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スマホ時間を少しだけ減らしてみる


スマホとどう関わるかを考える

スマホはとても便利な道具ですが、その便利さゆえに使い過ぎてしまう、気づかないうちに依存してしまうという状態も多く、人間がバランスよく生きて行く上で弊害になってしまう側面も近年では多く指摘されています。

「インスタグラムをやめる」の記事で情報探索と報酬探索を誤解してしまう脳の紹介を以前しましたが、SNS以外にもそもそもスマホを使うという行為そのものが私たちに与える影響は大きいものです。

愚痴の機能

私たちは物事を分けて考えます。なぜ分けて考えるのか?それは分かりやすくするためです。日本の昼間のカフェに行けば主婦たちが集まっている姿をよく見かけます。私も仕事に煮詰まった時によくカフェを利用しますが、場所によっては他人の愚痴ばかりが聞こえてくるカフェもあります。カフェのオーナーはそんな雰囲気を望んでいるわけではないと思うので、オーナーにとっては不運なことだと思うこともあります。私にとってカフェは貴重な場ですがそういう場所には次から行かないようにしています。

ところで、このように愚痴をこぼす理由もやはり分けて考える行為の1つです。分ける理由は分かりやすくするためと先に書きました。愚痴は自分の悪いところではなく他人の悪いところを語る行為です。「他人が悪い」の対義語はなんでしょう。「自分は良い」ですね。つまり、他人を悪いと定義することによって自分は悪くない、という目的を果たしているわけです。それが愚痴の働きです。般若心経の経典の中に有名な文があります。色即是空。色とはこの世に存在する在り方です。空とは無いという意味です。他人を悪いと定義することは即ち悪く無いということになります。自分が良いと定義することは即ち悪いということになります。

2言論は争いの始まり

差別や区別は物事を分かりやすくするために行う行為です。勉強する時も、何かスポーツに打ち込むときも、物事を順序立てて行うために分けたり区別することはあります。しかしそれはあくまで手段であり目的ではありません。目的は自分自身が上達することです。その手段が目的になってしまったらどうでしょう。

例えばスポーツで、上達するための筋トレ(手段)だったはずが、いつの間にか、毎朝筋トレをしなければならない(目的)に変わってしまう。そのタイミングから人は苦しみを感じ始めます。

愚痴も同じです。あの人と私は違うんだ。ここまでは誰でも思うし、この時点では心が汚れてしまうような感覚はありません。多様性を受け入れている状態です。しかし、相手を「悪い」と決めた時点で相手は、あなたにとって「悪」としての目的を果たす機能になります。ここから苦しさが始まるのです。

禅の教えに「無分別」というものがあります。分け隔てた時点から発展することで2原論化し、それぞれがぶつかりあい始めます。分け隔てることは知恵であり手段です。天と地、陰と陽、分けたとことから気づきがあります。しかしそこからさらに発展させてしまうと2原論へとつながり、ぶつかりあいが始まります。人間関係のトラブルはまさにこの構図が働いている所以なのです。

ブッダは言います。「勝つ者怨みを招かん、他に敗れたる者くるしみて臥す」私もまさにその通りだと思います。

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