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僕のヒーロー

生きるエネルギーが枯渇していて、もう何も出来ないような感覚に囚われていた。いやまだ囚われてい「る」のかも知れないけれど、もう疲れ果てて何をやるのも辛くて怖くてしんどくて、一歩でも歩くとゲロでも吐きそうで、ずっと自分の安心できる繭に閉じこもっていたい感覚。
ただ私をそこに閉じ込めるのは、私を弱くしたり、弱いと言っていじめたり、そうでなくとも「お前が悪い」「お前はおかしい」と、狭い視野で善悪や正誤を判断して立派な人間になった気になっていながら、なんの罪もない私を排除する腐れ能無し共である。私の人生において彼らが全面的に悪く(ただ全面的に悪いと思うほど自分は何もした覚えがないのにも関わらず、病人のレッテルを貼られている以上それを表明することも許されない、もう生まれてきたこちらに落ち度がある、その腐れ能無し共にとっての常識を受け入れないこちらに非があると常時責められているような感覚さえあるのだ)、私はそんな気持ち悪い生き物が跋扈する、もう廃れていくだけの世界で、病人や異端者や弱者のレッテルを貼られて医師、いや石を投げられ、傷や膿を抱えて苦労して生きることに辟易、心底ゲンナリしていた。いやまだゲンナリしている。
なんとなくこのゲンナリが少なくとも一生ものであるような気がしていて、でもそれだけ渋々と生きるのにすらコストや労力が目一杯かかり、そしてその間はずっと過剰に傷つき痛み病み、これ以上生き延びるのも人としてどうかと思っていたこの頃だった。

夕べは夢を見た。昔大好きだったA子が出てきた。いや愛だ恋だ嫉妬だみたいな熱情を除けば今でも大好きである。
彼女は小説を書く(とりわけ人の心情や愛憎を描写する)のがべらぼうに上手いのだけど、昨日は久々にそれを数ページ読んで寝たから、それで私の夢に出てきたに違いなかった。

夢の中で彼女と私は幼かった。まだ10歳かそこらくらいで、実家の私の自室にA子を呼んで、二人で絵を描いて遊んでいた。
ただその部屋にいろんな大人が押し入ってくる。主に私の母親であった。私に無断で私の部屋に押し入り、ああだこうだと私に難癖をつけ始める。私はA子と遊びたいので、いいから黙っておいてくれと追い出すのだが、また入ってきては私の心や身体を侵害した。どの大人が入ってきてもやることは同じである。
私の部屋で勝手にくつろぎ始めたり、私の部屋を物色したり、私のあることない事を、私を下げるためにA子に吹聴したり、私をなじったり怒鳴ったり、殴ったり犯したり責めたりする。あろうことかA子に手を出す輩もいて私はその度酷く狼狽した。ただ狼狽するのみで何をすることも許されない。内容はあまり覚えていないし、覚えている部分もしっかりとは書きたくない。書いていて辛いからだ。ただ、みんなで寄ってたかって私達をめちゃくちゃにするのに、何も抵抗出来ない、といった夢が延々と続いた。絵は一枚も完成させられなかった。

夢の終盤で眠りが浅くなったのか、ふと明晰夢のように自由が効くようになった。
まだ私達はいいようにされていた。母親が幼い私を感情のサンドバッグみたいに、なじったり殴ったりしているところだった。親が自分の恥や不安を全部まともに処理できず暴力に変えて暴れており、それを見て怯え、自尊心を破壊され、最低限の境界線すら侵害されながら身も心もいたぶられている幼少期の私を助けてやるのは、ふとこの夢を見ている私の役割のように思った。
母親を殴ってみると、大人になった私の腕力だったので、これ幸いとそのままいたぶり返した。
母親をボコボコにするのは気分が良かった。きっと現実ではこうはいかないだろうが、それはそれとして今までの報いとばかりに隣の部屋に吹き飛ばした。
母親が呻いている隙に私はA子の手を繋いで、急いで外に出た。空気は澄んでいたし、空は青かった。その青さで目が醒めるのがわかった。

目覚めてふと「私を助けてやれるのは私なのだ」という言葉がストンと腑に落ちるようだった。なにか自分を救い上げてくれるきっかけやヒーローは、いないとわかっていながら何かに期待していた気がする。エネルギーが枯渇しているから時間が解決する他致し方無いと思っている部分もあった。が、怒りなら文字通り腐る程あるようだ。そういう世人に対する怒りのようなものは誰しもあるものだが、まともに昇華する術を覚える前に老いてしまうと、その怒りは腐って、幼子をいたぶるようなろくでもない事しかしでかさなくなるのであろう。私の夢の中に出てきた母親はまさしくそういった腐りを纏ったクサレ神に成り果てていた。私が持っている傷や怒りも、腐る前にエネルギーに変えてやる必要があるに違いない。良いエネルギー源を見つけた。枯渇して困っていた。無くさないと困るゴミや糞のようなものでエネルギー変換できるのだから、エコですらある。
私は冒頭で説明した言いようのない世界に対する怒りを、原動力にできるかも知れないと気が付いたのである。

この「怒りを原動力にする」ことで半年で16kgほど減量することに成功したことがある。ただそれは原動力の中に別の、目標を達成するためのプラスの感情みたいなものも含まれてはいたわけで、今の負の感情しか手元にない状況だと少し懸念がある。ただ生活に必要なエネルギーを得るために怒りを利用して、負の感情に飲まれるのだけは避けたい。ただヒントは得た。
私は誰にをも傷つけず傷つけられず、影響されることもなければ影響を与えることもない、(影響は与えたいかもしれないが、何も背負いたくないので「きっかけ」くらいでいい)静かで凪のようで、それでも自分自身はしっかり立っている、静寂で堂々とした賢明な人間になりたいのだ。今は手負いの獣だ。そこから他人からつけられた傷で理性の無いクサレ神に成り下がるのは、自分を傷つけた不条理や不合理を思い出して、それに一体化するようでとても辛いから、なんとしてでも避けたいのだ。

ただどうしてもクサレ神になることが避けられないのであれば、街の一角でのたれ死ぬ様な生き方はせず、社会に荒波を立てるような復讐に臨むつもりである。
(無敵の人なんて、ばかな人たちが知らないだけでそこら中にたくさんいるのだ。)


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