、「これは良いことが起きる前兆だ」とわくわくした気持ちになりました。ですが、人によっては車のナンバーなんてそもそも見ないし、見たとしても「偶然だろう」と気にかけない人がいるかもしれない。

つまり、何が言いたいかというと、人の考え方は幾通りもありすぎて、自分の思考の範疇から簡単にはみ出てしまう、ということなんです。
その人にとっては当たり前でも、他者から見れば当たり前じゃない。

環境が違えば、常識が非常識になる。そんな不安定な世界で生きている自分が、自分を推し量ろうなんて、無意味なことなのではないかと思ったのです。

そう思っている私自身の考えも、まだまだ甘くて、数か月後には真逆のことを言っているのかもしれない。

でも、自己分析なんて他者が自然としてくれるものです。「〇〇さんって、こういう時喜んでくれるよね」とか「〇〇さんって、最初は優しいと思ってたけど、結構頑固だよね」とか。

そうして、他者の言葉に耳を傾けていると、相手によって自分が七変化していることに気付きます。相手も相手なりの解釈で動いているし、感じている。それにつられて自分が動いているのかもしれないし、自分を出せているのかもしれない、と。

一人で自己分析していると苦しくなります。私は現にそうでした。ですが、自分と長い付き合いの人、短い付き合いの人と話していると、段々と自己分析が馬鹿々々しく、無駄なことのように感じてきたのです。

だから、私はテレビを見たり、料理をしたりと、違うことに時間を割くようになりました。

目の前に迫ってくることだけに集中することにすると、ここ1か月弱、気持ちは比較的安定しているのです。双極性障害にとって一番の大敵が「暇」と言われている通り、今までは予定のない毎日でしたが、就労移行支援事業所に通い始めて、「暇」がなくなったことも要因の1つかもしれません。

ですが、自己分析を辞めた時期と、就労移行支援事業所に通い始めた時期のどちらが早いかと言えば、前者です。

自分の思考の矢印を、自分ではなく外に向けるようにしたら、少し気持ちが晴れました。過食しても、「ま、昔拒食だった反動だろう」と逆に余裕さが出てくるようになりました。楽観的になった、という表現が、この場ではふさわしいかもしれません。

思いつくままに書いたので上手く伝わっている自信がないし、見返すつもりもありません。相手に伝えたくて書いている、と言っておきながら身勝手な話ですが、つまりは「今現在の私はこういう人間である」ということです。誤字脱字があれば教えて頂きたい程度の心持ちでいます。

もしかしたら、気が向いて見返すかもしれません。
自由奔放、とモノは良いようですが自分勝手、とも置き換えられます。日本語とは、言葉とは、モノの見方とは本当に奥が深いと常々思う毎日です。

以上、銀行に5万円しかなくて今月は家賃も払えない上、誰かに助けを求めるつもりもないぎふたっぴがお送りしました。

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