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小説『あの頃、飛べなかった天使は』

小説「あの頃、飛べなかった天使は」
三月のパンタシア「煙」原案小説


 1 

 講堂を出ると、三月の陽光がまぶたに触れて、目を細めた。
 白い光は足元に滑り落ち、足袋の白さに吸い込まれていく。本キャンパスを目指してせっせと歩くも、草履の鼻緒が指の間に食い込んで、少し痛い。
 けれど頑張ってつま先をぎゅっと丸め、足裏と草履をくっつけて歩く。かかとと草履が離れると、パタパタと間抜けな音が鳴ってダサいから。
 慣れない袴姿に、首筋にうっすら汗を滲ませながら足を動かした。まだ冬の名残を含んだひんやりした風が、綺麗に結われた髪からこぼれる後れ毛を揺らす。
 今朝は若干の雲行きのあやしさを感じていた空も、卒業式が終わって外に出てみると、すっきりとした薄青い色が広がっていた。
 頑張ったがやっぱり歩き慣れなくて、私は木陰のベンチにすっと腰を下ろした。
 空に向かって、ふぅーと深く息を吐く。頭上にはちょうど細い枝が伸びていて、桜のつぼみがぽつぽつと色づいている。

「あっという間やったなぁ」

 このつぼみが花開く頃には、私もここ東京で社会人として生きていくことになる。
 正直なところ、まだあまり実感がない。学生としてでなく、社会を生きる大人のひとりとして扱われる自分の姿はうまく想像できない。
 けれど新たなはじまりへの期待と不安がいっしょくたになり、漠然とした緊張感が日々じわじわと胸に押し寄せていることはたしかだ。
 そんなことをぼんやり考えていると、視界に煙草の煙が映った。
 気づけば、目先の喫煙スペースを眺めていた。
 スーツ姿の男性たちが、おしゃべりに興じながら煙草をふかしている。
 変わらないな、と思わず苦笑してしまう。
 喫煙所があると無意識に目を向けてしまうのは、本当に全然変わらない。
 そんな自分に呆れると同時に、どくんと胸の奥でかすかに気持ちが動いた。
 煙草の味がした、彼の唇。
 あのキスにどんな意味があったのか、いや意味すらなかったのかは、5年経った今でも永遠に分からない。
 私はこの先の人生で、あと何度こんな風にあの人を追憶するのだろう。
 何度あの冬を思い出し、静かに胸を軋ませるのだろう。
 あの冬。
 狂おしいほど彼に惹かれていた、17歳の冬のこと。

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