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対談企画、浅井×船山改「アート」 前編


対談者紹介


船山 改(28)

自然界からインスピレーションを受けた作品を、コンパスと定規を使って描く船山改氏。日本の着物の柄に興味を持ち、作品には日本紋様の技法を用いている。船山改氏は現在、アート以外にもさまざまな表現の仕事を手がけているが、作品の一番の根源となっているのは、彼が大切にしている自然に対する考え方。更に、作品に深みを持たせているのは海外での経験、技術の応用、精神的な葛藤、そして、自分を発掘してくれた人たちへの感謝。それらから学んだことは表現をすることで初めて可視化されていくもの。自分の納得のいくものだけを追求し続けている。


浅井 和英(44)

クライミングをきっかけに無計画で風に漂うようなスタイルの旅を始めたのが20代前半。それから現在まで国内外問わず多くの地域を旅してきた。クライミングの他に登山、カヤック、キャンプ、サーフィンなどを行うが、これらの行為は自然と自分をつなぐデバイスの役割を果たすもので行為それ自体にこだわりはない。故に自分自身をクライマーだとも思っていない。時勢により恵まれた仕事がたまたまクライミングだった。
八百万の神々を感じる瞬間は心身共に深く自然に食い込んだ時に突然訪れる。その瞬間を追い求めて自然の懐へと旅路を広げている。


インタビュー


浅井 改はいつ頃からアートとかデザインを始めたの?コンパスを使って描き始めたきっかけってあるのかな。

 紋様を描き始めたのは、3、4年前です。コンパスとか定規とかの道具はそれより前から使っていました。元々は大学でアパレルを学んでいて、その時にパタンナーって言う仕事に一番興味を持ったんです。平面のデザインを立体に起こしていく仕事です。その時に何を求められるかって言うと、平面と立体を行き来する変換能力なんです。当時僕は、それが一番得意なことだったし好きなことでもあったんです。そうして人の体みたいに丸いもの3Dなものを変換して、平面で作図するっていうことをやってきていて、それが今に繋がっています。紋様を描くのは簡単ではなかったので、だったらパタンナーの技術を応用したらいいんじゃないか、設計図を元に縮率を変えていけば活用できるんじゃないかっていう発想でした。当初はアートというよりデザイン的思考で描いていたと思います。

作品#1

浅井 それが3、4年前だよね。クライミングはいつから?

 クライミングが高校1年生の時から始めたんで、13年前とかですかね。

浅井 改が高校の終わりかそのあたりにファッションがなんか凄いなみたいな、俺にはよく分からないんだけど、そう感じたんだよね。それから何年かしてレジンの作品を見せてもらって、興味があるのかなと思った。でもコンパスを使った作品とは路線は違うよね?

 そうですね。その頃って、経験値は無かったんですが、表現方法はいろいろ考えてたんです。レジンを使ったのはたまたまです。スケーターが鞄を持ってパークに行くんですが、僕の中では紙袋持ってたほうが、カッコよかったんです。ボロボロのやつで。そういう古臭さが好きだったんです。

浅井 分かるなー。80年代とか90年代とかの感じ?

 そうですそうです。ただ紙袋だとすぐ破けちゃうなと思ったんです。で固めるために樹脂使ったりしてる中でレジンが1番面白い反応をしたんですよね。

作品#2

浅井 実用性からきてるんだね。

 でもぶっちゃけ、レジンで固めることで実用性は減りますね。

浅井 固いぶん、割れやすいよね。壊れる?

 割れます。笑。でもそこがアートの面白さだと思うんです。不必要なものをあえて使うことがアートの美学だと僕は思ってるんです。

浅井 ニューヨークはどういう目的で行ったの?

 3回行っていて、1回目が語学留学、2回目が日本人のやっているパターンメーカーの研修で行きました。

浅井 アメリカは大雑把なイメージがあって、アメリカの商品って80点で商品棚に並べるけど、北欧とかだと100点満点で棚に並べる。欧米って一括りに言うけど文化背景はとても一緒に括れない。ヨーロッパではなくてアメリカを選んだ理由はあるの?

 中学の時の交換留学でそこしか選べなかったからです。特に理由はないです。

浅井 最初の海外って衝撃だよね。

 はい。やばーい。みたいな。それからイギリス、フランス行って学んでから、またボストンに行きました。

浅井 アメリカに戻ってくるんだね。

 そうです。それからすぐにミラノでパターンの研修を受けました。

浅井 ヨーロッパには影響受けなかったの?

 めちゃめちゃ受けてます。アメリカよりもヨーロッパのほうが影響大きいです。

浅井 なるほどね。改は海外でどんなことを感じた?俺は今まで色んな国を旅してきたけど、昔タイに行った時はまだ全然英語が喋れない時で。ゲストハウスも取れないくらい英語が分からなかった。だけどその時、地元の人と話してみたいと思ったんだよね。東南アジアって信号のない交差点が多くて、ものすごい数のバイクが一斉に交差点に入って右に左に行き交う。ところが、誰もぶつからない。この不思議な現象の概念を、直接地元の人に聞いてみたいと思った。それから教科書の英語じゃなくて、ストリートイングリッシュっていうのかな。そういうのを身につけた。実際アメリカでも何処でも、地元の人と話せる様になったらそれがすごく楽しかった。そういうコミュニケーションは海外にはまったきっかけでもあると思う。ヨーロッパはアメリカとはまた違った人種のるつぼだと思った。

 アメリカで感じるのは、どういう人間であろうが受け入れる体制が元々あるっていうことです。だから、個性が尖れば尖るほど面白いのはニューヨークなのかなと思っていて。ただその見方はアメリカの場合、なんでいいとかじゃなくて、やばいね!すごいね!って言う評価なんです。ヨーロッパに行くとその部分の見方が変わって、技術面でストイックに評価される感じがあります。両方に違った良さがありますね。

浅井 なるほどね。改はさ、海外で見たもの触れたものが、日本に帰ってきたらうまくはまらなくなる、みたいな感覚になること無い?

 はまらないっていうのは?

浅井 例えば帰国して日本の空港まで来て、そこから佐久市に帰ってきて。そこら辺のコンビニに入った瞬間の感覚って分かるかな。あのなんか噛み合わない感じっていうか、落差。その落差に、俺はさっきのレジンのアートの、隙間みたいのを見るんだよね。

 へえー。なるほど。

浅井 不条理と言っても良いかも。もちろんその不条理というか不自由さは自分で産んでるんだけど、その時に俺の中にはアート感?みたいなのが生まれてて、そういうものを俺の場合、文章に落とさないと居心地が悪いんだよ。

 ギャップっていうことですね。

浅井 そう。俺の場合はたまたま文章だったんだよね。絵とかじゃなくて。それが俺にとってのアートかな。どっちかっていうと、前向きな表現より排泄に近い。ピントとか座標ってみんなそれぞれ違うんだけど、ある程度のまとまりがある。そのピントのズレは相対的な観察からしか分からない。ずっと日本にいるとただ不思議だったものが、海外に行ってアウトラインが明らかになる。

 そういう意味でのズレだったんですね。めっちゃ感じます。

浅井 で、その落差ってのをどっかで出さないと俺の場合は澱んでいくんだ。何に隙間を感じるかは人それぞれだけど、その落差が大きければ大きいほど面白いものが表現できるんだと思う。俺は、社会に対する不条理を何処かに吐き出さずにはいられなくて文章を書く。それが俺にとってのアート(文章表現)なんだと思う。

 ああ。なんかやっと分かった。そういうことか。隙間っていうのが。

浅井 その落差が大きければ大きいほど、おそらくその人にとって機能としてのアートが必要になるし、作品も面白いものになるんだけど、そのギャップが浅いと全然面白くないものができちゃう。笑。

 僕の場合も確かにギャップが絵になってて、どっちかっていうとネガティブなものが僕の中に題名としてあって、それは僕が思う本質的な考え方と社会が思う本質的な考え方のギャップなんですよ。僕は自然主義の考えなんですけど、水とか空気とかが循環していてそれが一本に繋がっている、それが縄のデザインになっているんです。

作品#3

浅井 それで縄なんだ。

 そうです。縄は見た目は1本ですが、100本の糸と、100本の繊維からできている。その時点では1本ではないんです。経験や記憶もそれに近くて、一秒刻みの連続の人生と一緒だと思ったんです。ただ、社会の思う考えが僕の思う考えを正しいと思っているのかといったらそんなことはなくて社会には人間優位の考えがある。「違う」とは言いませんが、冷静に紐解けばそういうことでしょ?みたいのを縄で表現していますね。

浅井 「違う」って言っちゃうと、変なことになっちゃうね。笑。

 こっちが悪くなっちゃいますよね。笑。

浅井 ギリシャかどっかの国でさ。政治批判しながら大笑いしてるおじいちゃんたちが居てさ、かといって悲観はしてないんだよ。「またね」で、また次の朝も同じような話をして同じように過ごしている。そういう人たちにとって、ギャップを埋め合わせるアートのような機能は少なくとも必要ない。

 フラットですよね。

浅井 だからってギリシャに移住するのかっていうと、それは難しくて、福利厚生とか、食事とか現実的なことを考えちゃう。だからこそ精神的なギャップは埋まり切らずに広がるんだけどね。

 大変なのが、それがネガティブな方向に向かってしまうことですね。

浅井 やっぱあるでしょ?

 ありますね。

浅井 変な病名付けられちゃったりね。笑。俺は社会の時速が上がると病気の種類が増えると思ってる。40キロで走ってる道路だったら「ちょっと遅いなー」ぐらいの軽トラも、高速だったらヤバいって話になる。笑。

 あーそうですね。名前つけて分けたがりますね。

浅井 分割統治。社会全体のスピードを落とさないようにする試み。これはシステムそのものだから、結局、人の心には優しくないんだよな。

 なんかそういうの時間の無駄だなとか思っちゃいますね。笑。

浅井 で。そういうごちゃごちゃしたもの全体を一発で自分の中で収めてくれるのがアートの役割かなと思っている。

 あー。そうかもしれないですね。ある意味、絵描いたり、文章書いたり、感受性が高い人の特権ですよね。

浅井 そう思うね。

 アートって対社会みたいなところありますよね。

浅井 あるね。カウンターカルチャー要素は強いと思う。

 もともと記録として存在してたと思うんですよ。アートって。壁画とか。それが社会っていう枠組みができた時にアートカルチャーがあって、僕はそこに属すと思ってます。

浅井 あー。時速が変わっちゃったんだね。社会が出来たことによって壁画の時速が遅く見えちゃう。

 なるほど。確かに。そうですね。

浅井 一回まとめましょうか。自然主義について。

 自然主義っていうのは、地球のトップに君臨するのが人間じゃなくて、動物とか木と同じように属しているだけ。どっちかっていうとちっぽけな存在が人間で、人間が死のうが生きようが、自然にとっては関係ないっていう。でも、人間は人間、自然は自然っていう分別をして認識をしてるのが社会なのかなと。でももし人間ってちっぽけな存在だよって本気で思ってたら多分もうちょっと違う行動をしていると思うんですよ。社会自体が。プラスチック使うし、コンクリートで埋めるし、でも人間は生きるためと正当化するじゃないですか。そういう社会的な自然と、僕の考える自然は違うっていうか、、、。

浅井 一般的に理解されるのだろうか。笑。

 僕、動物園苦手なんですよ。社会はそれを面白いとか素晴らしいっていうけど、そうじゃない。木も切るべきじゃない。必要な量は切るんですけど、人が生活しやすくするために、共存するためにやるんですけど、そうじゃないものも大半だと思うんです。いらないものが多いとか。人間本位になってるとか。でもそれはしょうがなくて、自然主義が現実にできるかといえばそれは不可能で、このどうしようもないもどかしさっていうのが、さっき言ったギャップだと思うんですよね。それで、そういうネガティブなことを言えないもどかしさとか、言わなかったら自分とは違う認識が生まれたり、1つのギャップからいろんなギャップが生まれるんですよ。

浅井 うん。そう思う。ギャップってマルチに存在するね。1個のギャップに力が働いているわけじゃなくて。

 そうですよね。

浅井 俺はノイズって表現するんだけど、俺が感じるノイズって大きい。大都市平気なんだけど、地方都市苦手なんだよ。ものすごい人の量だと、人が川の流れみたいに感じて、自然に近くてあまり疲れない。でも微妙に空間のある人混みってノイズとしてキャッチしちゃう。それってすごい疲れる。笑。だからそういうノイズがあるところにはあまり身を置かないようにしている。そうすると、大自然か、大都会かって話になってきて、結局は自然に向かう。

 分かるかも。笑。俺、自分が多数派だと思ってたんだけど、違うってことに最近気づいたんですよ。すごいショックでした。笑。

浅井 なんでそれが分かったの?

 さっきの動物園の話をしたときに、なんでなの?って聞かれて、悲しい、見てられない、って僕が言って、で、それは普通は可愛いって言ってみんな行くんだよ、って言われたんですよ。でもだって檻じゃん?っていう。ある動物園で、象がずっと同じ動きするんですよ。行ったり来たり、自然の中でそんな動きする動物いないですよ。それ見て、人が入っているように見えてきちゃって。

浅井 市役所だな。

 市役所。笑。動物園行かないでほしい。出来れば。

浅井 すごいネガティブだねー。笑。でもそのネガティブの底を広げる作業なんだよなー。恐ろしく不便だよ。それって。でも不便さの中にアートがあって、やっぱりデザインとは対照的だよね。オランダのアムステルダム美術館に行ったとき、ポルノとホラーのショートフィルムみたいなのを、おばあちゃんと、多分、孫だと思うんだけど一緒に見てるんだよね。SM嬢がウサギのかぶりものしたお爺さんのケツをひたすら叩いてるって映像。それがアートだっていう概念。国立美術館だよ。衝撃だった。そういうものを見られる環境があるってのが、子供たちにとってどういう影響が出るのか興味があった。日本だったら規制がかかってると思うんだ。蓋したくなるでしょ。日本だったら。「そんなもの見ないで!」みたいなさ。でもそんなことはしない。しかもおばあちゃんと孫だからね。笑。

 日本って、アートを受け入れづらい民族だと思うことがあって、アートって受け取り側が自由に解釈して良いもので。作者の意思は別にあったとしても。でもデザインって受け取り側が自由だと困るんですよ。

浅井 おおーなるほど。

 こっち側から定義付け、意味付けることで、使う側がそれを認識するからデザインになると思うんですよね。

浅井 うんうん。共通概念は必要だね。

 エロティシズムに例えると分かりやすいと思うんですけど、ヨーロッパなんかだと裸体の写真は作品と認識されるんですけど、日本だと下手したらアダルトブックになるんですよ。

浅井 アダルトって、なんか実用性っていうか、急に下世話になるね。笑。

 笑。女性のどこが美しいとかじゃなくて、女性の裸、っていう認識になっちゃう。

浅井 確かにそれはあるかも。ちょっと損してるね。アートっていう側面を見れるセンサーがあったらもう少し違うのかも。羞恥心がアートの感度を下げてるのかもね。

 でも僕はどちらかというと日本が大好きで、日本人としての誇りを持っていて、だからこそ社会に対して思うことがたくさんあるんですよ。

浅井 多分、改が言ってるのは日本批判じゃなくて、近代化された日本が嫌なんだよな。俺もそうだけど、もともと日本が持ってたアニミズム、石にも、空にも、水にも、全て神々が宿っている。それらに感謝して生きましょう。お米を残さず食べましょうっていうのが好きなんだよ。でもそういうのが、近代化、西洋化によって違う方向に導かれていく。しかもその影響力が強いから、そこに対する反発が、日本批判に聞こえてしまうんだけど、実は日本を戻したいような、当時を知らないけどね、そういう愛着がある。だから俺、純文学好きなんだよなぁ。

【次回に続く】


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