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僕が「外国」というものに出会ってからのこと

自分は小さい頃から内向的な子供だった。
正しく言えば、友達がいなかったから一人で完結する趣味を持つしかなかった。
日本の歴史を学んで城跡をめぐったり、地図を見て気になって場所へ自転車で片道2時間かけて行ったりしていた。
17歳の秋に初めて高校の修学旅行でシンガポール・マレーシアに行くまでは海外というものに全く関心はなかった。

そして初めての海外がその修学旅行だったという訳だ。
パスポート、外貨、見たことない景色、何から何まで新鮮だった。
そして何より現地へ渡航する前に3週間かけて覚えたマレーシア語が大いに役立った。
英語が通じない地域での簡単なコミュニケーション、さらに周りのクラスメイトや担任の先生から「マレーシア語話せるのすごい!」と言ってもたえたことが素直に嬉しかった。
やはり自分が興味関心を持って自発的に身に着けたものを褒めてもらえると嬉しいものである。

高校の修学旅行でシンガポール・マレーシアに渡航してからのこと、僕は図書館にあるNHK取材班のシルクロード特集を全て読破したり、ウイグル料理やイラン料理のお店へお小遣いを貯めては頻繁に通った。
この類のエスニック料理店はどれも単価が高い。
高校生が1回の昼飯代に3000円も使うという渋谷のJKを超える豪遊っぷりではあるが、初めて食べるイスラム圏の食事、お店の雰囲気すべてが新鮮で通えば通うほどイスラム圏の興味が増していった。

大学に入ってからも引き続き海外への興味を自分自身の心の中に残り続けた。
しかし父親が非常に厳しかったため海外渡航など遊び目的ではできるはずもなく、インターン(モンゴル)や短期留学(台湾)を口実に安く「正当」に海外経験を少しでも積めるようにした。
ゼミだって現地調査で海外にいける開発経済学のゼミを選んだ。
大学での人間関係も日本人より外国人留学の方が多く、休み時間になるといつも国際交流ラウンジで留学生たちと会話をしていた。

そこまでなぜ自分は海外にこだわり続けたのか?
今思うと二つ理由があって、頑張って身に着けた語学を使うことができて周りの人から認めてもらえることが嬉しかった。
それともう一つ、自分は日本人の社会がどうしても居心地が悪かった。
なんとも言えぬ窮屈さというか、自分自身が格下として見下されているというか、そんな気がして日本人の友達を作ることが出来なかった。
だから僕自身もマイノリティとして大学の中でさえ外国人留学生たちとつるんでいたのだと思う。
たしかに留学生のコミュニティでは違っていて当たり前だし、わざわざ英語や中国語を話そうとする日本人の学生は珍しかったから自分のような社会不適合者でもコミュニティで受け入れてもらえた。
しかし、結局それは問題の先送りでしかなく、自分自身のヒューマンスキルの欠如に起因する孤独を外国人コミュニティで紛らわしていたのかもしれない。

その一方で、このヒューマンスキルが欠如した自分が日本人の社会しか見えていなかった場合、大学生活でろくにコミュニケーション能力や社会経験を積めていなかったかもしれない。
そういう意味では、海外に活路を求めた自分の選択は間違っていなかったと思う。

実際に自分は学生時代を通して国際交流を積極的に続けてきたことで、コミュニケーション能力や貴重な経験を得ることができた。
それだけでなく自分自身に少し自信を持てるようになった。

友達と語り合う、一緒に遊びに行く、恋愛をする、といった学生時代の思い出の多くは国際交流から生まれたものだ。
こんな自分でも人並みの人生経験を得ることができたのは間違いなく、様々な国からの来日した様々な友人たちのおかげであると考えている。

さて、自分は今社会人3年目である。
就職活動では海外に関わる仕事がしたいと思い、海外営業として今の会社に就職した。
福利厚生や研修は充実しているし、職場環境も快適なのでなんとか3年目を無事に迎えることができた。
遅ればせながらも入社1年目にTOEIC800点を超えることができ、ビジネスで英語を臆せず使えるようになった。
これからもどんどん仕事の場で実践していきたい。

初めて自分が海外に渡航した時からかれこれ今年で7年が経った。
思い返すと、英語は受験、人間関係、自分自身の人生経験など多くの場面で自分を助けてくれた。
僕の知り合いでも英語に限らず、中国語やアラビア語を通して自分の人生を豊かにしている人は多くいる。

海外との出会い、そして外国語(英語・中国語)との出会いは僕の人生を大きく豊かにしてくれた。
しかし、社会人になり多くの国を訪問し、様々な階層の人間と交流する内に感じたのは英語でもっと深い話ができるようになりたい、日本社会でも上手く立ち回って日本人の友達も作りたい、日本人の彼女が欲しいと思うようになった。
何が言いたいのかというと、つまり自分は改めて日本人としてのアイデンティティや基盤をしっかり持ちたいと思うのです。
決して海外への思いが失せたのではなく、様々な国を見るうちに日本という国も十分素晴らしく、日本人である自分はもっと日本のことを知らなければならないと感じたからです。

ここまで自分が「外国」というものに出会ってからのことを振り返って見ました。
もともと僕はコミュニケーション能力が低く、人間的にもどうしようもない奴でした。それでも海外との出会いがきっかけで多くの人生経験だけでなく、自分に自信も持つことができました。

これから英語力向上に努めつつ、人生を豊かにできるよう広く見識を持っていきたいと思います。
今日はここまで。

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