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初めて映画館で見た映画覚えていますか?

 初めて映画館に行った記憶というのは、殆どの人が親か、親類縁者の大人と一緒に、でしょう。
 皆さんには生まれて始めて映画館でみた映画はこれだ! という確かな記憶、ありますか?
 残念ながら私には、ありません。

 多分この中のどれかだろうと思い当たる何本かはあるのですが、実際にそうなのかは怪しい所です。
 昭和30年代の終わりか40年代初頭、この時期が私の映画館デビューに違いないんですが、それが「わんわん忠臣蔵」という東映動画の長編アニメだったのか、ゴジラシリーズの「ゴジラ対モスラ」だったのか はたまた母親に無理やり連れられて見た日活映画の「絶唱」
 舟木一夫、和泉雅子主演のオリジナルバージョンだったのか?
 記憶が定かでございません。
「絶唱」 山口百恵と三浦友和作品のほうが有名なんだと思いますが、「伊豆の踊り子」も、「潮騒」も、そしてこの「絶唱」も、百恵ちゃん主演作品の殆どは過去のヒット映画のリメイクだったんですよね。
 考えてみれば、どの作品も御本家の作品を上回る興業収入を稼ぎだしたところが山口百恵の凄さなんだとは思います。
 ヘッダー画像の第一作目の絶唱のヒロインを演じた和泉雅子は、日活の黄金時代に活躍した看板女優でした。
 ある意味デビュー当時の吉永小百合よりも人気を博した時期があったと言っても過言でないかもしれません。
 実を事を言えば、親に連れられ無理やり見たなんぞという言い方をしましたが、小学校就学前に見たにもかかわらずこの映画、結構記憶に残っています。
舟木一夫の歌った主題歌も、歌詞はおぼろげですがメロディーは、完全に今でも頭にあります。

なぜ死んだ~あああ小雪~♪

こんな、サビだったと記憶します。

 どうもいけません、例によって例の如く前置きが少々長すぎたと言いますか、本当に書きたかった本題に到達するまでに気力が失せそうです。
 
正直私が本当に皆さんにお尋ねしたかったのは、一人きりで映画館へ出向き、自分の意志で、言い換えれば自分一人ででも見たいという思いにかられ、意を決して見に行った映画は何だったのでしょうかということです。(少々大げさですね)
 
 事これに関しては、私にも確かな記憶があります。
 当時名古屋駅前、名鉄百貨店の6階だったか?7階だったかに名鉄東宝という映画館がありました。その頃の名古屋駅前には大小さまざまな映画館があったのですが、名鉄東宝は、中でも一二を争う人気の映画館で、封切りのハリウッドの話題作はほぼ全てこの名鉄東宝で上映されていたように記憶します。
 実家から市バスに揺られること小一時間、中学に上がったばかりの幼き日の私は、不安と期待で胸一杯で映画館へ向かいました。
 
 その時見た映画、それが

パピヨン

スティーブ・マックイーン、ダスティン・ホフマンの二大スター共演の話題作でした。
 

 パピヨンは同名小説の、全世界で1000万部を越える大ベストセラーとなった、アンリシャリエールという人物が書いた自伝を映画化した脱獄ものですが、この少し前に世に送り出された同じ脱獄をメインテーマにおいた大脱走とは全く別の、泥臭いまでもの人の、生への執着をメインテーマに置いた作品でした。
 当時としてはショッキングなシーンが幾つかあった映画でもありました。
ハンセン病患者が身を寄せる、外界と隔絶された離れ小島に主人公二人が流れ着き、そんな病者の長に助けられる場面だったり、フランス圏の赤道ギアナが舞台の映画だけあり、ギロチン(断頭台)で処刑される囚人の映像が登場したり、子供が一人で見るのには結構刺激が強い映画でありました。
 中でも一番印象に残るのが、この映画のもう一人のスター、ダスティン・ホフマンの演技力です。
 彼は、ルイドガという債権偽造(偽札作りのエキスパート)の囚人を演じたのですが、実に味のある演技を披露しておられました。

 この時期のダスティン・ホフマンは、卒業や、わらの犬、ジョンとメリーなど色々な映画で人気絶頂だった記憶があるのですが、人間味溢れるしょぼくれた味のある男を演じさせたらダスティン・ホフマンの右に出る役者はいない、というイメージがとても強い俳優さんであり、この作品でも憂いを含んだ表情が、演技を越えた信憑性をもって訴えかけてくるんです。
 映画のラストに、パピヨンを演じたスティーブマックイーンと、ドガの今生の別れのシーンがあるのですが、このときのホフマンの表情がまたたまらなくいいんです。 
 当時、映画を見終わると、パンフレットも忘れず購入し、後日映画の思い出に浸りながら何度も読み返すのが、映画小僧のお決まりだったのですが、どのパンフもあらすじとは別に、メインのキャストや製作側のプロフィールを紹介するコーナーが掲載されており、ダスティン・ホフマンの当時のプロフィールが今も記憶にはっきりと残っているのです。
卒業で世に出る前、苦労人のダスティン・ホフマンは、一介のエキストラでしかなく、明日の食いぶちにも困る生活だったようです。
 そしてある映画の端役で得た数百ドルのギャランティーを、空腹を凌ぐための飲食代にするか、次のオーディションに備えて、衣装を買い揃えるか?本当に思い悩んだとかかれていました。
思い悩んだ挙げ句ダスティン・ホフマンのとった行動は、オーディション用の衣装の調達でした。そしてその衣装で望んだオーディションが、彼をスターダムに押し上げた卒業だったということです。
正に絵に描いたようなアメリカンドリームとはこういうことを指すのではないでしょうか?
 その後もダスティン・ホフマンは、トッツイー、レインマン、クレイマークレイマー、アウトブレイク等様々な映画に出演して人気を博しました。
20代前半の頃までそんなダスティン・ホフマンが、私の中で一番お気に入りの映画俳優でもありました。

 しかしそんな私が一番思い入れの強いダスティン・ホフマンの出演映画、
それは、真夜中のカーボーイです。原題はカウボーイだったらしいのですが、映画評論家の水野晴夫が、牛を指すカウよりも映画の内容からして車の男、カーボーイのほうが内容にマッチするということで変えたらしいです
 今ではアメリカンニューシネマの代表作に位置付けられる真夜中のカーボーイ、この年のアカデミー作品賞もこの映画だったと記憶します。
チャンプのジョンボイドと共演した真夜中のカーボーイで演じた、びっこで肺病病みのラッッオ、一度見ただけで50年が過ぎた今もその役名までも鮮明に記憶に残るこの映画、正にダスティン・ホフマンここにありと言いたくなるような映画なのです!

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