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絵画教室に通い始めた日。


こんばんは。 雨の音が心地よく、すやすや昼寝をしておりました。しあわせなひと時だったなあ。



今日から絵画教室のお稽古に通い始めた。

 週はじまりの朝。こうして目の前にあるものを感じながら、自分の心と向き合うことができる時間。
 贅沢で、光が満ちていて、少しだけ心がやさしくなれる気がする。



もともと、アート全般にずっとずっと興味をもっていた。
 というか、世の中全て、アート的だなあって思っていた。
 にんげんの消費行動も、メディアの捉える社会的問題も、苦手ではあるんだけれど、ある意味全て世の中が生み出したもので、その行動心理は皮肉にも、すべてアート的だよなあって思う。



ただ。私は数あるアートの中でも、「ただ、そこにある。」アートがすきだし、そんな絵を編みだせる人間になりたい。
 その場で「なんか、いい。」となじんでしまう風景を切り取ってゆきたい。



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 初めてのアトリエでのキャンバス。


 デッサンの際の鉛筆の持ち方を教わった。
 カッターで鉛筆を削る方法も教わった。
 練り消しの使い方を。デッサンする時の姿勢を。



 そうして、15分後。



「あとはさっそく見たままに描いてみよう。」
 講師のお姉さんはそう言う。

ああ。ここの教室は続けられるなあと思ったし、 ここに来るのがたのしみになるんだろうなあと思った。


 1回のレッスンには、大体6名ほど参加する。
 私の時間帯は、私より四回り程歳上の方たちが4名。
 自分の描きたい絵を思うがままのびのびと描いている。


 黙々と手を動かす人。
 集中力が切れて休憩をとる人。
 うまく描けずに頭をかしげる人。
 途中で雑談が飛び交う。 

 交じり合わなかったはずの人たちが、絵というひとつの媒体を通じてその場を共有する。


なんて心地の良い空間なんだろうか。




もともと、人の目を気にしてしまうタイプだし、今でもどこかそんな一面を持っている。


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 学校のテストの最中、先生が回答用紙を覗いてくる瞬間、頭が真っ白になってしまう中学生だった。
美術の授業中も、誰にも見られない隅っこでこっそり自分の世界を作り出すまで一切集中できなくて。。。 先生が来ると、みられるのが嫌で、せっかく描いた下書きを全て消してしまうくらいの見栄っ張りだった。
 正解を求められている気がして、すごくすごく怖かった。 

 知識人に何か強いられることは本当に苦手だ。
 せっかく自分の心が揺れ動いた瞬間に対して「それは違うよ。」そんな風に否定されているようで、委縮してしまう。

 でも、ここでは関係ない。
 自分の脳裏でみた世界をそのままキャンバスにうつすことができる。 明らかに技術的な面で何か違和感を感じても、先生はそれを個性として受け取ってくれる。そこから良さを引き出してくれる。

 そんな個性あふれるアートがすきだなあと思う。
 こんなアートたちでやさしい世界が紡ぎだされたらなあと思う。



カフェで、どんな豆がお好きなんですか?
容易にそんな難しいことを聞いてこないでほしい。 自分よりよっぽど詳しい人に、何を自分が伝えられるのか考えるのがしんどくなるから。せっかく素敵な空間でも、今後行きづらくなってしまうじゃないか。

 他愛のない話の中で、突然難しいカタカナ言葉を使って話をすすめないでくれ。そこについてくる前提で話がすすんで一体誰が満足するんだ。


何ももとめない場所がすきだ。心地が良い。
 ただ、そこにあるものをかき集めて、「今日食べたコンビニのアイスが美味しかったんだ。」そんな次の日には忘れてしまうような話が飛び交う場所がすきだ。


絵画教室に通い始めてまだ1日目。 

 月曜のはじまりから、日の光が差し込む席で、影を感じること。
 光があるから影ができて、影があるから光が見える。



私はこの隅っこの席がすきだ。

月曜が楽しみになったのはいつぶりだろう。

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