見出し画像

服が好き、ファッションが好き、それ以上も以下もない。

今日は真正面から募集タグに向き合ってみようと思う。だって、テーマが #ファッションが好き だから。

画像11

とっくに30年を超えたこの人生、いつ振り返っても、特に特徴もなく、もちろん秀でた才能もなく、「わたし、これをやり遂げました」「こんな特技があります」「こんな面白い体験をしてきました」そんなトピックスも、もちろんない。

正直、なにかに打ち込んだこともないし、趣味と呼べるものもない。本当に、なんてことない人生だ。こういう人にとって、自己紹介は拷問である(恐らく同意してくれる平凡民多いはず)。

そんなわたしでも、「あ、たしかにそれはそうだ。それなら手を挙げられる」と思えることが、ファッションなのだ。

画像3

突き詰めると、ファッションが好きだ、と公言することでさえもはばかられるほどの自己満レベルだ。別に、ハイブランド詳しくないし、かといってストリートブランドに知見があるわけでもない。至って、普通の、正真正銘の「服バカ」なだけですけど。

しかも無類の雑食タイプ。とにかく服が好きで、着ることが好きで、ファッションが好きで。一度手にした服はよっぽどでない限り手放せない。趣味や好みも大して変わらない。だから、服が溜まる一方。イコールそれは、お宝が増える一方。

画像1

溜まる一方なわたしも、時には断捨離とやらが必要なことは分かっている。しかし、性分だからしょうがない。1時間汗水たらして吟味して、処分を決意できたのはたったの3着、なんてこともざらにある。(しれっとアップした↑の画像は無理やりウォークインクローゼットにされた部屋である。押し入れには収まりきらず部屋中にラックを設置した衣装部屋だ)

別れるに至ったアイテムは決まって「多分こういう無難なものも持っておいた方がいいんだろうな」などと柄にもないマインドを取り入れて買ったときのアイテムばかりだ。

結局わたしは、過去のわたしを否定することができないのだ。

画像4

いまのわたしには気分ではないかもしれない、だけど、この服に惚れた過去のわたしもまた事実で正義である。そんな意味不明な正当防衛ですべての服たちが宝物に見えてしまう。

はたまは、時代は巡る、とはよく言ったもので、本当にファッション業界にはサイクルがあって、それも割と早いサイクルで、一度輝いたアイテムは、またサイクルが巡って日の目を浴びることがある。

ただ、とは言え、トレンドは巡っても、いかなる場合でもその時代らしさと言うエッセンスは付きまとうもので、一寸たりとも狂うことなく同じトレンドが巡ってくることはそうそうない。すなわち、また次のトレンドが来たらその変化に合わせて再び購入すればいい、むしろそうするのがベストだ、という見解もある。大いに納得できる。

画像11

ただただ、しかししかし、そもそもそこまでド直球なトレンドは追わない(追えない)わたし。リバイバルしたとしても一世代前のアイテムを使って自分なりに落とし込んで着こなす方が、よっぽどしっくりくるのである。

幸か不幸か(いや、9割不幸)、温めすぎて周回遅れの方が安心する、生粋の時代遅れタイプなのだ。

だから尚更気に入った服は捨てられない。だって、また時代が巡ったときに、再び出番がやってくる可能性大のアイテムたちばかりなんだもん。少なくとも、私にとっては。

しかも困惑するほどに嫌な性格でして、手放したものほど覚えてるんですよ、この脳みそは。

画像6

宝物たち、とか言いつつこの膨大な量のアイテムを全て常に思い出せるほど把握しているわけもなく。衣装ケースを開ければ「あ、そういえばこんなもの持ってたな」となり、ラックを見直せば「あ!そういえばこれ探してたな、こんなとこにあったんだ」となる。きっとそれは、昨今当たり前となったときめきレーダーで言えば不合格となるアイテムたちなのだ。だって、存在を忘れていたのだもの。

なのに、再会すればたちまち恋の炎は再燃するばかりで。「ぃやぁだー!先日見つかってればあのコーディネートで使えたのにぃ~!」「わ、懐かしい!これってこの前思い付いたあのスタイリングに使えそうじゃ~ん!」と愛情の巻き返しが異様に早く、得意なのだ。さっきまで忘れてたのに。

そんなわたしでも、「いや、忘れてたということは必要ないということだ」と冷静になって処分を決断できることはある。しかし決まって、そういう奴は記憶に残るようになっている。現にタンスの肥やしになっているアイツよりも、忘れていた事実を思い出した処分したコイツの方が記憶に残ってしまう、そんな面倒くささ100%な性分なのです。(アイツとコイツ、からも感じられる。服への距離感がまるで逆)

画像7

すると、どうなるか。処分の後には後悔が待っているんです。

「あ、この前久し振りに見つけたコイツでこんなスタイリングしようかな~。あれ、ない。え、この前見つけたよね?どこにしまったっけ?え、ない。まさか、あのとき処分しちゃった!?」と、記憶喪失もいいところだよってほどに、都合悪いことは忘れてるんです。服を処分することはわたしにとって都合の悪いことなので、ほぼ全て記憶にないのです。いつだって永遠に手元にあると思ってしまう。

これ、逆も然りで、買おうか我慢しようか散々悩んで断念した売り物のお洋服たち、これらも恐ろしいほどに覚えてるんです。

悩んだ結果思い切って奮発して購入した服たちはさほど着ずに、安いからととりあえず買ったものばかりフル活用。しかも買ったものはすぐ忘れるくせに、悩んだ末に購入した戦利品たちはろくに着ない。対して、悩むほどの金額でもないのに何故かまともな理性が働いてしまって手放した服たちばかり「あ~あのとき買っておけばよかった~いま猛烈にアノコを着たいのに~」と出迎えなかったことを後悔してしまうんだよ。

画像11

さらには、わたしは生粋の庶民でしかも貧乏性なので、服はプチプラ派。イイ物を永く使った方が結果的に得だよ、という先人たちの言葉には目もくれず、いい年こいても質より量派。悩む=だいたい価格なんですけど、時には奮発してちょいと高級なものも買うんですよ。「高いものの方が質もいいし意識的に大切に着るし、結局元が取れる、コスパいいよね!」とかって自分を納得させるんですけど、結局着ない。一番勿体ない。

なんなんだ、あれ。わたしのワードローブにおいて、高価なイイモノほど服として最悪な末路を迎えがち。

それはわたしがまだまだ服と向き合いきれてないからであって、マイ・ワードローブてきな確固たる自分のファッション道を築けてないからでもある。

そもそも、本当にお気に入りな少数のアイテムを着こなす、という高貴なファッション道とは無縁なのである。なかには性格的に自然にその道を選んでいる人もいるだろう。しかしわたしには、到底無理なのである。憧れのさらに向こう側。

画像9

良くも悪くも、わたしは色々なテイストを着る。「本当に服たくさん持ってるね」と言われてしまう。何も別に「同じ服は二度と着れない」「同じ人の前で同じスタイリングは二度としない」などのルールもない。意識的にオールマイティさを謳うつもりもない。

性格なんです、日々新しいわたしを知りたいんです。

ファッションが好きで、お洒落することが好き、洋服が好き、っていうだけで勘違いされやすいのですが、わたしは自分のファッションセンスにも、ましてや自分自身にも自信はありません。

だからこそ、知りたいんです。いろいろなわたしを。

わたしは今日この日のコーディネートが自分史上最も似合っているとは思っていません。逆です。来る日も来る日もコーディネートを考え、ファッションを楽しみながらも、常に納得いかないんです。だって、まだ見ぬ先に、もっとわたしらしい最高のわたしがいるかもしれないからです。

画像10

いろいろなコーディネートをしていると稀に「すごいですね、わたしも色々チャレンジしたいな」などと言われることもあるのですが、そんなの必要ないです。わたしはこのテイストだ、このアイテムだ、このスタイリングバランスだ、と決まっているならそれは大いに結構なことです。わたしはただ、まだその絶対的マイファッションに出会えていないだけです。

「着てみたいけどチャレンジするのが怖い」という人もいますが、わたしから言わせてみれば、何言ってるんだ??です。今まで着たことない服装にチャレンジするのが怖いと言っている人、それならば、いまのスタイリングが自分に最高に似合っていると思っているのですか?と問いたくなる。

わたしは、YESとは到底言えない。いろいろなファッションにチャレンジするのは、まだ見ぬ最高の「めっちゃ似合うじゃん、最高じゃん!」に出会うためです。いまのわたしが最高だとは思えないので、どこかにいるであろう最強のわたしを探しているのです。

画像11

そのために、色々なファッションにトライするのです。

また明日の朝も、昨日と違う自分に会えるんじゃないのか。今日こそ自分も納得できるようなお似合いのスタイリングができるんじゃないのか。そう、ワクワクしながらタンスを漁るのです。

服が好き。ファッションが好き。ただ、もしかしたら、好きと同じくらいコンプレックスもあるのかもしれない。自信のなさや、自分がお洒落だと思う人への嫉妬心、そんなものもこっそり、じっとり、じゅくじゅくと抱えてるから、今日もまた飽くなき探究心を持って自分のファッションに挑んでるのかもしれません。

いま、こうして文章を綴りながらも、抱えきれない宝物たちとこれからまだまだ色々なファッションを楽しめるのだとソワソワしている。


ついでに、写真を見返しながら、そういえばこの服、最近見かけないな。まさか、またわたし、やっちゃったのか?と後悔の念も押し寄せている。