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My Favorite Things(1) 同姓同名としてのMartin、高嶺の花のCommittee

同姓同名、同じ氏名だけれど赤の他人というのがいる。山田太郎といった、いかにもありふれた氏名であれば氏名が被ってもしょうがないと思うけど、氏名を苗字と名前の組み合わせとして考えると、苗字は出現頻度の高い苗字だと被る可能性はあるし、名前は時代時代によって流行り廃りがあるようで同世代で同じ名前というのは案外多い。そういうわけで、ある苗字と、ある名前の組み合わせは、苗字と名前それぞれの出現頻度の積算で確率論的に同姓同名というのは、ある名前の場合はそれなりの高い確率で、起こりうる。

以前読んだ小説家村上春樹さんのエッセイで、銀行の窓口だか病院の待合で「村上春樹サァーン」と呼ばれて窓口に行ったら、窓口の人に「あら、あの作家の村上春樹さんと同姓同名なんですねえ」と言われて「そうそう、そうなんですよ。ったく困ってるんですよねえ」とか答えたという話が載っていたが、この場合は本人だからまあ良いとして、有名人と同じ氏名の赤の他人だったら公共の場で名前が呼ばれるたびに多くの人に「えっ? あの人がいるの?」と振り返られて、そのたびに「すみませんすみません」と恐縮しなきゃいけないのでちょっとお気の毒に思う。ちなみに私は苗字は平凡なものの、名前はとびっきり珍しいので、こういうシチュエーションに出くわすことはまずない。


私の趣味の一つにジャズトランペットがあって、聴くだけじゃなく吹く方も結構好きで毎日のようにプープーと吹いている。といってもどこかに所属してやっているとか、人前で披露する機会は今のところなく、一人で黙々と(というのは変な表現だけど)あまり遅くない時間帯に仕事から帰ってきた日にはせっせとスケールを練習したりテーマに合わせてアドリブの練習などをしている。どこかで発表するわけでもないのに練習するなんて馬鹿げていると家人には言われる。収穫の予定もないのに穀物の種を植えるようなものだと。それでもその過程が好きなのだ。例えていうなら、植えた種からまだ弱々しい緑の芽が生え、その緑が濃くなり、緑の手が上へ上へとすくすく伸び、暑さの夏を超え、やがて収穫の時期を迎えるという手応えを感じる、そういうプロセスを好んでいる。

そんな素人なりのこだわりでいうと、いかにいい楽器を所有するかということは割合大事な要素になる。親や周りに与えられたものでやるしかない子供とは違い、大人は自分のお金で道具を揃えられる環境であるから、その道具選びに財力さえ許せば制限はない。弘法筆を選ばず、プロフェッショナルであれば何だってこなせるんだろうけど、素人だからこそ、いい道具、それもストーリー性のあるものを持ちたがる。いわゆる「下手の横好き」という状態に陥るのだ。

ジャズトランペットの世界、それも1950年代〜60年代のビートルズ出現前夜までのジャズが最高潮に盛り上がっていた頃のトランペットの名器といえばMartin社のCommittee(マーティン・コミッティ)だというのが衆目の一致するところだろう。この楽器は特にマイルス・デイビスというジャズの帝王とも呼ばれたジャズ界のスーパースターが愛用し続けたことで知られ、その影響からか、チェット・ベイカー、リー・モーガン、アート・ファーマー、ケニー・ドーハムなど、当時の一流ジャズトランペッターの多くは少なくとも一度はこの楽器を愛用した。往年の数々のアルバムのジャケットを見ると、彼らジャズジャイアントたちがMartin Committeeを手に写っているのがいくつもある。

Martin Committeeの見分け方は割と簡単だ。トランペットにはウォーターキーという楽器の中に溜まる唾を抜くための機構がある。通常はくねっと曲がった管の2箇所、主管と3番抜差管の先の下あたりに存在し、楽器に対して鉛直方向下部に小穴が開けられ、これを塞ぐように先端にコルクが付いた洗濯バサミの片方のような留め具が設置されている。あるいは一部のメーカーのものにはアマド・キーという機構を採用した楽器もあり、丸い金属のボタンを押すとボタンの裏側に隙間ができてここから唾を抜くことができるものもある。Martin Committeeの場合、機構的にはよくある洗濯バサミのような構造で一般のものと変わらないのだけれど、見た目では大きく異なり、穴が斜めに開けられている関係でウォーターキーは斜めに装着され、しかもその洗濯バサミのような持ち手部分が異様に長い。俗にロング・ウォーターキーというこの見た目だけで区別できる。だからアルバムのジャケットを見るとき、まずここをチェックすると、そのトランペットがMartin Committeeなのかどうかはわかる。一部例外はあるようだが、ほとんどはこのロング・ウォーターキーがわかりやすいアイコンになっている。

さて、このMartinという名前、トランペットに詳しくない方も聞いたことあるかもしれない。D-28やD-45といったアコースティックギターの名器を出しているメーカーの社名/ブランド名として。1990年代初頭、エリック・クラプトンはじめとするアーティストがunpluggedといってプラグを挿さない、つまりエレキなどを使わず生楽器で演奏するブームがあったが、そのunpluggedの中心にいたメーカーでもある。何を隠そう、私もそのブームの頃にMartinのギターを手に入れた。

ところがこのMartinとあのMartinは全くの別メーカーで関連は全くない。ギターのMartinことC. F. Martin & Companyはドイツ移民のChristian Frederick Martinさんが1833年にアメリカで創業したメーカー。一方トランペットのMartinはMartin Band Instrument Companyという社名で、これまたドイツ移民のHenry Charles Martinさんがインディアナ州エルクハートに工場を構えて創業したメーカーだ。トランペットのMartinさんはトランペットで特に有名なのだが、トランペット以前からサックスも作っていた。トランペット、サックス、トロンボーンなどの総合管楽器メーカーだったのだ。「だった」と過去形なのは、現在は当時の形態では存在しないからで、ギターのMartinは現在も脈々と家族経営を行い現在の当主C.F. Martin 4世のもとに存続するが、トランペットのMartinはかつてのような形では存在しない。ギターのMartinが時代の荒波にも見事に生きながらえ名声を保ちその系譜が現在もなお続いている一方、管楽器のMartinは過去に名声を勝ち得たものの、それを維持することはできなかったのだ。プレイヤー人口の差もあるのだろうが、同じ名前でもずいぶん違う。

楽器メーカーで同じ名前だから検索するときに結構困る。楽器屋さんのサイトで"Martin"と検索してもほとんどはギターのMartinばかりがヒットする。そしてこれはまるで巧妙に仕掛けられた罠のようだけど、"Martin Committee"と検索してヒットしないから存在しないのかと思えば、"Committee"のスペルが間違っていて"Comittee"とmを抜かして登録されていてヒットしなかったこともある。平凡な苗字と間違えやすい複雑な名前、これには結構迷惑している。

以降、管楽器メーカーとしてのMartinの話題になるが、Martin単独でのビジネスは1961年までで、1961年にはRMCという他のメーカーと統合した会社のコントロール下に入り、1964年にはWurlitzer(ウーリッツァー)というメーカーがMartinブランドと工場を買い取った。そして1971年にはLeblanc(ルブラン)というメーカーがブランドだけを買い取りエルクハートの工場は閉鎖された。Leblancは元はフランスの木管楽器のメーカーだが、他にもHoltonというアメリカの有名なトランペットメーカーもMartinの前に買収していた。そういうわけで当時のMartinはウィスコンシン州ケノーシャにあるHoltonの工場で作られていた。そのLeblancも2004年にConn-Selmarに買い取られ、2007年には工場を閉鎖している。ちなみにConn-Selmarは楽器界のLVMHのような存在で、ピアノのスタンウェイ、サックスのSelmar(セルマー)、トランペットの世界のスタンダードであるBach(バック)や、他にもKing、Benge、C.G. Connなども所有している。

そう言うわけで現在は管楽器のMartinはConn-Selmer配下にあるが、Martinの名前のつく楽器は近年リリースされていない。

このMartinではCommitteeというモデルがとにかく有名だ。Committeeは英語で「委員会」という意味で、1930年代後半、最良のトランペットを作るのに「委員会」が設置されたのにちなんでいる。この委員会のメンバーが今考えるとすごい顔ぶれで、レイノルド・シルキーという現存するシルキーという高級トランペットメーカーの創業者をはじめとする当時のさまざまなジャンルの一流奏者から構成され、最良なトランペットの検討がされたものだそうだ。ほとんどはシルキーさんのアイディアが生かされているようではあるけれど。

この楽器は出自から殊更ジャズ向けというわけではなさそうだけど、当時のジャズトランペッターたちはこぞってCommitteeを使った。おそらくマイルスが使った影響が強く、マイルスに倣って使った人が多かったのだろう。それがMartin Committeeはジャズ向けのトランペットとみなされている所以だ。

さて、このMartin Committeeだが、大きく分けると、1961年以前のオリジナルと言えるもの、1968年までの激動期のもの、1970年後半から2007年までのLeBlancものの3つに分かれるだろう。同じ名前でも結構違っていて、特にエルクハートで作られた1960年代までのものと、ケノーシャで作られたLeBlancものは別物と思ってもいいほど違うようだ。

この中で人気の高いのは1961年以前のモデルで、その中でもとりわけ人気で神格化されているのがラージボアという太いラッパの朝顔を持つモデルだ。普通のボア、これをミディアムボアというが、これが楽器の後ろから段々と曲線を描いて最後うわっと太くなるのに対して、ラージボアは直線的に広がるようなフレアスカートの感じ。ラージボアの方が音のコントロールは取りづらいが吹き方をうまく制御できると太いダークな音がすると言われている。ラージボア人気はこういう楽器の特性だけでなく、マイルスらがこのラージボアを好んで使ったからというのが大きいだろう。

ラージボアとミディアムボアはその外見からも区別がつくが、明確に印があって簡単に見分けることができる。ラージボアのモデルには3つのピストン(指で押して音程を変えるボタン)のあるピストンケースのうち、真ん中の2番ピストンケースに刻印されたシリアルナンバーの上に#3と刻印されている。ミディアムボアは通称#2と言うが、これはノーマルと言うこともあって、ほとんどの場合、明示的に刻印されていない。つまり#3とあればラージボアと言うことになる。

僕は下手の横付きのジャズトランペッターもどきにつき、筆を選ぶ。マイルスが彼の最盛期に数々の名盤を吹き込んだ楽器、Martin Committeeの1961年以前の#3、つまりラージボアが欲しくて仕方がない。これは私がトランペットを始めてしばらく経った中学の頃から思い描いている夢だった。この条件に合致する楽器は、以前はそれなりに流通量があったようだが、私が資金的に購入できるゆとりが出た頃には、滅多に出会えない楽器になってしまっていた。

今から二年前、お茶の水で開催された楽器フェアで、憧れの1950年代のCommittee、しかも#3が刻印されたモデルを見つけた。ユリイカ!と叫び、会場で試奏させてもらった。マイルスのテイクのMy Funny Valentineなどを吹いてみると、実に「らしい音」がする。いい感じだ。値段は確か30万円台ではなかっただろうか。この楽器としてはややお値打ちという感じだった。なにせ憧れの楽器なので欲しくて堪らなかった。まるで昔見たTVコマーシャルのシーン、ショーウィンドウの奥に輝くトランペットを欲しがる黒人の子供のように。ただその時は妻に前もって相談をしていなかったので、その場で契約することは躊躇われた。後で相談して購入しよう。そう思って会場を後にしたが、その後この楽器は別の人の手に渡ってしまった。私の指の間をするりと通り抜けてしまったのだった。

eBayをチェックするといくつかお目当てのモデルが売り出されているが、私にとっては高価な楽器を実物を見たり試奏せずに、それも海外から購入することは躊躇われた。そこでMartinでも価格が抑え気味のWurlitzer時代のDeluxeというモデルのコルネットをeBayで安く購入した。これまでメインで使っていたGetzenというメーカーのコルネットより吹きやすく、その音も良好で気に入った。ただ、そうなると、ますますCommitteeのトランペットが欲しくなる循環に陥るのであった。

そうなるとどうしても欲しくなる。私は日々楽器店のサイトをチェックし、Martin Committeeが売りに出されていないかチェックしたり、手当たり次第楽器店に連絡して在庫がないか確認した。残念ながら東京中、いや日本中の楽器店に在庫はなさそうだった。稀にCommitteeがあったとしても大抵はLeBlancものだったり、1950年代のものでも#3と刻印されていないミディアムボアのモデルだった。出会ったMartinは可能な限り全て試奏したが、個体差はあるものの、どの楽器もなかなか良さそうに思えた。ただ#3の刻印はそこにはないのであった。

渋谷にあるトランペットの専門店にCommitteeがあるというので見に行った時、残念ながらミディアムボアだったが、店員さんと雑談する中でラージボアを探している旨をいうと、ああ、最近はめっきり見かけなくなりましたね、と言っていた。なんでも中国にそれなりの量がいっちゃったみたいで、日本ではマニアの方が大事に持っていて市場にはそうそう出てこないんじゃないか、とのことだった。日本の国力の衰退と中国の成長をそんなところでも実感させられた。そうなると2年前に手が出せなかったあのお茶の水での一件が悔やまれるのであった。

この頃には妻にMartin Committeeのトランペットを購入する許可を得ていた。いいものが適正な価格、まあ4-50万円程度までであれば、許可なく買って良い、そんな免罪符のようなものを手に入れていた。そうして毎日のようにCommittee探しをしていると、1年ほど経った初冬のある日、横浜の楽器フェアにお目当てのモデルがあることが分かった。金曜日から開催されるフェアで平日は仕事なので横浜まで行けないが、翌日に行こうと土曜日の朝に家族を連れてクルマで東京を発ち、昼前には迷いながらもなんとか会場入りした。そしてそそくさとエスカレーターに乗り金管楽器のコーナーに行くと・・・ 残念、ラージボアはもう売り切れていて、1950年代と思われるミディアムボアしか在庫がなかった。ミディアムボアを一応試奏したが、まあこれが実に良さそうな音がしたし、修理痕があることもありお値段も20万円台とお手頃だったが、ここで妥協してはならないと購入には至らなかった。またしてもするりと指の間を通り抜けて行ったのだった。

Martin Committeeのラージボア探しが生活の中に浸透し、毎日のように楽器店のサイトを巡回して探している最中、お茶の水の楽器店で楽器フェアが開催され、Martin Committeeとは別に欲しいと思っていたフリューゲルホルンが普段よりかなり安く売られているという案内が届いた。これは買っておかなきゃと、用事のついでに妻にクルマでお茶の水まで送ってもらい、楽器店に行った。さてお目当てのフリューゲルホルンを買おうかと思ったその時、ふとトランペット売り場を見ると、一番奥の段にMartin Committeeがあった。うわっ!と心拍数が一気に跳ね上がった。

しかし、すぐにそれがオリジナルのMartinではなくLeBlancものだと気づいた。ラッカーのモデルだがオリジナルよりラッカーが残っていて、指掛けの形状が異なる。さらに朝顔に彫刻されたMartinの文字がデザインされたロゴではなく即物的なアルファベットの羅列だった。店員さんに訊ねると、入ったばかりでわからないがこれはオリジナルでは?と言うが、どう見てもLeBlancだった。

LeBlancのMartin Committeeも晩年のマイルス・デイビスが使用しており、特にエレクトリックやサイケデリックな印象が強い。マイルスの楽器は黒や青や赤に彩色され派手な彫刻が施されていた。私も新品で売られていた時期を覚えているが、通常のラッカーのモデルに加えて彩色されたモデルもあり、さらに彩色の上からマイルスのような派手な彫刻が施されたモデルまで揃っていた。ただLeBlancものには一般的にラージボアは存在せず、音をコントロールしやすく取り扱いやすく現代的な楽器として使用しやすいミディアムボアなのだった。

2019年にChristie'sのオークションでマイルス自身が使ったMoon and Starsという名前がつけられたLeBlancのCommitteeが売りに出されたが、これは$275,000で落札された。大凡限定品ではない一般的なフェラーリが買えるプライスタグである。とはいえ、一般的なLeBlancは1950年代のMartinより価値は低いのが通例である。この日、お茶の水の楽器店で見たLeBlancはセール中と言うこともあって、私が当初考えていた予算のほぼ半値で、購入しようと思っていたフリューゲルホルンより安価だった。

試奏してみると、うん、悪くない。動きもスムーズで凹みや修理痕も見当たらない。店員さんからは、すみません、おっしゃる通りLeBlancですね、と訂正された。そうルブランだ。でも、うん、案外、これでもいいんじゃないか? そんなことをぼんやり考えていた。

普段だったらオリジナルでもない、#3のラージボアでもないLeBlancものには手を出さないと思う。しかしフリューゲルホルンを買う気まんまんで店に行ったら、そのフリューゲルホルンよりずいぶん安いプライスタグがぶら下がった、たとえLeBlancものとはいえ、Martin Committeeが売られている・・・ 試奏を終え「じゃあ、これ、ください」と自分の口が言葉を発したとしてもなんら不思議ではなかったのかもしれない。

こうして私はLeBlancものとはいえ、マイルス・デイビスが使用した楽器のルーツを持つトランペット、Martin Committeeを入手したのだった。

正直に言おう。楽器の出来不出来、音の良さ、パフォーマンスを引き出す底力のようなものは、素人にはあまり関係のない話なのかもしれない。ただその楽器の背景にあるストーリー性、そう言うのに痺れて手に入れたのだ。たとえそれが追い求めていた1961年以前のオリジナルものでなかったとしてもその系譜の中にある楽器を入手したと言うだけで、素人の私には十分なのだ。別にステージに立とうってわけではない、レコーディングをして販売するわけでもない、正統的なコレクションを収集するわけでもない。ただ幼少の頃聴いたマイルス・デイビスの'Round Midnightのクールなサウンドに魅了され、自分自身もトランペットを手にした少年が、その時の感動を携えたまま成人したような私にはLeBlancのMartin Committeeは相応しい。

今日もケースからMartin Committeeを取り出して、ハーマンミュートを装着し、吹いてみた。憧れのマイルスに一歩近づいたような、たとえそれが地球と月の間の隔たりがあるとしても、その一歩の近づきには個人としては大いに意味があるように思える。それが月の引力の影響を絶えず受けつつ、かすかに秘めたるストーリーを自らの嗅覚で嗅ぎながら、素人として趣味を楽しむと言うことだろうと思う。

そう、世界は素晴らしいモノで満ち溢れている。

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