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消えない痛みは今に生きる。

「さっちゃんって、ほんと八方美人だね」

幼いながらに浴びたこの言葉を未だに思い出すのは、
今も尚変わっていないからかもしれない。

ずっと引きずっていた言葉に対して、
今ならこうやって返すだろう。

「そうだ。それが私なんだ」と

「選べない」が続く小中学時代

幼いころから、異なるにんげんの価値観や人生観に触れることがすきだった。
誰といても純粋に楽しかったからか、このひととずっと一緒にいたいだとか、グループに所属したいみたいな欲求を持つこともなかった。

***

遡ること小学6年生。
修学旅行の班決めで、大げんかを勃発させてしまったのは私だった。

「私はどっちの班でもいいよ」

たった1つ放った言葉で、
いつも一緒に帰っていた、A班の「Hちゃん」と、
放課後ひまじん同盟の、B班「Yちゃん」を泣かせてしまった。

もちろん泣かせたいわけじゃなかったけれど、
どちらかの班を、そして人を、自ら選ぶことはできなくて。

結局クラス全員でくじ引きを引き直す結果に終わった。

中学に入学すると、グループでの行動が当たり前になった。
新しいクラスが発表されると、みんな初日に“イツメン”をつくりだす。
そんな違和感を受け入れることができなかった私は、毎日違うグループに顔を出していた。このころだって、選択することがこわかった。

ある日のこと。
私はどこのグループからも煙たがれる。
自分でまいた種であるが、気が付くと私の居場所は見当たらない。
その日から、昼休みになると毎日1人で図書室に向かうようになった。

みんなと分かち合いたいだけだった

あのころを思い返すと、本当は寂しかった。
もっと、もっと、みんなと仲良くなりたいだけだった。
深く関わりたいだけだった。

今でもあのころを思い出すと心がきゅーっとする。

でも、それと同時にここ最近思うことがある。

「やっぱり私は、誰でも気軽に帰ってこれる場所をつくりたい」

常連さん。一見さん。一度きりだろうと久しぶりだろうと。
コミュニティみたいに固い絆というよりは、
各々にとって、ちょうどよい距離感で、何を求めるでもなくて、
いつでも帰ってこれる場所があったらいいのになと思う。

過去の経験が、今の糧に。

あのころ、みんなが心地良くいれたらよかったなと思う。
もっと、みんな個性を分かち合えたらよかったなと思う。
それを表現できなかったことが、どこか頭の片隅に残っている。

私たちは、過去のトラウマや苦い経験など、
なかなか記憶を上書き保存することができない。

苦い思い出も、忘れられない記憶も
すべては自分の栄養となる。
そしてそこから花は実るのだと思う。

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