小説『春が過ぎ、夏が来るまでの憂』
小説「春が過ぎ、夏が来るまでの憂」
三月のパンタシア「青い雨は降りやまない」原案小説
春が過ぎたら、空は灰色。
六月の雨雲からまっすぐ落ちてくる大粒が、頭上のビニール傘を激しく叩く。
今朝、大学に着いた途端に降り出した雨は、帰路をたどる頃には大雨に変わっていた。
朝のうちにビニ傘買っといてよかったな、と思いながら私は水たまりを踏まないように早足で歩いた。
それにしても、足元がじめじめと冷たい。
もうこれ以上濡らせないというほど、私の赤いスニーカーはずっしりと水を含み、暗い色に染まっている。
雨は苦手だ。
靴下までびちょびちょに濡らされた時なんか、とくに嫌な感じ。足先の冷えがじわじわ体に染み込んで、心のふちにまで憂鬱を滲ませる。
冷えたつま先をぎゅっと丸めて歩いていると、交差点の信号が赤に変わり足を止めた。
雨の日にかぎって赤信号につかまってしまうのってなんなんだろう。
不可解な気持ちで濡れたスニーカーを見下ろすと、ふいにあの人の声が聞こえた気がした。
平気ですか?
すれ違っていく人の傘がぶつかり、はっと顔が上がる。信号は青に変わっていた。
けれど、私はしばらくそこから進めなかった。
雨は苦手だ。
雨は、あの人の記憶まで一緒に連れてくる。
私はなにひとつ言えなかった。
情けなくて、悔しくて、苦しくて、どうしたって口にできなかった。
あの頃のどうしようもない想いが、重く湿った空気の中を、今もずっと彷徨い続けている。
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