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甥っ子姪っ子の成長に驚き喜ぶ:子供を育てる事の難しさ

現在、インドのビザの手続きのため、日本に一時帰国中である。

今は妹の家に滞在中なのだが、甥っ子姪っ子の成長に驚いている。去年8月の一時帰国の時に会っているのでわずか数ヶ月しか経っていないのに、子供の成長は早い。



現在、甥っ子は8歳、姪っ子は6歳(4月に小学校入学)だ。

昨年8月に帰国した時は夏休みだったこともあってか、二人とも朝遅く起きてきて、起きたらすぐにスマホを持って、ママ(妹の事)にごはん食べるのか宿題するのか聞かれても返事をせず結果カミナリを食らう、と言うのを二人ともエンドレスに繰り返していた。

それに加えて、甥っ子は何かを注意されると悲しくなるのか、泣きそうになって言いたいこともうまく言えなくなり、それがママの怒りを刺激してしまうのか、さらに怒られていた。

そしてそのままお互いに不機嫌のループに入る。

一方、姪っ子はかなり気象が激しいタイプで、機嫌が悪くなると欲しいものがもらえるまで、泣き続けて暴れることが何度かあった。人見知りをするような性格ではないので欲しいものははっきり言えるのに、機嫌が悪い原因については全然教えてくれないので、こちらが察する必要があって大変なのだ。




そんな記憶があったので、今回も同じような生活しているのかな~などと考えていたのだが、

学校に行く必要があるからか、甥っ子は起こさなくても6時過ぎには起きてきて、朝ごはんを食べて、着替えて、7時過ぎには近所のお友達と一緒に学校に行く。

こちらが手伝うことが無さ過ぎてが拍子抜けしてしまった(笑)

学校から帰ってきた後も、(若干ママに怒られつつ)手洗いうがいをして、「お腹すいた。何か食べたい」と言いながらも宿題のプリントをこなし、ご飯もしっかり食べる様になった。

姪っ子もがんばって幼稚園の制服を自分で着たり、前は食べられなかったものが食べられる様になったり(姪っ子は極度の偏食→以前は唐揚げばかりであった)とこちらも成長が感じられる。

甥っ子に比べると気分のムラは激しいが。。

返事をしないとか、ケンカしているとか、ちょこちょこ怒られてはいるが、それでも前回とは大違いである。




さて、兄弟がいると下の子は上の子と同じものを欲しがることが多いし、それがもとでケンカが勃発する事も多々ある。

甥っ子姪っ子は朝ごはんにハムチーズトーストを食べることが多いのだが、ある日、これに使うスライスチーズが最後の一枚になっていた。

甥っ子の分を用意した時に「ハッ」と思ったママだが、(いやいや、そう言えばピザ用のシュレッドチーズがあったな。あれでいける)と思った。

ところがその日は週末だったので、甥っ子にハムチーズトーストを出した後もついつい動画に夢中になってしばらくテーブルの上にそのままになっていた。

そうやって動画に夢中になっている間に、姪っ子が起きてきて、手を付けられていないハムチーズトーストを見つけ自分の分だと思ったらしい

姪っ子:「(あ、私の分がある💛)いただきま~す」

その時に自分のハムチーズトーストができていた事を「ハッ」と思い出した甥っ子は大慌てで、

甥っ子:「ダメ!!これはボクのだよ!取らないでよ」

すっかり自分のだと思い込んでいた姪っ子は悲しくなってしまい大泣き。
部屋の隅に行ってしまい、戻って来ない。(慰めてのアピール)

大人たちは慌ててフォローを入れ、甥っ子には食べ物が出されたらすぐに食べる様に注意する。

私と妹:「こ、これはお兄ちゃんのだから!今、姪っ子ちゃんの分つくるからさ!!ちょっとだけ待ってて!!」

しかし姪っ子は「欲しかったのに手に入らないもの」に対する執着がすごい。

姪っ子:「ヤダ!!これは私の!!」

そう泣き叫ぶ姪っ子をなだめて慌てて新しいハムチーズトーストを出したのだが。。。。

姪っ子:「このチーズじゃヤダ。これじゃない」

(おおう・・・・。原材料は同じだヨ??)

そう、甥っ子にあげた分でスライスチーズは最後の一枚だったので、ピザ用のシュレッドチーズを使ったのだ。味に大差はないはずだし、あっても分からないのでは?と思うが、姪っ子にとってはこの違いは大きいのだろう。

食パンもハムもこれで最後なので、なだめすかして何とか食べてもらった。

はあ~やれやれ。今日は大人が二人だからどうにかなったが、これが自分一人だったら間違いなくカミナリを落としてただろうなあ。。。

妹よ、毎日一人でよくがんばってるよ。



自分の子育てがひと段落してみると、両親の子育てや、自分の子育ても段々と冷静に見れてくるものである。

両親にはここまで育ててもらい、いくら感謝しても足りないと思っている。

が、我が家の3兄弟(兄、私、妹)は全員自己肯定感がかなり低い。
恐らく両親の教育の賜物だと思われる。

(兄は連絡を全く取れないので、会話はしていないが話をしなくても分かる。)

先日のスキーの件で気が付いたのだが、うちの両親は子供が心配のあまり「子供達が失敗しないで済む選択」をする様に育てた。

その教育がいき過ぎたため、

チャレンジしたい事を(両親が反対するので)諦める
        ↓
やりたいことを諦めた自分が好きになれない
        ↓
自己肯定感が下がる

のループにはまってしまっている様に思える。

さらに、

チャレンジしたい事を(両親が反対するので)諦める
        ↓
失敗しないので、失敗した時の対処方や立ち上がる経験をしない
        ↓
ちょっとした失敗でも大きく落ち込む

と、メンタルもかなり弱っちく育ってしまったと思われる。



例えば命を失ってしまったりしたら、「もう一度チャレンジ」などできないので、深刻な事態にならない様にもちろん配慮は必要である。

それは子供を育ててみてとてもよく分かる。

子供が学校に行っていても、友達の家に行っていても、親と言うのは常に心配している生き物なのだ。つい最近まで自分もそうだった。

極端な言い方をすれば「失敗はさせるが、死なせない」が恐らく親としての線引きになるのだろうが、これは本当に本当に難しい。

だから両親が「やめた方がいい」と言ってきた数々の事だってなぜそう言ったのか理解はできるのだ。両親がそうやって心を砕いていたからこそ、今の自分があるのだから。

ただ、「チャレンジしてみた方がいい事」も問答無用で止められてきたのだろうと最近になって思う。

たとえ平和な街の何もないところを歩いていたとしても、事故にあったり間違えたり失敗する事だってあるのだ。「この点には注意して、チャレンジしてみてね」と言うべきだったんじゃないだろうか、と思う。

やってみたいことがあるならチャレンジする。
注意しないといけない事は伝える。

自分の子供に、甥っ子姪っ子に、さらには自分自身にも、やりたい事はどんどんチャレンジする様にそっと背中を押せるような人間になりたい。







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