一時帰国:娘と過ごす時間
実家に帰り、無事にミッションの一つ、免許の更新も終わった。
免許更新をした次の日は祝日だった。仕事もお休みだ。仕事さえなければwifi問題も無いので、その日は両親の所でゆっくりしようかと思っていた。
私が実家に戻った週は、東北は大雨で、県内全体に避難勧告が出されていた。
天気さえよければ、私の友人お勧めのパン屋にでも行ってみようかと思っていたのだが、天気が良くないのであきらめた。高校の時の同窓生がやっているパン屋だと聞いていたので、行ってみたかったのだが、床上浸水もしている地域もあって、ヘタにあちこち動くのは危険だったのでやめた。
残念・・・、行きたかった。次回はぜひ。
一方、実家の駅前に宿泊している元夫には、「明日、実家に行くかもしれない。娘をおじいちゃんおばあちゃんに会わせたいし。多分13時ぐらい」と言われていたので、両親にはそのことは伝えてあった。
(実家に来ているが、私は両親の家にいて、元夫と娘は駅前のホテルに宿泊していた。)
雨のため特に予定もなかった私は、ゆっくりしていた。夕方は元夫と娘に会いに行くつもりであったが、日中は特に予定を決めていなかったので、両親とたわいない話をして過ごそうと思っていた。
ところが11時ぐらいに家のチャイムが鳴った。
ここは実家なので、回覧板(懐かしい!)などで誰かが家に来ることもあるかもしれない、などと思っていたら、玄関に出た母親が「あら!」と驚いた様な声が聞こえてきた。
除いてみると、なんと娘がいごこち悪そうに立っていた。
夫は数歩離れたところに立っていた。
聞いてみると「昨日の夜言った通り、娘をおじいちゃんおばあちゃんに会わせようと思って」と言う。
いや・・・・13時ぐらい、って言ってなかった??
こういう所がうまくいかない原因の一つなのだ。
日本人は家族であっても、ある程度心の準備をしておきたい人種だ。
特に、会う、家に入れる、などの場合は、「家をきれいにしておきたい」「ちゃんと準備しておきたい」気持ちがあり、その予想を破られると、予定していたことができなくなり、でも、相手に文句も言えず、もやもやが溜まって、結果、爆発したりする。
一方のインド人は「家族なんだから、そんなに気を遣う必要はない」と考えている事が多い。心の距離が異様に近い。だから、別に掃除が終わってなくても、食事の準備がまだでもいいと思っているのだ。
その上、予定している時間の「誤差」についての認識の違いも大きい。
日本人は「13時ね」と言われれば、誤差は前後10分ぐらいだろうか。今はスマホで連絡取れる時代なので、予定が変わる事があるとは思うが、それでも「今出たよ。到着は30分後ぐらい」とかの連絡を期待している事も多いと思う。
インド人は(人にもよるが)、30分~1時間は当たり前、場合によっては数時間の誤差がある事もあった。連絡はくれる人もいるし、くれない人もいる。私の経験では、「今日そっちに行くって言ったし」と全然連絡も無く数時間遅れることもあったりした。
ちなみに私もこちら(インド)にいるとそんな感じだ。(笑)
日本に戻れない気がしている。
さて、突然現れた娘と元夫に、両親は、
娘には「大きくなったね!元気?」と声をかけるも、元々シャイで日本語もあまり得意じゃない娘はただうなづくか、首を横にふって、どうにか意思疎通を図る。
両親は元夫を快く思っていないのだが(私への過去の仕打ちにより)、娘へ気を使ったのか、父親はにこやかに英語で元夫と会話する。
ただ、私はちょっとこのやり取りに違和感を感じた。
父親は、私や息子ががつらい事をしていた事を知っているし、お金を貸したのに戻って来ない、お礼や報告も無いことを快く思っていない。むしろ、怒っていると言ってもいい。私と二人でいる時は、その感情をあらわにする。
しかし、その日、久しぶりに嫌いな元夫に会ったというのに、にこやかに「どう?元気?」「痩せたんじゃない?」とか会話している。
ええ・・、あんなに私の前では文句言ってたのに。。
娘の心境を考えたとしても、調子が良すぎる気もする。
これで、後で私と二人きりになったら文句言い出したら、なんとも微妙な気持ちになってしまう。自分のネガティブな気持ちを伝えることは、別に悪い事ではないのだ。
元夫は、「ご両親に娘を会わせたかった。ウォーキングのついでに立ち寄った」と言う。
そうであったとしても、メッセージくれてもいいんじゃ・・・。
今、食事の途中なので、支度できたら連絡するから、それまで待ってもらう様に伝えた。
元夫はその辺をウォーキングして待っていると言い、再び出かけて行った。(両親は元夫を家に入れたがらない。→結果、娘も家にあがることがあまりない。)
食事を早めに済ませて、出かける準備をしていると、再び雨が降ってきた。
今週はずっと雨だ。
元夫に連絡を取ると、近くの神社で雨宿りしていると返事があった。濡れるといけないので、雨が止むまで動かない様に、こちらに戻ってくる前にメッセージしてくれると準備できる、と伝えると「OK」と返ってきたが、
やはり、そんな連絡はないままに、再び突然家に現れたのだった(笑)
いまさら、それをうるさく言っても仕方がないので、傘を持って準備をして、3人で出かけることにした。幸い雨も止んでいる。
どこに行くかを決めてはいなかったが、元夫の希望もあり、弘前公園に行くことにした。田舎は車で移動するものだが、ここなら、歩けなくもない。
雨は止んだが、アスファルトは濡れている。娘は手に何かを持っている様なので、何を持っているのかを聞くと、「んと、かたつむり🐌」と、手のひらを広げた。
もう大きくなった娘の手のひらに、小さく黒いかたつむりが乗っていた。
娘は虫に興味があるらしく、昔はクモを飼っていた。息子は「気持ち悪い」と言っていたが、子供が興味あるものは否定してはいけないと思う。
たとえ、クモのごはんでコオロギを買ってこなくてはいけないとしても。。。
娘とはずっと離れていたし、そもそも口下手なので、お互い何を話したらいいか分からず、とりあえず、かたつむりや虫の話をふると、一応会話は成立した。
私が望んで離れたワケではないので、久しぶりに会えた事、隣にいる事、大して重要でもない話をしている事などが、とても幸せな事に思えてくる。
弘前公園へは、我が家から徒歩で30分程度である。のんびりと運動するつもりであれば大した距離ではない。
公園に着くと、堀にいる鳥や魚たちや、必死に鳴いているセミ、よく見ると分かるアメンボなど、虫好きの娘にはちょうどよかったらしく、少し笑顔が見られた。
私も本当に久しぶりなので、公園にたくさん植えられている桜の木が青々としているのを見ると清々しい気持ちになる。もう、人生の中で弘前にいない時間の方が長くなってしまったが、それでも自分が生まれ育った町で、懐かしいことには変わりない。
子供の頃はただの遊び場であったが、大人になってあらためて見てみると、目に入るものひとつひとつが懐かしく思える。
元夫が公園の有料区域にも行きたがるので、ついて行くことにした。今は弘前城のお堀の工事をしていて、一時的にお城の場所を移動させている。お城の中は博物館にされていて、工事の為の移動の時の様子や、その時に使われた道具などを展示している。
観光地あるあるで、そこにあった金のメダルを買う親子。娘はメダルだけ(名前を入れるのが重要な気がするが、嫌だと言う、笑)、元夫はメダルのホルダー(ペンダントにできるらしいが、私は絶対に着けたくない)がそれぞれ欲しかったらしい。
実家に帰省するといつも思うが、このお城の所から見える岩木山が一番きれいに見える気がする。
残念なのは、何枚写真を撮っても、この美しさがイマイチ収まらない事だ。
私は子供のころは、弘前公園の隣(子供の足でも徒歩数分)の所に住んでいた。
元夫はそんな「思い出の場所」を大事にするタイプで、それを子供たちにも教えてくれている様だった。
それはありがたいのだが、「さあ、ママの子供の頃の家はどこだ?パパは教えてやらないから自分で探せよ」と、試験か何かの様に娘の記憶をテストするのは、ちょっと引いた。
そこまでして覚えておいて欲しいとは思わない。娘の心に「へえ~そっか。ここなんだ」と残ればそれで充分じゃないか。正確な位置を覚えておくことが重要なのではない。
ちょっと迷った様子の娘を連れて、子供の頃の家に行ってみたが、そこは小さな食事処に改装されていた。過疎化が進んでいるし、古い建物なので、壊されていてもおかしくないのだが、まだ残っていた。
懐かしいが、なんとなく、ここに戻って来ることはあるのだろうか?と考えてしまった。
お腹も空いてきたので、公園を出てごはんを食べに行くことにした。
ホテルの場所やごはんを食べられる場所を考えると、ここからぐるりと回って公園の反対側から出ることになる。
私は子供の頃の家を背にして、既に歩き始めた娘の後ろ姿を追いかけたのであった。
トンネル状になっている桜の木の下を通り、セミの声を聞きながら、娘の背中を見る。
これからどうなっていくのかな。
(続く)
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